人生回顧 フレディ・マーキュリー:エイズによる死
2018年12月5日
※審神者に映画「ボヘミアン・ラプソディ」を紹介され観る。そして「もしフレディーさんにつながったら、何ゆえエルビス・プレスリーも、マイケル・ジャクソンも有能なアーティストたちは、最終的に自ら身を滅ぼすのか、その辺のお話を聞くことは可能でしょうか? いっそのこと、三人で鼎談していただいてもいいのですが」とのことで、つながってみる。
※フレディ・マーキュリー
『どうも。こっちでも元気にやってるよ』
「3人で鼎談という話もありましたが、お1人ですね?」
『こっちでは各人どこにいるか分からないし、話し合える距離にいないんだ。だからボク1人になるけどいいかな?』
「もちろんです。今はアストラル界の最上層でしょうか?」
『守護霊がそう言っていた。今はゆっくりしようという感じで、割とのんびり過ごしていたんだ。
でもこの頃は、自分の人生をちゃんと振り返るようにとも言われていて、(自分の)映画も観たことだし、そろそろ向き合うしかないかーと、しぶしぶ腰を上げたところだったんだ。
だけど、それでもグダグダしていたところだったから、こうやって話しかけられて、一瞬身が引き締まる思いだったよ(笑)』
「なぜ有能なアーティストは、最終的に自ら身を滅ぼしていくのか、ということですが」
『すごい質問、ド直球だね(笑)』
※この後、丸1日くらいかけて、あちこちに感情は揺れながらも、じっくり考えている様子だった。
『では、答えてみるね。それは、強い快感にはまっていくこと、そして売れることによって自己像が虚飾化されていくこと、それによる保身と不安、そして(アストラル界の)パワーに巻き込まれて行くこと、があったかなと思う。流れを追って説明していこう。
アーティストとしてのボクは、何らかの欠損感覚がそもそもあった。飢えというのかな。それは感情的、心理的なものが引き金にはなっていたけれど、どこか大いなるものから分離したための、人類共通の願いである<神との再会、一体感>に至るまでの、広い意味での飢えだったともいえる。
音楽をはじめてから、その乾いた心に水がしみ込むように、満たされるものがあった。何かと一体化し、一人ではないという感じがあったんだ。孤独から解き放たれたような安らぎが、無心で弾くピアノ演奏の中に、リズムに乗って歌う中に、仲間と心がぴったりあった一瞬の中にあったんだ。それは、感情的なところ(第2層)だけでなく、魂のところ(第1層)にまでも届くような一体感があったと思う。
その一体感を基盤として創作して行く時の、どこからともなくわきあがってくるエネルギーの噴出は、とても心地がよかった。チャレンジ精神と遊び心をもって自由を謳歌し、精神はどこまでも翼を広げて飛んでいけるような気さえした。
でも、それが売れるようになってからは、少しずつ崩れはじめた。クイーンとフレディー・マーキュリーという名前が世間に広まっていくと、自分の名声欲も満たされる。それに気づかずにいれば、次第に名前とキャラクターが、世間的イメージとして独り歩きしてしまうんだ。
つまりみんなが思う<フレディ像>が巨大化していくということ。まるでスーパースターのように、天才として持ち上げられたその虚像は、自分でも知らないうちにそれを<自分>だと思い込んでいくんだ。いや、思いたい、ということだったのだと思う。
それはつまり、<本当の自分>と<虚像としての自己像>が、どんどんズレていくことになる。そうすると、今度は<本当の自分>が自分の中で疎ましくなってきて、それに目を向けずに虚像をますます演じ続ける。
それをすればするほど、<本当の自分>はまるで影のような存在となり、実像としては希薄化していく。内心どこかでそれに気づいていて、不安が生じてはいても、そこから目を背けるために、さらにその影から逃げ回るようになっていくんだ。
しかも、そうした不安は、ステージ上のライトと大きな歓声で吹き飛ばされてしまう。まさに<脚光を浴びる>ことで、足元が見えなくなってしまうのかもしれない。わきたつ歓声や自分に集まる注目は、自分を麻痺させるのにちょうどいい。
その強い快感によって不安からも逃れられるので、さらに強い快感刺激を求めていくことになる。そうすると、だんだん快感中毒の状態が起こって来るんだろうね。
