立花隆<あの世>でのインタビュー3 霊媒と霊能者:D.D.ホーム×シュタイナー×伊藤正男

 

2021年1017

立花 『地上から次々とテーマを振っていただけるので、ありがたいと思っています。インタビューというのは、<無知の知>に根差して行いますが、天界にいるとワンネスで「ある程度わかる」という感覚の方がどうしても強くなり、「この組み合わせで、このテーマで話してもらってはどうか」という<設定>は、なかなか思い浮かびません。それは、肉体脳をもつ地上の方でなければできないことなのでしょうね。

 

ということで、今回はD..ホームさんとシュタイナーさんと伊藤正男さんのお三方に、「霊媒と霊能者」というテーマでのインタビュー、どうなるでしょうか。楽しみにうかがってみたいと思います。

 

まずはホームさんをご存知ない方もいるかもしれませんので、軽い自己紹介も含めて、どのような霊能力を発揮しておられたのか、教えていただけますか?』

 

ホーム 『はい、私は1833年にスコットランドで生まれ、9歳から米国で暮らしていましたが、22歳からはまた英国に戻りました。シュタイナーさんの生まれは1861年ということですから、割合近い年代に生まれていたようですね。その時代は霊能者がやたら多く出現しはじめていました。

 

宗教、哲学、音楽、絵画、科学など、時代ごとに天界が主導して優秀な人材を集中させ、一挙に投入してその分野を開花させるということはよくあります。私たちが生まれた1920世紀にかけては、霊能開花の時代だったと言ってもよいかもしれません。それはシリーズ1書籍「あの世とこの世の仕組み」)の要でもある、霊的世界の物理的証明がまずはなされた上で、様々な霊能者が<あの世>からのメッセージを降ろしていく流れがあったからです。

 

フロイトさん、ユングさんによる心理学の分野でも、心の内界として、個人的無意識、集合的無意識が発見されたのは、その流れの中でのことだったと思います。結局、霊能者が心霊学の分野を担当し、あの世とこの世をつなぐことを心理学が担い、それらの情報を最終的には体系化して、この世の唯物主義に傾いている時代に、見えない世界の存在を確固として提示する、という壮大な天の計画があったのです。

 

その流れの中のはじまりに私は位置し、空中浮揚、(離れたところからの)楽器の演奏、霊の物質化などをはじめ、様々な目に見える霊的現象を起こしていました。それをクルックスさんなどの科学者に、科学的に証明してもらうという役割を担ってもらいました』

 

立花 『一度も不正をしたことがないということですが…』

 

ホーム 『不正のしようがないんです。自分の力ではとうていできないことばかりで、これはもう天の力がなしているとしか思えませんでした。自分でビルの5階の窓から出て、隣の部屋に行くなんてこと、できるでしょうか? ですから、最終的に身をゆだねるしかなかったのです』

 

立花 『なるほど。シュタイナーさんはホームさんより後にお生まれになって、その活躍をどのように見ておられたのでしょうか?』

 

シュタイナー 『ホームさんだけは本物だというのは、私たちの周囲でも言われていたことでした。誰しも最初は純粋につながるものですが、それにあぐらをかいて優越感や万能感がわき、依存心も出てくる。するとつながり先は低次に変わっていくというのは、その時代にも多く起こっていることでした』

 

立花 『シュタイナーさんは、それを見てどのように思っておられたのでしょうか?』

 

シュタイナー 『「やってらんねー」というのが正直な気持ちで()、そういう物理的証明は低次の霊能力なのだ、と思うようになっていきました。実際に、最初に関わっていた神智学の中でも霊媒の不正や権力闘争を見ていて、「私は私でやっていくしかないな」と思ったのです。

 

そして私のつながり先というのは、はじめから天界にスコーンとつながっていたので、いろいろなことに巻き込まれず、自分の使命を果たそうと思いました。しかしその意固地になった部分と非協調のスタイル、そして自分の世界観での言語使用が、男性的な「かっこつけ」だったなというのは、人生回顧をして気づいたところです()。まぁでも、与えられた役割を担うという点においては、割と純粋にやった方だなと思います』

