人生回顧 マイケル・ジャクソン:薬物による中毒死

 

2019年6月22日

直子さんがテレビで「マイケル・ジャクソンの最後の24時間」という番組を見たとのことで、「彼につながってみてはどうか。もうそろそろいいのではないか」という話になった。その番組を見せてもらい、DVDなどを借りて帰る。以下は「This is it」を観た後の対話。

 

 

※マイケル・ジャクソン

『まずは、皆さんにお礼を述べなければなりません。皆さんの横軸対話は、アストラル界に対する鮮烈な光となり、多くの方々を覚醒に導いています。それは、今や古い地球は地上とアストラル界のみなので、指導霊は(新しい地球に)移動し、何かを学ぶとするならば地上から、という流れになっているからです。

 

アストラル界では、地上と結託して神から離れた方向に向かっている霊も多いですが、しかし神に向かうためのヒントを得ようと、最後のチャンスとばかりに地上の方々の対話に耳をそばだてている霊も少なからずいるということです。また対話のエッセンスが明晰に言語化されることにより、だれもが共有できる情報(テキスト)となっていくので、それを読み返すことで、より整理がなされてもいます。

 

私自身は、死後、昏睡状態のままアストラル界の低層に長くいました。冷たくおびえた心もあったのですが、その感情さえ感じられないほど強烈に濃い霧の中で、頭はぼーっとしたまま、寝ているのと起きているのとの境界を行ったり来たりしていたのです。地上時代のことも、覚えているような、いないような、とても曖昧で混迷とした状態の中にいました。

 

ヒトラーさんの対話で、アストラル界の底辺がグルッとかき混ぜられたような衝撃がありました。私を含め、うつらうつらしていた連中が、そこで目を覚ましていったのです。テーマが虐待でもあったので、自分のことにも同様に当てはまり、乾いていた心のスポンジに水が染み込んでいくように感じました。その後は悲しみがあふれ出してきて、それを感じきるまで泣いていました。

 

その後、ベートーベンさんの「自分を支えたのは<自我>だった」という話には、胸がギュッと締め付けられる思いでした。私にも自我はあると思っていましたし、自分の人生は自分で決めたいと感じていました。

 

しかしなぜ私は薬物中毒になったのか、その依存性はどこから来たのか。それを最後に振り返らなければ、アストラル界は抜けられないようです。今は最上階にまでたどり着いていますので、あと少しです。どうかご協力ください』

 

「4月末にはまだ下の方におられたのに、急速に上昇されたのはなぜでしょうか?」

 

『令和になってのリスタートは、アストラル界にとってもインパクトがあるものでした。大きな花火が打ちあがったからです。その花火は地球の直日を起点としていたのでしょう。つまり自分の魂を本来は見出すことができる人々にとっては、その花火の起点が明確な目標となって意識化され、鮮烈な形で目に焼き付けられました。それがまったく見えなかった人もいたでしょうが、私には見えたのです。

 

私は「こうしている場合ではない!」とシャキッと目が覚め、それ以降は必至で自分と向き合うことを続けてきました。ちょうどあなたと(一瞬であれ)個人的につながったいたのも大きかったと思います。

 

新しい地球に行くことは、私の<魂の願い>です。あのような5次元の世界を心に抱いている自分というのが、地上にいた時からはっきりとあったからです。しかし、薬物中毒・依存というのは、無意識のところで徐々にはまっていくもので、ものすごく強烈な誘引になっていました。その時の心境を思い出すと、暗いトンネルの中に引きずり込まれていったようなイメージがわいています』

 

 

 

2019年6月23日

※直子さんから「マイケルさんへ」とメールが来る

 

「マイケルさんのこの世への貢献度、それにアーティストとしての素晴らしさから言えば、本来新しい地球へ行くべき方だと思っています。ですから、ぜひお手伝いさせて下さい。また、マイケルさんが新しい世界に向かわれるプロセスは、そのやり取りを見守っているアストラル界の人々にとっても、新しい地球へ向かう大きなモチベーションになるものと思います。ですから、共に頑張りましょう。では、早速以下の質問から始めます。

 

マイケルさんの死について、一応事故死となっていますが、どうだったのでしょう?