でも、実際にはそれを自覚しているわけでもないから、結局は何らかの外のパワーを求めることで、何とかしのいでいく。お金のパワーももちろんあるけど、<名声>=名前が売れて虚像ができていくというも、なかなか侮れない落とし穴だったと今なら分かるよ。
とくに男はそこに大きな喜びを感じるようで、ありのままの自分を見るよりも、身にまとった仮面(第3層)にやたら敏感なところがある。それは、内面を見たくないという無意識的な逃避から、外面で何とか補おうとする男の<性>なんだろうね。
そしてやっぱり、パワーを持ちたい、と思っていたんだろうなあ。だから、キャーキャー言われたり、みんなを魅了したいというのは、虚像を生きている全男性の欲望なんだろうね。それは男の支配欲ということなのかもしれない。
きっと王様とかリーダーとかになって、君臨し威張りたいんだろうね。ボクはKingではなくQueenだったけど(笑)。でもその欲求が根本にあったから、本当の自分ではなく、パワーのある自分を創り上げて、その不一致による不安を快感中毒でごまかしたり、外に意識を向けることで解消しようとした。それが結局、身を滅ぼしていくことにつながった、と思うよ。
ああ、少しまとまってきたから、何とか精神界には行けそうだね。ボクはまた地球の3次元でアーティストをやると思うよ、面白かったからね。ぜひまたチャレンジしたい。この世界には音楽があるから、そこがいいよね。また次の新しい地球で会おう!』
2018年12月5日
「直子さんが、フレディさんとの対話を読んで、やっぱりみんな最初は公式見解を語るのね、と言っていました。大事な話には、なかなか自ら触れることはない。例えば、同性愛の話とか、エイズによる死ついては、どう思うかについても語ってもらわないと、ということでしたが」
『えー! そこも聞く? さらにえげつない、ド直球だね(笑)。僕はもう、後は来世でいいや、と思っていたんだけど』
「直子さんは、天界までお送りしますよ、と言っていました」
『まじで? どうしよ~。ボクは結構ナイーブなんだよ』
「私の友達で、性同一性障害の体は女性、心は男性がいたんですが、彼もとても傷つきやすくて繊細な人でした」
『わかるなー』
「フレディさんは、体は男性で、心は女性だったんですか?」
『うん、まあそうとも言える。でも心はまるまる女性というわけでもなかった。内面というのは、けっこうグラデーションがあって、パッキリ分かれているわけでもないから、はじめは中性かな、と思ったくらいだった。性の自認は一応男性、でももっと深いところでは女性的な面もあって、どちらともいえない混沌状態だったと思う。
性的指向が男性に向き始めてから、「あれ?」と思った。だんだん性的魅力を感じる対象が、男性に絞られていったんだ。性交の時には、よく女性側にもなっていたかな。相手にもよるんだけどね。
ボクたちの時代は、ホモセクシャルとして偏見も含めてざっくりと分類されたけれど、今はその多様性を表現する言葉が豊富になったでしょう? あの時代でも性同一性障害という言葉があったら、内的な自分の性の違和感を自覚して、楽になる人も多かったかもしれないね。
同性愛はブームもあったけれど、どちらかといえば偏見の目で見られることも多かったし、それを自認するまでの迷いや葛藤もかなりあったよ。世間一般の常識や宗教的タブーもあったから、ボク自身の同性愛傾向を表に出せるようになるまでは、それなりに苦しんではいた』
「いつ頃から自覚していたのですか?」
『ボクの家は、思想的にかなり厳格だったんだ。学校でも規則が徹底されていた。だからそれに無自覚に従っていた少年の頃は、特に何も感じていなかった。
だけどその常識を打ち破って、個人の表現の自由を発揮したいという、創造的モチベーションは強く潜在化していたよね。アーティストは既成概念を壊したり、新たに生み出したりできるから、そちらの方にどんどん興味がわいていった。
そこでボクの中のアートが開花していくと、「こうでなければと思い込んでいたことは、本当にそうなのか?」と疑い始めた。それは何についてもそうだったね。20代になってからは、そういうアートの世界がますます開けてきて、魂と心は自由を獲得していった。
