立花隆<あの世>でのインタビュー5 進化論と人間の特殊性:A.R.ウォレス×渡部昇一

 

2021年11月4日

立花 『地上から指定していただくテーマと人選が毎回秀逸ですので、その分、このインタビューに深みが添えられるように感じます。今回のテーマは「進化論と人間の特殊性」で、お相手はダーウィンに消された男で有名な()、イギリスの生物・人類学者のウォレスさんと、上智大学教授の最後の講義で「科学からオカルトへ」と題してウォレスさんについて語るほど、彼を研究しておられた渡部昇一さんに、お話を伺いたいと思います。

 

実は私も進化論は生前興味を持って読んでいましたが、それはやはり一般的にも有名なダーウィンの論として認識していました。それはウォレスさんと何が同じで、何が違っていたのか、今回詳しくお聞きしたいと思います』

 

ウォレス 『私自身は、ダーウィンさんに消されたとは思っておらず、どちらが早く発見したかという知的優先論争にもこだわってはいないんです。それは3次元における世間的な名誉にこだわるかどうかの話なのでしょうね。本来、知識は誰かに優先権や所有権を与えられるようなものではなく、共有財産だと思っています』

 

渡部 『この謙虚さが、私がウォレスさんに惹かれた理由です。寛容ですよね』

 

ウォレス 『ところが、そこにはこだわらないというだけで、自分の信念は頑として貫く方なんです()

 

立花 『どのような信念だったのですか?』

 

ウォレス 『事実に則して、ありのままに見るということです』

 

立花 『ウォレスさんは進化論のように科学的な研究もされている一方で、心霊研究もされていましたが、著書「心霊と進化と~奇跡とスピリチュアリズム~」の中でも、「事実は頑固である」とおっしゃっていますね。

 

「心霊現象を科学的に検証したところ、それを認めざるを得ない事実が立ち現れ、その厳然と実在するものを無視するのは科学者の良心が許さない」ということで、学者としての地位を損なう羽目になっても、それを発表されたということですが…』

 

ウォレス 『私たちが生きた19世紀後半は、クルックスさんをはじめとして、霊的現象の科学的検証がなされている時期でした。私もその科学者の1人として、交霊会に参加しました。私も最初は堅固な唯物論者でしたので、霊的現象を目の当たりにしてからは、幾度もそれを厳密に検証することに没頭しました。それよって、最終的に「事実は頑固である」ということで認識を変えざるを得なかったのです。

 

つまり、実験的な証拠の積み重ねによって理性的に納得したからであり、信仰心からでも死への恐怖からでもありませんでした。心霊現象はあげるときりがないほどで、多くの科学者によってかなり厳密に調査されています。物質の移動や浮遊、霊の物質化、そして霊媒による入神談話など、それら1つ1つ証明されていく現象を総合的に考えるならば、「死後にも霊魂は残る」と確信したのです』

 

立花 『進化論と霊魂の存在証明。どちらも事実を丹念に見ていくによって明らかになったという、科学的なスタンスからの見解だったわけですね』

 

ウォレス 『そうです。しかもその2つは見事に関連性までありますよね。「進化論」に関しては、<動物の進化>という点ではダーウィンさんと同じ見解で、部分的な進化を繰り返していくうちに、別種として環境に適応した種が残るという<自然淘汰>を説きました。

 

ただし、サルから人間に進化していったという点に関しては、私は明確にNОと言いました。人間には霊魂が与えられ、その点において動物とはまったく異なると考えたからです』

 

立花 『そこをもう少し詳しく教えてください』

 

渡部 『その点の論議は、ウォレスさんの死後に明らかになったことでもあるので、私の方から説明させてください。そもそも「種の起源」を書かれたダーウィンさんは、動物が進化する時の別種になるための理論は、20年間研究していてもまだ突き止めてはいなかったのです。ウォレスさんはマレー諸島で昆虫採集していると、同じチョウでも少しずつ変化していって、しかもその変種が同時期に存在していることがわかったのですよね?』

 

ウォレス 『はい。渡部さんは私の自伝を書いていただいたほど私に詳しいので、代わりに話してもらえれば助かります()

 

渡部 『私も使命感をもってウォレス研究をしていましたから()。…そしてここからは私の推論だったのですが、ウォレスさんは微分を学んでいたので、多彩に変異していく中で適応するものが残るということを繰り返すうちに、ポンと別種が生まれてくると考えられたのではないかと思ったのですが、いかがでしょうか?』