私には、マイケルさんの第2層の無意識的自我は、自殺したかったのではないか、

あるいは、第1層の魂は「もう今生でやるべきことはやった」ということで、

肉体を脱ぐ決意をしたのではないかと思いましたが、実際はどうだったのでしょう?」

 

 

『はい、よろしくお願いいたします。・・・死に向かっているその時、私はとても疲れていました(※<その時>の心境にアクセスしたのか、霊媒はボロボロと泣き始めている)。その時の心理状態は、とても複雑で、自分ではスッキリと「こうだ」とは言えないものでした。「わからない」と言った方が適切かもしれません。

 

3層の私としては、よいパフォーマンスをしなければならない、という重圧が押し寄せていたのは自覚していました。私の目標はいつも高く、クオリティの高い作品になるように、とても神経質になるところがありました。

 

その頃は自分の状態をキープするだけでも大変な上に、多人数が関わりながら、ステージ環境がまったく違う各地での50公演を仕上げていくのは、ピラミッドを見上げて、これから素手で登っていかなければならないような、果てしなき困難として映っていました。

 

しかし経済上、それをこなさなければならないと説得され、私は承諾しました。その頃の私は多くの薬に頼って不安感をかき消していたこともあり、現実検討力が落ちていたかもしれません。また逆に、ハイテンションになる時もあって、そのような高揚感が無謀なチャレンジに走らせたのでしょう。

 

当時、経済やスケジュールに関して、もはや自分のコントロール下になく、自分が走っているつもりが、うまくビジネスのレールに乗せられていた、という状況もありました。

 

しかし、動きだしてしまったものはもうやるしかない、それでもこだわりは捨てずに、良質のものを、と私は思いました。私にとってライブは「愛に目覚める」というメッセージでもあったので、それを伝えたいという気持ちは魂からも出てくるものでした。

 

・・・と思っていましたが、そう思っていたのは第3層の意識的自我だったのかもしれません・・・。(しばらくして)あぁ、そのメッセージは超自我の「こうあるべき」というのも混ざっていたかもしれませんね。今にしては、そう思います。

 

さて、質問は<その時>私の第2層の無意識では、そして第1層の魂ではどう思っていたか、ということですね。

 

2層では不安や苛立ち、焦りがあり、逃げ出したい気持ちで一杯でした。ほとほと疲れてもいて、確かに自殺したいという無意識的な願望はあったように思います。しかし私はその気持ちを見ることはできませんでした。そんな弱音を吐く前に、やることをやらねばならないと第3層が、その感情を抑圧し続けていたのです。

 

私は音楽が関わることにはとても厳しく、その時の最高を求める傾向がありました。その完璧主義が、素直な感情をずいぶん抑圧し続けていたので、その頃はたまりにたまって、心はパンパンになっていました。それを薬で何とかごまかして、多少楽にはなっていましたが、次第に常習的依存状態に陥っていました。

 

私は自分の心の声を聞くことが怖かった。それは、子どもの頃から常に人の目にさらされ、第3層の仮面が厚くなっていたからでもありますが、心の奥底には自分でも意識していない、とてつもない破壊衝動があったためです。このまま壊れてしまいたいという、自己破壊衝動が、時々波のように立ち上がってくるのでした。

 

3層では完璧に成し遂げたいと思いながら、第2層では自己破壊衝動があるわけですから、それを封じるために薬を使い、何とかバランスを保とうとしていたのです。でもそれは間違いでした。一時的にはよくても、長い期間そうすると、結局は押さえきれなくなってきますし、逆に薬に対する依存性は、ますます高まっていくばかりでした。

 

そのループにはまるとイタチごっことなり、気付いた時には自力ではもう戻れなくなっていました。サポートしてくれる友人がいても、自分で遠ざけてしまう面もありました。自分を破壊することが無意識の動きとしてあり、なおかつそこはアストラル界とつながってしまっていたからです。

 

依存や中毒のきっかけは自分であっても、それを助長するアストラル界の勢力はかなり強いものです。自我が弱くなったところに容易に入り込んできますから。私の第2層は最終的にはそことかなり共鳴していたように思います。

 

自分ではもはや止められない衝動性に、突き動かされていたといえます。その多くは薬の効果が切れたことによる身体的反応でしたが、そうやって溺れていくのをアストラル界の連中は共に楽しむところがあるのです。

 

では、その時、もっと深い魂ではどう思っていたかといえば・・・(考え込む)、これに関してはまだ意識がそこまで捉えることができないようです。他の質問に答える中で、並行して探っていきたいと思います』

 

 