 

立花 『確かにそうでしょうね。ホームさんとシュタイナーさんは、霊能力という面では随一で、なおかつそれをぶれずにやり通せた稀有なタイプのお二人であったということですね』

 

ホーム 『あ、あの…。基本的にはそうだと思いますが、私とシュタイナーさんは何かが違うような…。「アーリマンとルシファーの話」など、どうでもいいことまで語りすぎたというところは、人間ぽさを感じていますよ()

 

シュタイナー 『あ、ばれました?() 私はどちらかといえば、直観を思考力で組み立てたところもあるので、100%が降りて来たものというわけではなかったですね。通り道に徹していたホームさんとの違いはそこで、確かに当時の時代的観念を私が持っているために、歪めたところはあったと思います。何事も完璧とはいかないもので、そこはお許しいただけるでしょうか?()

 

ホーム 『はい()。自覚なさっているのであればもちろんです。私は不正をあばくための活動を、霊媒リタイア後はしていたくらいですので、そういうところは厳しく見てしまうんです、すみません()

 

シュタイナー 『その厳しさが、ご自身にも向けられていたから、あれだけ純粋な通路に徹することができたのでしょうね。逆に、「これくらいは許されるだろう」という高を括る姿勢は、やはり霊媒の傲慢さにつながっていく起点だと思います。ご指摘ありがとうございます』

 

立花 『伊藤さんは、どのようにこのお二人の話を聞いておられたでしょうか?』

 

伊藤 『お二人の違いが顕著で、面白いなと思って聞いていました』

 

立花 『どのような違いでしょう?』

 

伊藤 『ホームさんの場合、完全に霊体脳優位で、通り道に徹する霊媒型ですよね。それに対して、シュタイナーさんの場合、肉体脳としての自我の機能もかなりしっかりとおありで、霊体脳と肉体脳の組み合わせで、降りてきたものを統合しておられる、自我のある霊能者型のように感じました』

 

立花 『霊媒と霊能者は違うということですね』

 

伊藤 『違いますね。霊媒の場合、感応力が抜群ですから、守られた中でゆだねると、通り道としてその力を存分に発揮できます。ホームさんの交霊会も、審神者のクルックスさんや参加者の霊力が合わさった状態の時ほど、空中浮揚など、目を見張るものになったはずです』

 

ホーム 『はい、天の力だけでなく、審神者や参加者の力も大きく働いていましたね。何も起こらないという時もあり、そういう時は審神者もおらず、参加者の質もよくない時だったと思います。場の力というのも、とても大きな要因だったと思いますね。それにうまく感応していた私はいます。1人の時は、何か起こったとしても、小さなことしか起こらなかったので。

 

しかし、私は今の霊媒の方々のように、自我が極端に弱いということでもなく、昔の人間関係の中で普通に愛されて育っていたので、第2層(無意識的自我)が未浄化なまま混沌とした状態にある、ということはなかったのでしょうね』

 

立花 『第2層の心の闇がどれだけクリアになっているかが、霊能力を純粋に発揮するための土台になるということですね。シュタイナーさんは、それについてはいかがですか?』

 

シュタイナー 『私とホームさんは、すでに解脱して天界にいたところを、役目を担って地上に生まれた組でした。ですから、なるべく<心の闇>ができないような環境(両親の選択を含めて)を選んだという前提が、まずはありました。


その上で、二人とも指導霊からの厳しい指摘を、ここぞという時には聞いていたので、つながるレベルを保てたところはあったでしょうね。そして私は、自我もしっかりとありましたので、自分の内面を見ていきながら、第3層→第2層→第1層と掘り下げていき、魂に至るプロセスを歩んだタイプでした。

 

その過程では、「第2層の<心の闇>の最下層には、自分でも嫌悪してしまうほどの醜い自分がいて、その自分と向き合い、受け入れてこそ、さらに内奥の魂に至ることができる」ということを、生前も本にも書いています。

 