 

ウォレス 『確かにそうでしたね。つまり、ずっとグラデーションで変化していくということでもないんですよ。突然ポンと別種と呼べるものが生まれ、そちらの方がより適応的であれば、それが残る。突然変異というのは、分岐を繰り返すとある一定の割合で出てきます。それは微分でいうところの、永遠に微分して0に近づいていく時、限界にまで行くと質的変化がおこる飛躍である、といえるのでしょうね』

 

渡部 『良かった。一つ推測が当たりました!』

 

立花 『ものすごくうれしそうですね』

 

渡部 『はい。いろいろ確かめたいことがありましたし、このようにウォレスさんと同じ席上にいさせてもらえるだけでも、こんな光栄なことはありません()。で、その論文を手紙でダーウィンさんに送ったというのが先ほどの優先権の問題で、それはともかくとして、ダーウィンさんはその進化の果てに、サルから人間になるのだと考えました。

 

しかし、それは化石などでの証明はされていなかったのですが、20世紀初頭にサルと人間の骨格をちょうどつなぐような<ピルトダウン人>が現れたのです。それを世界中の人類学者が研究した結果、世界最古の人類として認められることになりました。

 

しかしその中でもウォレスさんはただ1人、「そんなはずはない」と主張した。結局、ウォレスさんはその後すぐに90歳で亡くなりましたので、ここからが私が本来語るべきことです()

 

20世紀後半になって、化石年代を特定するための炭素測定法という技術が発展し、再度調査がなされました。するとそのピルトダウン人の白骨は、人間の頭蓋骨とサルの下顎を人為的につなぎ合わせたものだった、ということが分かったのです。

 

サルから人間に進化したとしたら、その中間の進化形態の白骨が見つかるはずです。これだけあらゆる動植物の化石が見つかり、その進化の連関が系譜として突き止められている中でも、そのサルから人間のところだけが、いまだに証拠が見つかっていないのです。以上が私からの報告です()

 

立花 『ありがとうございました。ウォレスさんがNОと言われた根拠の「サルから人間に進化したのではない」と思われていた理由は何だったのでしょうか?』

 

ウォレス 『部分進化を繰り返して別種になっていくのは、体においてなんですね。その環境に適応するというのは、生存にとっては必須なので、動物は絶えず環境の変化に応じて部分進化を繰り返します。

 

しかし人間というのは、ホモサピエンスになってから体の部分進化はほとんどしていません。環境に適応して生きるという動物としての進化はほぼ終わり、脳の進化の段階に変わったということです。

 

サルと人間は、進化の程度の差ではなく、明らかな質的な差があり、違う脳の仕組みが取り入れられています。先ほどのスピリチュアルな探究で分かったように霊魂があるのも人間だけですから、人間のみは、動物の進化の延長線上にはないと確信していました。だから、サルと人間をつなぐピルトダウン人が発見されたとしても、「それはありえない」とNОを示したのです』

 

立花 「脳はどのように進化したのでしょうか?」

 

ウォレス 『一般的には大脳が発達したと思われるでしょうが、もちろんそれはあるものの、一番は人間にのみ霊体脳が与えられた、つまり霊魂が与えられたということです。霊というのは、神につながる<あの世の私>を指し、それが〈この世の私〉の脳に宿ったものが霊魂(=魂)です。

 

私がスピリチュアリズムで確信した<死後も存続する霊魂>が、人間には個別に与えられた(=霊体脳をもった)ということが、動植物の進化論の延長線上には置かれない人間の特殊性だということです』

 

立花 『日本では「万物に霊魂が宿る」と言われますが…』

 

ウォレス 『それは神の創造物であれば、石だろうと動植物だろうと、神の意識がそこに流れてきているという意味です。しかし、神と同じく個別の霊魂を持っているのは、人間だけです。そして、人間のように「主体性をもって」その意識を使いこなすために、「言葉」が与えられたのだと思います』

 

渡部 『私も、言葉は人間を人間たらしめるための最も重要な要因ではないかと考えていました。パスカルのいう「人間は考える葦である」や、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」、カントの「人間の本質は理性が存在することだ」というのは、いずれも言語があるからこそ成り立っていると思ったためです。そして、言葉は時間と空間も生み出すことができました』