「番組では、取り巻き連だけではなく、本当はマイケルさんのことを親身に心配し、助けたいと思っている人もいたが、もはやその声は届かなくなっていた、と言っていました。マイケルさんが本当に信頼していた人は、いたのでしょうか? 特にご家族の中に、どなたかいたのでしょうか?」

 

『一緒に作品を作る仲間は信頼していましたが、それはアーティスト同士としてのつながりであり、自分の内面をさらけ出すことはしていませんでした。家族の中で信頼できたのは妹くらいでしたが、私は彼女にも自分の弱みを見せることはできず、「大丈夫、平気だよ」とクールに言ってしまうところがありました。

 

人にHELPすることができなかったんです。それは大人社会で適応しようと、子供らしく甘える期間が少なかったためと、心に蓋をしているので、たまっている多くのことを自分でもとらえきれずにいたからだと思います。

 

また、成功によって(つまりはお金によって)家族の仲は悪くなっていました。多額のお金は幻のように消えていきましたが、それを奪い合おうとする争いは絶えませんでした。

私は孤独を感じると、子ども返りしたように遊びたくなりました。邸宅を「ネバーランド」という名前にしたのも、そのためです。私の中で大人になりきれない子どもが、いたのです。それは(第2層に蓋をし続けた結果)、感情的な成熟度が今一つ育っていなかったためだろうと思います』

 

 

「児童虐待の裁判によって、心身ともに決定的に消耗した、というように描かれていましたが、その真相はどうだったのでしょう? 無罪判決になりましたが、マスコミのバッシングなども含めて、今、その当時のことをどう感じていますか?」

 

『心身ともに決定的に消耗したというのは事実でした。生きる気力も底をついたようになりました。

 

児童虐待があったかということは、当時の私の認識では<ない>と思っていました。それは子どもならよくある遊び程度の気持ちで、じゃれあっているに過ぎない、と思っていたからでした。そう、思いたかったのだと思います。

 

私が本当に子どもであったなら、虐待とは言われずにいたでしょうが、私の心は子どものつもりでも、実際は大人なので、そこは節度と責任を持つべきでした。くっついたり、触ったり、キスをしたりという行為は、実際にありました。子どもたちには心を許し、私の無邪気な面がそのまま出ていることが多かったのです。遊び仲間でした。

 

多くはそのような関係でしたが、一方で、自分より弱いものに対する支配欲も第2層にはありました。父や兄から受けた支配を、子どもたちにも無意識に向けることがあったのです。それは怒鳴ったり、相手が恥ずかしいと思うことをさせたりすることでした。自分がされたことは、どう抑えようとしても出てきてしまうんですね。

 

私はそのような性的興味、支配欲が世間の目にさらされることは苦痛でした。自分自身でも認めたくないことだったし、隠したかった。私は自分の闇から必死に目をそむけて逃げようとし、心の中はぐちゃぐちゃでした。

 

私は自分の魂の光を子どもの頃は認識していて、それが音楽活動で花開きました。それは私が携えた特性であり、喜びであり、他者貢献のための活動手段でした。とても美しい世界を私は夢見ていたし、豊かな芸術世界にも心は魅かれ、音楽的世界観の中で魂は輝きました。

 

しかし私の第2層は、ヒトラーさんと同じく被虐待児の暗雲の中にありました。それがより弱い子どもや自分自身に対しての攻撃性として出てくるので、私はそれを必死に押し込めていたのですが、定期的に発作のように噴出してしまうのです。

 

しかも第3層は自分に厳しく完璧を求めるので、心の中のそのあまりに大きなコントラストは受け入れがたく、自分の影からは徹底的に目をそむけていました。

 

それがあの裁判で目を背けるな、と提示されたのです。私はそれでも頑なに拒否しました。第3層でのガードはいっそう堅固になり、その頃から魂の光は見えなくなったように思います。どんどん悪い方に転がっていったのは、それでも自分に向き合おうとしなかったからで、その結果が返ってきて雪だるま式に大きくなっていったのだろうと思います。

 

また、逃げれば逃げるほど、私はアストラル界にあおられるようになり、ますますそこへの依存性は助長されていきました。魂が意識できていた頃は、精神界や天界とつながっていたときもありましたが、第2層の闇が深まるにつれて、そのつながり先がアストラル界に落ちていった、ということでしょう。

 