でも、性的指向性を自認するようになったのは、もう少し経ってからだった。メアリー・オースティンにも、本当に惹かれていたしね。でもそれは、今思えばソウルメイトとしての惹かれ方だったんだね。男性とはじめて性交した時に、やっとこっちが本当の恋愛なんだ、と確信したんだ。
ボクには、本当はコンプレックスがたくさんあった。<本当の自分>であるファルーク・バルサラは、ザンジバルで、ゾロアスター教の家に生まれ、インドで育ってイギリスに出てきた田舎者で、しかも同性愛者だったというんだから。
ファルークは内気でシャイで、繊細な内面の持ち主だった。そんな自分を、フレディ・マーキュリーになることによって打ち消し、向き合わないようにしたというのが、前回の話だったよね。
だから、同性愛に関してはごまかしていたい自分もいて、「これはファッションとしての中性的イメージであって、枠にとらわれないスタイルなのだ」と言っていた時期も長かった。
これでいいんだと思う気持ちと、どこか悪いことをしているという感じとが、常に両方内在していたような気がする。でもその葛藤に向き合うのは結構しんどいことなので、そこから目をそらしていた、ということなんだ。
目をそらしたからこそ、なおさらだったのかもしれないけど、衝動的な発散もよくしていた。乱交パーティでは、ハイテンションになった自分が、女王になったかのように振舞ってもいた。入り乱れての性交も多かったし、それが自由ということだ、フリーセックスによって社会的捉われから自由になるんだと、その時は思おうとしていたね。
でも今にして思えば、すっかり欲望のとりこになっていて、そういう場での暴走は、かなり甚だしかったと思うよ。
晩年、ボクはエイズになった。それは性感染によるもので、当時は感染者が急上昇している最中だった。今思えば、それは確かに<因果応報の結果>だったんだろうね』
「エイズは何のために天が与えたのでしょうか?」
『僕たち同性愛者に対する警告だったのだろうか。バチが当たったんだ』
「同性愛と性生活の乱れ、どちらに対するバチですか?」
『両方かなあ』
「私は同性愛は、悪いことではないと思っていますよ。フロイトさんの<魂の学>にも、以下のように書かれています。
“自らの内に魂(神)を感じるようになれば、これまで倣ってきた社会的道徳と自分が感じる正しさの中に、隔たりが生じてきます。魂の進化の程度はさまざまで、それぞれの正しさがある一方で、社会的道徳は霊的世界を排除した中で構築されているからです。
ですから、離婚・不倫・障害・ジェンダーの不一致など、ありとあらゆることの捉え方も、変わってよいのです”」
『そういうことなのか。それでだ。僕にとって、その一律な正しさは苦しかったし、何か合わない感じがずっとしていたんだ。そういう魂の感覚は、少しだけどあったように思う。特に歌う時には、そこから声が出てくる感じだった』
「因果応報は、<魂の願い>にかなった動機で動いているかどうかによって、その結果が働くのだそうです」
『確かにバンド時代は、魂の願いに叶って動いていたように思う。だから、結果もついてきていた。
でも、ソロになった時はうまくいかなくなった。その頃、性生活も一番乱れていたんだ。乱れた性生活は魂の願いではなかった。だからいろいろ崩れていったんだな。
エイズになったのも、性生活の乱れが原因だったと思う。そうか、エイズは、人類の性の乱れに対する因果応報の結果ということだね。確かにそれが抑制効果にもなった』
「実際的に抑制になったのでしょうか?」
『一時的にはね。みんなヒヤッとしただろうし、ボクも一気に性欲ダウンしたからね。死という一番避けたいことに<性>がつながるだなんて、そのショックは大きかった』
「今、性ビジネスから性犯罪までが氾濫していて、もはや人類の堕落は止められないので、リセットが決まったということで、人類の欲望のメインがお金と性だろうということでした」
『確かに、アストラル界でも性の階層があって、そこが一番勢力を拡大している、という感じだったよ。
お金の階層では、奪い合ったり、貯め込んだリ、お金のプールに入ってずっと枚数を数えている人もいたし、たくさん持っている人はそれをバラまいて皆を寄せ集めていたり。ボクも調子に乗るとバラまく派だったけど。