 

立花 『「言葉は時間と空間を生み出す」ということについて、もう少し詳しく教えてください』

 

渡部 『人間は、1年前のことも、10年前のことも、138億年前のことも、そして未来のことも同様に、言葉による認識で時間経過を把握することができるようになりました。しかも、「あの星まで100光年ある」と言えば、(実際に見える)身の回り以外の空間についても、はるか彼方まで想像できるようになりました。

 

そして書き記された言語になれば、過去に生きた人の思想をも時代を超えて引き継ぎ、それを蓄積していくこともできますし、もっといえば<あの世>の人との交信も、今こうして言葉でやり取りがなされていますので、まさに時空間を超えていますよね()

 

立花 『確かに、この<天地の対話>自体が、言葉で時空間を超えている証明ですね()

 

ウォレス 『それに内的世界でいえば、感情のみならず霊魂のことも、このように言葉があるからこそ意識化できるのではないでしょうか。言葉があると、神などの目に見えない抽象的な存在さえも、意識化することが可能になります。

 

また<私>という言葉があるからこそ、自分を永続する個的存在として認識することもできます。ですから、霊魂(霊体脳)と同時に、それを認識するための言葉(肉体脳)も与えられたのが、人間の特殊性だといえそうです』

 

渡部 『まさに、「はじめに言葉があった。言葉は神と共にあった。神は言葉であった」というのは真実だったということですね』

 

立花 『そういうことですね! しかし、サルから進化したのでないならば、人間はどうやって生まれたのでしょうか?』

 

渡部 『私はそれを、クォンタムリープ(量子学的飛躍)ではないかと推測していました。従来の物理学では、物は連続して変化する因果関係のしばりがあったのですが、量子力学ではその変化が不連続になります。つまり、どこかでピョンと飛躍的な変化をする。人間に霊魂が入った時も、それが起こったと考えていたのですが、いかがでしょうか?』

 

ウォレス 『そうとしか、考えられません。人間への進化というのは、動物からの連続的変化では起こり得ない飛躍だからです。量子力学は、内的世界の<今>をも捉えた物理法則であり、時間経過に縛られていないですからね。その内的世界で創造されたものが、ポンと外的世界にひっくり返って立ち現れるというのは、あるのではないでしょうか。

 

人間の誕生というのは、そのような宇宙の誕生の時と等しい飛躍的なことであったように思います。つまり、人類の誕生のプロセスは、3次元の(古典力学的な)物理法則には当てはめられないということです』

 

立花 『5次元から3次元に徐々に物質化したのではないか、という人もいますが…』

 

ウォレス 『そのように表現もできると思います』

 

立花 『いずれにしろ、人間のみが神を象った三層構造の脳が与えられ、<この世>の肉体脳から幽体脳、そして霊体脳へと意識を伸ばしていけるようになったということですね』

 

ウォレス 『そうです』

 

立花 『これまで個別に与えられたのは、自我だと思っていましたが…』

 

ウォレス 『個別に与えられたのは霊魂です。人間は神の分霊というほどですから、魂が個々にあるというのが、この地球人類の特徴です』

 

立花 『ということは、神とのつながりはその霊魂にあるのだから、スピリチュアリズムでその霊魂が死後も存在していると科学的に証明されたということは、非常に大きなことでしたね』

 

ウォレス 『そうなのです。<あの世>と<この世>の接点となるのが、霊魂ですから』

 

渡部 『お話を聞いていて、私が霊現象の物理的証明に関して、何となく腑に落ちていなかった理由が少し分かってきました。私自身は「魂はある」と思っていたし、その物理的証明も「なるほど、そうなんだな。奇跡的な現象というのはあるよね」とは思っていたのです。しかし、「それはそれ、これはこれ」という感じでバラバラになっていて、それが私の思う神とうまくつながらなかったのです。

 

ところが、お2人は、魂は神との接点だとおっしゃいましたよね。私の中では神は神としてあり、私の魂もそれはそれとしてあるという感じで、そこがつながらなかったのだと思いました』

 

立花 『神を外在神であると思っておられるのでしょうか?』

 

渡部 『あぁ、確かに外在化していました。キリスト教というのはそうなんですね。神と人との間には、明確な線引きがあります。内在化して神を考えれば…、うーんでも私の魂は、神の分霊というほどには完璧でないように感じます』