しかし、それでもステージの上でだけは、魂の私が蘇ってきました。それは、おそらく私の使命がステージでの音楽表現にあったため、水を得た魚のようにきらめいたからだ、と思います。

 

そして音楽は<今>しかないため、その瞬間のことだけに意識が集中していた、ということもあるでしょうね。もちろん、すべての時間がそうではありませんが、心の闇から少しでも離れて<今>にいられたのは、ステージの上だけだったのです。

 

ここまで、思いつくままに語りました。まだ混乱しているところもありますが、話を聞いてもらったおかげで、これまで認めがたかったところにも、向き合うことができたように思います。

 

最後の時に、私の魂はどう思っていたのか。それはもう少し考えさせてください』

 

 

2019年6月24日

※対話記録

「ヒトラーさんとマイケルさんはどちらも大物だが、ヒトラーさんの問題は明確に<悪>と言える一方、マイケルさんの場合は<悪>と<善>が半々あり複雑。いずれにしろ、「葛藤ができない」というのは共通していると思われる。

 

Yさんのレポートにもあったように、現代では社会的地位のある男性がDVをしている。彼らも葛藤できない状態にあり、第3層の仮面は保ちつつ、第2層に駆り立てられれば短絡的な行動をしてしまう。マイケルさんも駆り立てられればそうなってしまうことは、心理学的に考えれば容易に想像できる。

 

<悪>をなすといっても昔と今は違う。昔は葛藤した上で、どうしても<悪>を選んでしまうというタイプが多かったが、今の<悪>は基本的に悪気がなく、無自覚・衝動的にしてしまうタイプが多い。例えば、子どもに対する虐待についても、以前は葛藤しながらどうしてもそうなってしまう自分を悔いる親が多かったが、今は気づいたら殴っていて「だって言うことを聞かないのだから当然でしょ」とアッケラカンと言うようになっている。

 

マイケルさんも子どものまま、今一つ精神的に成熟できていない部分があったのだろう。心は未成熟なまま、体だけが大人になる場合、同年代の女性を相手にできず、子どもにその性欲が向いていく傾向がある。今の世の中、そのような話は蔓延している。

 

あれだけのお金と権力があるマイケルさんなら、そのような機会もたくさんあっただろうから、心理学的に見れば何らかの児童虐待はあっただろうと思っていた。マイケルさんもこの前の話でそれを認めていたが、あのような育ち方をしていたら、当然起こり得ることでもある。裁判では無罪となったが、それに対する罪悪感があったならば、それが自己破壊衝動につながっていく可能性もある。

 

超自我が第2層の声を聴かないようにさせていることはよくあるが、マイケルさんもそうだとしたら、それは何ゆえだったのだろうか。親の圧力・厳しさがずっと働き続けて、それを自ら内在化させてしまう、ということもよくあることだが。

 

私が臨床心理士になった時は、第2反抗期は<疾風怒濤の時期>と言われていた。親から与えられた超自我(こうしろ、こうしてはいけない)は、中学頃まではそれが1つの規制となっているが、中・高校生くらいになると、それを打ち破っていくことで大人になる。

 

確かに時代は変わっていくのだから、親世代では正しかったことが、子ども世代になると正しいとは限らない。だから、第二反抗期には親から与えられてきた規制を、自ら打ち破っていくのが、<疾風怒濤の時期>と言われていた。

 

私たちの年代まではそのような反抗の時期が確かにあったが、1990年代になると(TVドラマに出てくる)冬彦さんのように、いつまでも反抗しない人たちが出てきた。そういう人たちが、結局は妻や子供に対して(=自分より弱い立場の人に)DVや虐待をしていく。結局その基盤には、第2層にある欲求と第3層にある超自我が分裂したまま、葛藤ができなくなった、ということがあるのではないか。

 

マイケルさんも、第3層ではKing of popの顔、第2層では被虐待児としての闇の顔の2つを分裂させたまま生きていて 、その間で葛藤できなかったのではないだろうか。そうすると、最終的には第2層に衝動的に流れてしまう。

 

結局、最終的に薬物中毒にどんどん流れたきっかけは、あの裁判だったのかもしれない。 でも、自己破壊衝動が自己懲罰によるものだったとしたら、その根底には<良心>があったとも考えられる。裁判で本当は有罪なのに無罪になったとしたら、深いところでは自己懲罰に向かう可能性もある。それは、どこかに良心の痛みがあったからなのだろうか?