性の階層では、メインは乱交プレイだよね、誰とでも、とにかく手あたり次第に交わっていた。そこで、自分がしていたことを客観的に見るようにはなったね。もうこういうのはいいやと思うと、階層が変わった。
エイズ経験があったからこそ、性の階層は何とかすみやかに抜け出したいと思っていたけれど、それがなかったら、ずっとそこで楽しんでいたかもしれないね。
とにかく、性が人類全体の問題になっているというのは、アストラル界でもそうだったから、よく分かる。確かに、それでエイズが出てきた、ということではないかな、因果応報の結果として。
そして一時的な抑制にはなったけれど、結局その暴走の勢いは止められなかった、ということなんだね』
「そういえば直子さんが、男性はプロにお金を払って性欲を満たしていたけれど、エイズが流行ってから警戒をして、身の回りの素人の女性に手を出すようになった。するとそういう人とは割り切って付き合えず、嫉妬関係なども生じてドロドロしてきて、家庭崩壊にもつながった、とも言っていました」
『あー、それはあるだろうね』
「ジェンダーの不一致も、最近はとても多くなってきているようです。今はリセットも近いし、男女の性を交代して生まれてきている人も多いのではないか、ということで」
『何で交代したんだろう?』
「私たちの場合は、これまで男性としてさんざん悪いことをしてきたから、最後は内面を見ていける女性として、みなで協力してリセットに向かうためだろう、と話しています」
『ボクの場合は、何でだろう?』
「思い出せないですか?」
『思い出す? あー、そういうことか。自分で何故この人生を選んだかを思い出すということね』
「そうです」
※その後、半日ほど考え込まれてから・・・
『私の魂は、女性だったかもしれない。とても強い、男勝りの女性だった(笑)。今回はあえて真逆の男性として、生きることを選んだ。
私の理解は<同性愛者>で止まっていたけれど、その奥深い部分には、魂と肉体にズレがあり、一致していなかったということだった。なぜそうしたかというと、最後に男性も味わってみたいと、単純に思ったのがはじまりで、でもそれがジェンダーの不一致が多くなっていく時代を、開いていくシンボル的役割も担うことになった。結果としてエイズになったというのも、社会的には必要な衝撃ニュースであったのかもしれない。
今までの捉え方とは違って、このような見解の方が、より深いところで腑に落ちてきている。今の時代、男性を生きるというのは落とし穴が多かった分、チャレンジングだったし、学びも多かった。
魂の感覚があるからこそ、肉体との不一致を感じるわけで、現在の窮屈な社会的道徳に自分を合わせる必要はなかったんだね。合わせずに反発してはいるけれど、でも内心では捉われているから苦しいわけで、その捉われを手放して魂の真実に向き合い、そんな自分をありのままに受け入れることが、ジェンダーの不一致で生まれてきた私たちの課題だったのだと思う。
魂の話、スピリチュアリズムの話にまで世界を広げないと、その性の不一致問題は解決しないのだと分かった。ただ単に内的性自認、性指向というレベルの話ではなく、自分の魂が今回、何を学ぼうと地上に生まれたのかまでを考えないと、全体的・総合的に腑に落ちないということなんだね。今、なんだかとても気持ちが軽くなっている』
2018年12月7日
※この日の対話で、「同性愛については多様な在り方があるようなので、それを今分かる範囲で、フレディさんに語ってもらえないか」と話していた。その後、直子さんは「そういえば、この頃ショパンがチラッと浮かんでいた。その彼女のジョルジュ・サンドとのパートナーシップは、男女の性を逆転したような関係だったのではないか」という話も出る。家に帰ってとその2人を調べていると、ジョルジュ・サンドさんが『お答えしましょう!』と話しかけてくる。
<対話舞台>
ショパンがピアノを弾いてくれている。これから始まる対話のバックミュージックとして、落ち着いたbarの生演奏の舞台が設定されているように感じる。ショパンは長いウェーブの金髪とドレス姿で、女性に見える。ジョルジュ・サンドさんは白服の騎士のような恰好をしている。今回の話し手はサンドさんで、明晰な思考を持ち、論理的に話せるタイプの方のように思われる。
※ジョルジュ・サンド
