人生回顧とは
以下は、書籍『死の向こう側 我々はどこから来てどこへ行くのか』三上直子著(サラ企画、2018)の中から、「人生回顧」について書かれている部分を抜粋したものです。
2.「死後の真実」
ON LIFE AFTER DEATH 1991、E.キューブラー・ロス著、伊藤ちぐさ訳、阿部秀雄解説、日本教文社、1995
「走馬灯のように「ライフ・リヴュー」(生涯の回顧)をおこなうのはこの段階である。自分の人生のすべてを、そこでふり返ることになる。
その人が生前におこなったすべての意思決定、思考、行動の理由が逐一あきらかにされる。自分のとった行動が、まったく知らない人もふくめて、他者にどんな影響をあたえたのかが、手にとるようにわかってくる。
ほかにどんな人生を送ることができたのかも示される。あらゆる人の命がつながりあい、すべての人の思考や行動が地球上の全生物にさざ波のように影響を及ばしているさまを、目の前にみせられる。
天国か地獄のような場所だ、とわたしは思った。たぶん、その両方なのだろう。
神が人間にあたえた最高の贈り物は自由意志による自由選択である。しかし、それには責任がともなう。その責任とは、正しい選択、周到な、だれに恥じることもない、最高の選択、世界のためになる選択、人類を向上させるような選択をするということだ。
生還者の報告によれば、「どんな奉仕をしてきたか?」と問われるのはこの段階である。これほど厳しい問いはない。生前に最高の選択をしたかどうかという問いに直面することが要求されるのだ。それに直面し、最後にわかるのは、人生から教訓を学んでいようといまいと、最終的には無条件の愛を身につけなければならないということである」
3.「輪廻転生 -驚くべき現代の神話-」
“LIFE BETWEEN LIFE”1986、ジョエル.L.ホイットン、ジョー・フィッシャー著、片桐すみ子訳、人文書院、1989
「人は死ぬと案内者に導かれて霊界へと至り、そこで、3、4人の老賢人を前にして、自分のこれまでの人生をパノラマのように見せられる。
その際、生存中は心の片隅に押しやっていた悔恨や、罪悪感、自責の念などのあらゆる感情を伴って鮮明に再演される。それら、自分の人生を映したビデオテープのようなものを見ながら、魂はきびしく自己分析をしていく。
つまり、自分自身が自らを裁くのであって、誰か他の審判者が裁くのではない。むしろ、裁判官たる老賢人たちは、罪を悔いる魂に、自責や不満の念をつのらせるようなことはしないで、人生のプラス面や前向きだった点を指摘して勇気づける。……むしろ、生徒たちを励まして過去の過ちから学び取らせてやろうとする、いつくしみ深い教師のように振る舞う。
回顧の過程で探り出した自己に対する認識をもとに、魂はつぎの転生をどのようにするかを決める極めて重要な決断を下す。しかし、魂はひとりで意思決定をするわけではない。決断するときには、裁判官たちの存在が大いにものをいう。
裁判官たちは、魂にはどのようなカルマの負債があるのか、またどんな点を学ぶ必要があるのかをふまえて幅広い助言を与える。……しかし、裁判官たちの助言を拒むのも自由であり、魂は自分に都合の悪い勧告を受けても無視することがある。
無計画に生まれ変わるのもまた一つの選択である」
11.「誰も書けなかった死後世界地図」
A Wonderer in The Spirit Lands 1896、A.ファーニス著、岩大路邦夫訳、山口美佐子(文構成)コスモトゥーワン、2004
悔い改めの国
「ゆっくり進みますと、私の目の前に過去の映像と、見知っている人たちの顔が現われました。これらの映像は、地上の旅人が見る砂漠の蜃気楼のように、空中に浮いているように見えました。
場面が次から次へと溶けては流れ去り、新しい場面が現われては消えてゆきました。私が出会い知り合った人が出てきて、彼らに向かってしゃべったのに自分ではすっかり忘れていた私の冷酷な考えや言葉(どんな打撃より強く鋭く堪えがたいもの)が示されました。それらは私を非難しているようでした。
私は、こうして周囲の人々を傷つけてきたことを知らされました。過去の私の何千というまったくくだらない考えや利己的な行動や、長いこと気にもとめず忘れていた、あるいは正当化していたものがすべて、私の目の前に現われたのです。
そうした場面が次から次へと現われてくるので、ついに私は圧倒されて、堪えきれなくなり泣き出してしまいました」
12.「タイタニック 沈没から始まった永遠の旅」
The Blue Island-Experiences of a New Arrival Beyond the Veil 1922、エステル・ステッド編、近藤千雄訳、ハート出版、1998
「死んでこのブルーアイランドに来ると、その全記録を点検させられます。ガウンを着た裁判官がするのではありません。自分自身の霊的自我が行なうのです。
霊的自我はそうした思念的体験を細大もらさず鮮明に思い出すものです。そして、その思念の質に応じて、無念に思ったり、うれしく思ったり、絶望的になったり、満足したりするのです。
その内容次第で、もう一度地上へ戻って無分別な心と行為が引き起こした罪を、大きい小さいにかかわらず、全てを償いたいという気持になるのも、その時です。
私が皆さんに、地上生活において精神を整え、悪感情を抑制するようにとご忠告申し上げるのは、そのためです。地上生活ではそれがいちばん肝要であり、意義ある人生を送るための最高の叡知なのです。
厄介なことに人間は、地上にいる間はそのことを悟ってくれません。そう言い聞かされて、内心ではそうに違いないと思いつつも、それが現実の生活に生かされていません。
皆さんの一人ひとりが発電所であると思ってください。他人にかける迷惑、善意の行為、死後の後悔のタネとなる行ない……どれもこれも自分自身から出ています。そうした行為と想念のすべてが総合されて、死後に置かれる環境をこしらえつつあるのです。寸分の誤差もありません。
高等な思念(良心)に忠実に従ったか、低級な悪想念に流されたか、肉体的欲望に負けたか、そうしたものが総合されて、自然の摂理が判決を下すのです。
地上時代のあなたは、肉体と精神と霊(自我)の三つの要素から成ります。死はそのうちの肉体を滅ぼしますから、霊界では精神と霊だけとなります。ですから、地上時代から精神を主体にした生活を心がけておくことが大切なわけです。
むろん、常に選択の自由は残されていますから、やりたいことを好き放題やって、借りは死後に清算するよ、とおっしゃるのなら、それはそれで結構です。今まで通りの生活をお続けになるがよろしい。しかし、いったんこちらへ来たら、もうそれ以上は待ってくれません。このブルーアイランドできれいに清算しなくてはなりません」