 

現代のいろいろな問題を見ていると、人間の第3層の超自我も、第1層の良心も失われていると思うことは多いけれど、本当に良心を失うことはできるのだろうか? アストラル界のみなさん、いかがでしょうか?

 

人間的な善悪は、あくまで相対的だとは思うけれど、本来、人間が神や仏を宿して生まれてきているとしたら、その根源的なところには、やはり良心があるのではないだろうか。そう考えると、マイケルさんの自己破壊衝動が何によるものだったかを、聞いていくのが一つのポイントになるのかもしれない。


カウンセリングを長く続けていると、人間の心はサンドイッチのようなものだと思うことが多かった。

 

3層 意識的自我:善人としてふるまっている

2層 無意識的自我:悪人としての一面が出てくる

1層 霊的自我:神仏を宿している善良な面が見えてくる

 

誰しも無意識層に押し込んでいる自分など見たくないと思っているが、見てしまえばそれはそれでスッキリする。絶対に見るまいとギッチリ握りしめているもの(プライドなど)を手放して、ありのままの自分を見てしまえば、とても楽になるというのは、<魂の対話>でもよく起こることだ。

 

そもそも芸術家というのは、23層の人格はともあれ、芸術を通して第1層とつながるところがある。<真・善・美>というけれど、神に至る道というのは、以下のように3通りあるのかもしれない。そして、芸術家というのは第2層を超えなくても、直日をつかんで直接5次元とつながっている人も多いような気がする。

 

<善>=3次元(偽善ではなく、本当の善をなすことが求められる)

<美>=5次元(本当の美しい世界を実現することが求められる)

<真>=7次元(真理=この世を動かしている法則を追及することが求められる)

 

例えば、モーツアルトやゴッホなども、パーソナリティーは未成熟性だったようだ。<社交性のあるアーティスト>と<未成熟なアーティスト>では、その作品は違い、前者はバランスはいいけれどきらめきが少ないことが多い。

 

それに対して後者は、第1層と第23層が自我分裂したまま天界につながるので、人格的には問題があっても芸術的には天才的な人が多い。もしかしたら、彼らはあえてそういう資質を選んだのかもしれない。

 

つまり、最高の美を極めようとするために特化した才能を持ち、その他の資質は抑えられたとも考えられる。マイケルさんは、時代的特徴として葛藤できない分裂気質と、アーティストとしての分裂気質との両方があったのだろうか。

 

3次元で自我を極めて解脱を目指すか、5次元の<美>を極めるために生まれてきたか、7次元の真理を極めるために生まれてきたのか。今の時代、それぞれの役割によって違うように思われる。

 

全部をクリアして、357次元へと上がっていくというよりも、いろいろな道があっていいのだろう。そう思った方が、それぞれの特性が際立って面白そう。マイケルさんは、人格的にいろいろ問題があったとしても、音楽を通して神に近づくという魂だったのではないだろうか。

 

だから「This is it」を観た時に、最後にこれだけの作品を残したのだから、もうあの世に行ってもよかったよな、と私は思った。その後で50回の悲惨なライブを続けるよりは、マイケルさんの魂もこの記録を残したことで十分と思ったのではないだろうか?」

 

 

※マイケル・ジャクソン

『まず、私のことをテーマに皆さんで話してくださったことに感謝します。ありがとうございました。ボリュームのある内容で、それを受け止めるのに一苦労でしたが、それを少し消化したところで希望の光が見えてきました。

 

実は昨日お話ししてから、自分の<悪>の部分が強烈に感じてしまい、いったい私は何のために生きていたのだろうか、こうして破滅するだけの人生だったのだろうかと、とても落ち込んでいました。感情も波立ち、不安になり、目をそむけたくもなっていました。晩年の生気を失ったような顔の私が、前面にでてきたのです。

 

しかし対話の中で「芸術家は、人格はともかく特化した才能で天とつながる」という話を聞いていて、そのような魂の側面から見た自分を思い出しました。私の魂は今、何かを私に語り掛けようとしています。その声がもうすぐ聞こえそうなところまで、やっと立ち直ることができました。これから、今日出た話題に沿って自分を見ていく中で、心のサンドイッチの闇部分を抜け出したいと思います』

 

 

※ここで、直子さんから未送信のままになっていたという、マイケルさんへの質問が届いたので、そちらから取り組むことにする。

 

「マイケルさんへの質問、まずは簡単なところで2つ。

1.死んだという意識はあったのでしょうか?