<心の闇>を見ないことには、本当の意味で魂に至ることはできない。一瞬調子よく覚醒しても、結局は第2層の<心の闇>とつながった幽界に、つながり先が落ちていくということは、とてもよく分かります。そして現代は昔にもまして、その傾向があるようです』

 

立花 『シリーズ3では、全体的に自我の発達停滞が起きているという現状が明らかに示されました。それは戦後、夫は仕事にとられ、なおかつコミュニティも喪失している中で、母親が<母子カプセル>の中で孤立した育児を強いられていること、またテレビやビデオ、ゲームやスマホなどの機械漬けの中での子育てなど、様々な要因の中で、子どもたちは健全な自我発達ができない環境となったようです。その辺も踏まえて、今、霊能者の脳に何が起こっているのか、伊藤さんご説明いただけますか?』

 

伊藤 『昔の霊媒というのは、意識のない催眠状態になって様々な現象を起こすのが一般的だったので、そうなると一人ではとうていできないために、必ず審神者的な役割をする人がついていました。審神者はその場を守り、霊媒のつながり先を理性的・直観的に判断し、コントロールするという役割でした。

 

しかし今は、霊媒自身の意識がそれなりにある状態で、<あの世>とつながる人が多くなりました。しかし、残念ながらそれは、シュタイナーさんのように自我が確立している状態ではなく、自我発達がどちらかといえば幼い人が多くなっているようです。自我が幼ければ、本来は成長につれて幼児期に閉じてしまう第1層の直日ルートを、そのまま使えてしまうからなのです。


直日とは、神とつながっている意識の通り道で、普通はシュタイナーさんのように、第3層(意識的自我)→第2層(無意識的自我)→第1層(霊的自我)→(4次元の)直日と、第2層の<心の闇>を浄化して超えていかないと、第1層にまで意識が及びませんし、ましてその中核の直日につながることはできません。しかし、脳が幼ければ、生まれた時に使っていた(3次元の)第1層の直日のルートがそのまま残っているので、無自覚に<あの世>とつながってしまうのです。

 

それは、ホームさんのように霊体脳優位でつながる霊媒体質といえばそうなのですが、かつてのように多様な人々と関わりながら、それなりに健全な自我が育っていない場合は、第2層の<心の闇>は深くなってしまい、その結果、高次元の<あの世>と思っていても、より低層の幽界とつながってしまう、ということになってしまいます。

 

幽界の霊は、今では体に憑依するという原始的なやり方ではなく、脳科学の進歩とともに脳を操作する方法も心得るようになりました。幽界の霊は、第2層の小脳の自動反応をうまく使って、さまざまなビジョンやインスピレーションを送り、時にはドーパミンの放出まで操作しながら、脳を裏からコントロールして、人生を並走していくようになっていったのです。成熟した自我が育っていない場合は、心の中での葛藤をさけて快感や直観で動くことも多いため、幽界の霊にコントロールされやすかったのでしょう。

 

つまり、車で例えるならば、それを運転しているのは本人なのですが、後部座席には幽界の霊がいつも座っていて「次は右、その次は左」とささやき、それを本人は自分がそう思っているのだと信じて、それに従って運転している、という状態なのです』

 

立花 『それは、本人の自覚がない中で、そうなっているのでしょうか?』

 

伊藤 『人によってさまざまで、半ば意識的に利用している人もいれば、まったく無意識的にコントロールされている、という場合もあります。しかし、そこに頼ってパワーを得たいという<依存欲求>と、そのパワーによって周囲を支配したいという<支配欲求>とが、人間側の無意識層にあるために、結局はお互いに<利>を得て、離れがたい関係性になっているのでしょうね』

 

立花 『この問題、何とかならないのでしょうか?』

 

伊藤 『もはや無理なんでしょうねえ。そのためにリセットが決まった、ということでもあるようですから。「やればできる」をモットーに育ってきた現代の私たちにとっては、その「限界を受け入れる」というのが一番難しいことですが、ここは潔くそれを認めないといけませんね。そのような幽界との結託の問題は、今や数的にも圧倒的に多くなっていて、幽界の闇を濃くしている主要因でもあるからです。

 