『今回、同性愛者について私が分かる範囲でお話しようと思います。私たちは共に天界にいますが、天界に戻って来られる方への参考となるお話は、天界一同、どの個人もお伝えしようと心構えができていますので、どうぞ私たちをお使いください。
サラチームの会議の内容はもちろん共に聞き、学んでいます。そこは私たちが語れる範囲を超えているので、中途半端にはコメントができませんが、これから天界に来られる個人にとっては、私たちは先輩霊としてアドバイスできることがあるのです。
さて、ジェンダーの不一致のテーマは、現在地上でも混乱状態の上、アストラル界、精神界においても同様に、渋滞を引き起こしている問題の1つでした。フレディさんがお気づきになったように、魂と肉体の関係にまで考え及ばないうちは、単なる風変りな性指向として変人扱いされ、本人の傷つきや自己理解の妨げとなってきました。
私たちはそれを特殊な問題や機能障害としてではなく、魂と性における学びとして、体系化してお伝えしたいと思います。
まず、性に関しては、長い輪廻転生の中では男性も女性もどちらも体験するのが普通です。しかしまだ地球体験の数(や学び)が浅い魂においては、まずは男性を何回も体験し、その課題がほぼ終わったところで今度は女性を体験するという具合に、1つの性を連続することにより、本人の混乱や不慣れな状況を避けるのが一般的です。
ただし、どちらか一方を連続して体験した後に、次は違う異性にチャレンジする場合、個の魂はまだ男や女という観念に縛られたままの状態であることもあり、その観念を晴らさずに生まれることで、性同一性障害を生じることがあります。
また別の場合では、精神界で男女という性別の観念をクリアした上で、もしくはクリアするために、性を変えて生まれて来ることもあります。それは、精神界の第2層以上からの降下であり、解脱まであと1歩の方がそれまで培ってきた魂の性質と真逆の性をあえて選ぶことにより、仕上げとして多角的な学びをするためです。
さらに、天界以上から生まれる魂については、個人の学びやカルマのためというよりは、その使命に適した性を選択します。ショパンは美しいピアノ音楽を芸術として降ろす任務があり、それにはその時代背景において男性の方が適していたために、男性の肉体をもとってきた、というわけです。
天界においての男女はどのようになっているかというと、根本性質として男性的(荒魂)、女性的(和魂)という風に、その個性は際立ってどちらかの様相をもっています。それは、地上体験で男も女も経験した上で、自分の魂の個性がそこで十分に培われ、よりはっきりとした光を放つためです。
ですから、天界から来る場合は、男性的か女性的かということが、割とはっきりしていることが多いといえます。それは男性性の中に女性性を内在化させるというふうに、両性あわせもった上で、どの性質がより際立っているかというトータルな個性においてです。
このような霊的世界での仕組みにより、地上での性同一性障害の傾向がある方々は、以下の3パターンに分かれます。
①.人間としての経験がまだ浅く、男性→女性、女性→男性として、はじめての異性体験に 戸惑っている場合
②.解脱まであと一歩の方が、最後により多くの学びを得るために、なじみが薄い方の性であえて生まれてきている場合
③.天界以上の方が、使命に適した性をあえて選んでいる場合
①は第2~3層での観念上の違和感、②と③は魂と肉体の不一致です。昔から同性愛者はいたのですが、それは①の場合が多く、アセンションやリセットが近い現代では②と③の方が多く降下しています。
フレディさんは②のパターンだったのではないでしょうか。私もそうでした。ショパンや皆さんは、③であろうと思われます。
しかし②であっても、再び地上の観念に捉われる場合がほとんどで、魂を否定した現代社会では、自分の魂に気づくためにその性的不一致を活用できる方は減っていて、第2~3層だけで考えるために性の混乱は生じているといえます。
しかし、魂の原理はこのようになっているということがわかれば、自分がどの段階かを認識することによって、性に対する受け止め方もスムーズになるのではないでしょうか』
※ショパンの伴奏でフレディさんは「I was boan to love you」を歌いはじめる。『これでスッキリ天界に行ける』という顔をしている。
【目次】に戻る