2.薬物ではなく、カウンセリングを受けたことはなかったのでしょうか? もし、なかったとしたら、それはなぜでしょうか?(おそらく勧めた人もいたと思いますが)」

 

 

『死んだという意識はありませんでした。眠っているのに近い状態でした。薬物中毒で亡くなる人は、おおむね長い期間そのようになるようです。ですから<人生回顧>はこれからであり、今それをまさにしていると思っています。

 

カウンセリングについては、元気な時は受けていませんでしたが、裁判後はさすがに精神的なサポートも必要になり、セッティングされました。しかし私はあまり話さず、いつも数回でやめることになりました。

 

問題に向き合う意志に欠けていて、より短絡的に薬物の方に流れていました。対話で自分を振り返るのは不得意で、それは自分の問題を見たくないことに加え、自分の幼さや未成熟さが露呈することを恐れていたのだと思います』

 

 

「では、今日の対話記録に沿ってお聞きします。そもそもマイケルさんは、自分の欲望と超自我の間で葛藤はできていたのでしょうか?」

 

『できていませんでした。幼い時からそうでした。それは育った環境の要因が半分、もともとの素質としても半分あったように思います。つまり虐待によって23層が影響を受けた部分と、元々の魂の素質として芸術家タイプであるために、天とつながりやすかった部分があった、ということです。そのミックスはアーティストの王道のようです。

 

ということは、私は虐待をも引き受けて、その環境を選んで生まれていた、ということになりますね。・・・(少し考えて)はい、それはそうだと思います。

 

私は、葛藤はなく第2層(無意識的自我)が衝動的に出てきて、悪気なくやってしまうのですが、その後にその事実を思い出すと胸が痛む気持ちになりました。なので、普段は意識にのぼらないよう、すぐに忘れてしまうようにしていました。

 

それは、おっしゃっていただいたように、第3層の超自我と、第1層の良心があったためでした。私は第3層と第1層にサンドイッチされた、認めがたい第2層の闇を自分では受け入れがたく、強く抑圧していたのです。第3層はひたすら事実をも拒絶していました。

 

自己破壊衝動につながっていった経緯としては、厳しい超自我からのものと、良心からの罪悪感によるものの2つがあったように思います。はじめは後者が主体でした。それは、まだ健全な精神の時は良心が機能していたので、その罪の意識が私を苦しめました。

 

裁判で無罪になった時に、第3層では安心しましたが、第1層では不正直さという<悪>への階段を転げ落ちていることに、背中が凍る思いがしていました。

 

その後、超自我が私を責め立てるようになりました。父が私の容姿や歌い方にまで口を出して支配したように、私の超自我は私を厳しく責めるようになっていったのです。それに耐えきれなくなった第2層は、自らを破壊するような衝動にかられていきました。ヒトラーさんの場合、それは他者に向いたのでしょうが、私はそれが自分に向いていきました。

 

なぜ、父から受けた圧力を超自我として持ち続け、自分に向け続けてしまったのかというと、葛藤ができないためにその超自我を手放せなかったためです。葛藤は、無用な超自我を打ち破る力になりますが、葛藤せずに欲求が衝動的に出てしまうような場合は、超自我を「まったく放棄する」か「欲求とは分離した形で、そのまま保存するか」の両極端になるようです。本来、程よいバランスというのは、葛藤によって培われるからです。

 

私は欲求とは分離した形で、その超自我に縛られることになりました。そしてそれは、葛藤によって更新されないので、父からの圧力をそのまま引き継いで「~すべきだ」という規範となり、裁判の後は罪悪感もあったので、さらに強力に自分にプレッシャーをかけるようになったようです。

 

それに耐えかねて第2層はいよいよ暴走をはじめたので、それを薬で抑えようとして薬物依存・中毒性はさらに強化され、アストラル界ともつながって、結局は破滅へと向かっていったようです。

 

こうして見ていくとなかなか複雑ですが、しかし「なるほど」と思う流れでした。確かに<葛藤>はキーワードでしたね。欲望と良心の間での葛藤を失うと、バランスを取る力も失っていくということですね。

 

ひいてはそれが他者との関わりにも影響し、地球全体のバランスもとれなくなるというのは、本当にそうだと思います。今の人類に足りないのは愛だと思っていましたが、葛藤だったんですね』