 

ウォレス 『スピリチュアリズムでは、今はまだ未熟な魂であっても、全知全能の神に向かって永遠に向上進化していくことが目標とされていました。それはそれで、ある段階までは正しい解釈でした。

 

しかし「では、全知全能の神が分霊を作ったのは何故なのか?」という疑問は、そこには潜在していたのですよ。そして、人類の誕生の謎を考えると、どうしてもその問いに突き当たるんですよね。

 

そこから展開すると、「人間に言葉と(自らの分霊としての)霊魂を与えて、神は何をしたかったのか」ということになります。それはやはり、「まだ知らないことを知りたい、学びたい」ということだったのではないでしょうか。するとさまざまな分霊を創った根源の神というのは、<全知全能>ではなく<無知の知>を分かっていた、ということになります』

 

渡部 『いや~! 目が飛び出そうです。神は<全知全能>だと思っていましたから。でもそのように根源の神を<無知の知の神>だと考えると、分霊の理由も筋が通りますね。いろんな個性を体験し、それを学びにしたかったということですもんね』

 

立花 『渡部さんも知の巨人と言われるほどの探究心がおありだったということは、好奇心が旺盛だったのでしょう?』

 

渡部 『まさに、そうです』

 

ウォレス 『私も()

 

立花 『それこそ、<無知の知の神>の分霊らしい3人ですよね。ちなみに外の世界ばかりに好奇心を向けるのが男性とのことです!(苦笑)』

 

渡部 『確かに!!』

 

立花 『では最後に、「進化論と人間の特殊性」について、ウォレスさん、簡単にまとめていただけますか?』

 

ウォレス 『生命は、植物や単細胞生物などの時は、外界に無意識的に適応するだけでしたが、次第に脳を持って外界を認識するようになり、その後は感情を持つ動物も現れました。それは連綿とした部分進化の系譜の中で、より環境に適応するものが残っていく、自然淘汰が行われた結果でもありました。

 

ただし、生命が現れた時、外界を認識する脳を持つようになった時、一部の動物のように感情も感じる脳を持つようになった時というのは、進化論的には大きな飛躍がありました。

 

そして、その飛躍が群を抜いて大きかったのが、人間が誕生した時でした。それは従来の進化論では説明がつかないほどの質的な変化で、それは神の分身として霊魂(霊体脳)が与えられたからだったのです。

 

生命は、より複雑化するに従って新たな脳機能を獲得していったのですが、動物までの進化はあくまで生存と種の繁栄のための肉体的進化の段階だったのです。しかし、人間に至ればその段階を超えて、肉体ー幽体ー霊体という三層の脳をいかに発達させられるか、という段階になりました。

 

それは同時に与えられた言葉によって、それぞれが自己や他者や世界と主体的に関わり、その様々な体験をいかに学びに変えていけるか、ということが新たなテーマになったということです。

 

それは<無知の知の神>の分身としての霊魂を与えられたことによって、<この世>と<あの世>をつなぐ第13層の脳が完成した。また、それと同時に言葉が与えられたことによって、時空間を超えることが可能となり、内界と外界を認識し統合していけるようにもなった、ということです。このように、神とつながる霊魂があることこそが、動植物の進化とは質的に大きく違うものなのです。

 

霊魂は誰にでも、例え未開の地の先住民であっても、等しく個別に与えられています。そういう人たちは文化的・物質科学的に遅れていると見られがちですが、魂に宿る良心や愛という点では、むしろ文明人よりも高い資質を持っているように感じられる体験は、多々ありました。

 

物質世界(この世)を絶対視する唯物思想が中心となってからは、<あの世>と<この世>をつなぐ霊魂の存在は徹底的に否定されるようになり、それを打ち破るために、19世紀後半からの霊的世界を科学的に証明するという一大運動が、天界のはからいで行われていました。

 

しかし、残念ながら私たちの期待に反して、それらの結果は見事に葬られてしまったのですが、個別の霊魂が肉体の死後も存在するのを科学的に証明することは、<あの世>と<この世>(天地)のつながりを取り戻すために、本来最も重要なことだったのです。

 

それゆえ、結局今は、このように物質主義・科学主義・拝金主義一辺倒の世界になってしまったのではないでしょうか』

 

 

 

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