しかし、その結託を断ち切りたいという意志のある人は、そこから抜け出す方法はない訳ではありません。それは、まず自らの魂の声に耳を澄ますことです。たとえ心の第2層と幽界がつながっていたとしても、第1層(魂)までもそれに侵食されているわけではないからです。

 

誰にでも魂はあり、そこは神とつながる喜びや、愛、良心、好奇心に満ちています。自分の中心というのは、その魂であり、とても美しい光を放っているものなんですよ。ありのままの自分を受け入れましょうというのは、第2層の影の部分だけではなく、その最も神聖な光に満ちた第1層の魂のことも含みます。光も影も、どちらも内在しているのが私たちの心ですから、より深い<光>の部分に意識を向けていけばよいのです。

 

そのように第23層との葛藤を超えて第1層を選び抜けば、過去の観念でできた影はサーッと消え、今の魂の光が自分を包み込んでくれるのではないでしょうか。普通はそのような光は見えませんが、特に霊能者の方々は、ビジョンとしてそれが立ち現れることも多いでしょうから、恵まれていますよね()

 

ホーム 『わかります()。実は霊媒というのは、本来は光やエネルギーを天から受けているように思います。また、耳を澄ませば<かそけき声>であっても、天からのメッセージや何らかのビジョンも送られていることが多いのではないでしょうか(もちろん霊能者に限らず、すべての人に現実を通して、天は様々に働きかけているとは思いますが…)。

 

そのような天からの働きかけを受け取るには、まずは人間としての自分の限界を認めて、謙虚に天に祈ることです。それが心からのものであれば、天からのエネルギーが魂を通って、自らを至福感や充実感で満たしてくれます。

 

私は無理をして、自己犠牲的に霊媒をしていたわけではなかったんですよ。確かに自分に厳しくもありましたが、それはより深い魂の喜びを得るためだったのです』

 

立花 『ホームさんは、霊媒として通路になることに、そのような喜びを感じておられたのですね。シュタイナーさんはいかがでしたか? どのようなモチベーションで、霊能力を使われていたのでしょう?』

 

シュタイナー 『私の場合、約束(使命)を果すぞという覚悟が、まずは大きかったように思います。しかしそれ以上に強いモチベーションは、降りて来る情報に「これはすごい!」と感動し、「もっと知りたい!」と好奇心がわき続けたからだと思いますね。

 

自分の頭では到底考えられないような壮大なことばかりで、それらをしっかり体系づけて地上に降ろすことが、私の役割であろうと思っていました。しかし、難解すぎて分かりにくいというご批判は、ごもっともでした。自分独自の用語を使ったことも、男性的な権威づけという面があったと思います。

 

審神者をつけて、内容を精査したものを人類全体の叡智にしてもらえるよう、よりわかりやすい共通言語で語ればよかったですね。今思えば、確かにそうです。これが、女性だったら、そこは変わっていたのかもしれませんね()

 

霊能力というのは、その扱いにはとても注意がいるもので、男性の教祖というのは私のような失敗をしやすい面もありますよね()。しかし、その苦労や難題を乗り越えて、特性をいかんなく発揮できた時には、その喜びはもちろんのこと、神の叡智に感動し、好奇心を満たす楽しさも、存分に味わえるように思います。その面白さは格別なのではないでしょうか』

 

立花 『シュタイナーさんは、使命感と好奇心からの面白さですか。霊体脳と肉体脳を駆使した<無知の知>での、あの世の探究でもあったということですね。その楽しさはとてもよく分かります。お二人の話をお聞きしていると、霊媒や霊能者のやりがいが明らかになったように思います。では伊藤さん、最後に一言、まとめをお願いできますでしょうか?』

 

伊藤 『この時代に霊媒・霊能者として生まれたからには、その力とどのように向き合い、正しく発揮していくかというのは、一つの試練だといえます。それは<自分のため>にその力を使うのではなく、<人のために>使えるか、ということです。みなさんがその特性を、魂の願いにかなった形で発揮されることを、切に祈っていますね!』

 

 

 

 【目次】へ戻る