 

 

2019年6月25日

※朝から「ベンのテーマ」が背景でずっと流れている。

 

『<良心>に関しては、幼い頃からずっと持っていました。他者に対する愛は、私の魂から自然とわきあがるもので、そのための私なりの貢献として、芸術や社会活動はあるとも捉えていました。それは私には第1層がはっきりと意識されていたからではないかと思います。それが私の本質であり、最も深いところにある魂の輝きでした。

 

それを音楽として表現できた人生は、この上なく充実していました。アイディアやエネルギーはさんさんとわいてきて、創作する時の喜び、仲間や観客と一体になって音の波に乗ることは、私の魂の喜びでした。

 

超自我や自我理想という第3層の完璧主義もありましたが、ステージで作り上げようとする音楽世界は、美しさへのこだわりであり、それは第1層に由来するものであったように思います。

 

私はあのような環境で育ったにも関わらず、魂を腐らせなかったのは、葛藤できなかったからでもありました。超自我がそのまま保存されたように、私の魂の純粋性も分離しているからこそ他の層の影響を受けずに、子どもの頃のままを維持できていたように思います。

 

ですから<葛藤できない>という仕掛けは、私の場合は芸術家としての才能を引き出し、維持するためにも必要なことだったと、今やっと思えるようになりました。(※マイケルさんはここからずっと泣いている) 

 

2層ではそれによって闇を生み出しましたが、それを意識化して今のように第1層にまで至れば、それこそが私の特性であったと思うと、何が良くて何が悪いのか、そういう一義的な判断はできない<神のリーラ(遊び)>ともいえる仕掛けの妙が見えてきます。

 

ベートーベンさんのように自我によって自分を支えて、天とつながっていた芸術家もいれば、私のように子どものまま純粋に天とつながり、しかし闇も同時に抱えているという芸術家もいる。そう思うと、いろんな在り方があって、その多様性こそが全体としての体験を豊かにしていると感じます。

 

ここまで振り返れば、闇に落ちていったこと自体も、こうして振り返り解明していったことで多くの学びになりましたし、あれはあれで面白かったなと思えてきました。

 

私が自分を見ることを妨げていたのは、超自我でした。そして今、そのからくりがわかったところで、深い安堵を覚えています。すべてはあの世の私(=自分自身)によって仕組んだ、難易度の高い体験だったように思います。スターとしての脚光は快感でしたが、それによる様々な弊害(群がる取り巻き、お金、多忙)も、なかなかのスリリングな体験でした。

 

さて、ここまで見えてきたところで、死を迎えるその時、私の魂はどう思っていたのかを振り返ってみたいと思います。あの時、とても俯瞰した冷静な自分も同時にいる状況で、私はステージでリハーサルをしていました。体力的・精神的には底をつきかけていたのですが、ちょうど消えかけの炎が最後の一瞬にボッと発光するかのように、私の魂は死の目前であったことを悟っていたかのようにその輝きを放っていたといえます。それは余計なことは考えられない状況だったからこそ、無心にただひたすら<今、ここ>にいられたからでしょう。

 

そのリハーサルの映像を記録した「This is it」は、確かに50回の公演にまさる作品に仕上がっていました。そのような作品をこの世に残せたこと以上に、私は最後に再び、天とのつながりの中で歌えたこと、そのような<今>を、あそこにいたスタッフ、大切な仲間たちと共有できたこと、それだけでも魂は十分に満足していました。

 

何かを成そうとして大きなことをしなくても、魂というのは深い満足に至るものなのですね。それまでの功績に勝るとも劣らない、素晴らしい最後のひとときでした。

 

私の魂はそれで「もう十分だ」と思い、死を選択しました。肉体的には薬物による中毒死でしたが、魂的には満足しての死だったのです。それが今、やっと意識化できました。私が生きていた意味は、十分にあったようです(※さらにボロボロと泣いている)。

 

光と闇、その両方を抱えた今回の学びは、とても深いものでした。大きな目で見れば、私はそのような深い学びをするための人生を今回あえて選択し、全体にも貢献したといえるでしょう。よくやったな、と思います(笑)。

 

これが私の<人生回顧>でした。お付き合いいただき、そして多大なサポートをしていただき、ありがとうございました』

 

 

※彼はその後、新しい地球にとても楽しそうに向かった(軽快な音楽が流れている)。

 

 

 

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