立花隆 <因果応報の法則>についてのまとめ
書籍:「天地の対話」シリーズ3 『新たな地球への遺言』に収録
2021年7月17日
「立花さんは生前、〈因果応報の法則〉をどのように思っておられたでしょうか?」
『因果応報は、科学的思考からして当然そうだろう、というスタンスでした。例えば「卵が割れた。その原因は自分が卵を落としたからだ」、「地球が温暖化している。その原因は、CO2排出量が増えたからだ」という思考回路でした。それは因果律としての自然法則というか、時間経過、それによる物理的変化とその関連性という意味で、原因と結果は常にセットで考えるところがあったということです。
だから何かあっても「まぁ、自分が蒔いた種だから仕方ないな」と、人や環境のせいにしたりすることは、あまりなかったように思います。何をどう選択するかは自分次第であり、その選択に責任をもって自力本願で生きていく、というスタンスでした。
おそらく、科学者もそうだと思いますが、知的好奇心で人や世界に興味をもって研究活動をしている人は、自分の心の中(第2層)が割と単純なのだと思います。知的好奇心に集中できるように、そういう生育環境をあえて選んで生まれたので、第2層の無意識層にはそれほど引っかかりをもっていないんですね。
だから第3層の客観的事実をそのまま「なるほどな」と受け入れていけるのではないでしょうか。因果律というのは、科学的な目で見れば事実として明らかな因果関係ですので、「そういうもんだろうな」ということで、私もそれを自然に受け入れていたということです。
ただし、みなさんがいう〈因果応報の法則〉と違うのは、生前の私のようにその法則を第2~3層の〈この世〉の因果で捉えているか、みなさんのように魂(第1層)を含めて捉えているかの違いだったと思います。
私は第2層の面までは考慮していて、「自分がこういう点で相手の気を悪くさせたので取材を断られたのだな」という、心の部分を含めて因果を考えてはいましたが、第1層の〈魂の願い〉までも含めて考えてはいなかったということです。
ただ、超自我「人のために~すべきだ」という正しさの観念はあったので、魂はどうかをあまり考えていなくても、それにあまり反しないような行動を取り、自己中心的にならないようなブレーキにはなっていたと思いますね。
しかし、本来の〈因果応報の法則〉というのは、第1層の〈魂の願い〉を動機とした行為は〈善因〉となり〈善果〉がもたらされる。逆に魂の願いに反した行為は〈悪因〉となり〈悪果〉がもたらされるということですよね。それはある意味、非常に洗練された高度な法則だと思いました。
なぜなら、社会通念や常識に反しないよう、超自我で判断をするとしたら、およそみな一律の正しさを基準にできますよね。例えば、「人を殺してはならない、モノを盗んではならない、父母を敬え、姦淫するな」という、いわゆる十戒を守っていればいいわけで、それはあまり考えなくても、そういうところだけ行動セーブをすればいい、という単純な話になる。
しかし、〈それぞれの魂にとっての正しさ〉に従うかどうかが、その〈因果応報の法則〉の真髄であるとするならば、宇宙人のるつぼと言われる、様々な霊的成長度の人が混在したこの地球では、その魂の正しさは78億通りある、といえるからです。
しかもその人の環境や心理状態、その時の成長度などの諸々の要素まで考慮していくと、その人のその時の〈魂〉にとって何が正しいかというのは、一概には言えません。まさに「その人の魂にしか、何が正しいかは分からない」ということになるはずです。
なおかつ、その結果としての現実は、〈あの世の私〉が投げているものだ、ということですよね。そうなると、その人の状況をすべて見通した上での、因果応報の結果としての現実、あるいは次の課題としての現実を、〈あの世の私〉は全部見透かした上で、投げているということでしょう? 地上の自分が、その現実にどう応えて行動するかということで、またその結果が現実として返ってくる。
このように〈因果応報の法則〉は、ただ第2~3層レベルで捉えているところから、それぞれの魂の正しさという面を含めて考えるところまで、さらには〈あの世とこの世のキャッチボール〉によって、この現実はリアルタイムで作られているのだというところまでも、広げて捉えていくことができます。
それは、その人の自我が、どこまで意識を拡大して世界を捉えているかに比例して、より深い〈因果応報の法則〉を捉えることができるのだ、ということなのでしょう。
そして、最も広い視野にまで広げて〈因果応報の法則〉を捉えるならば、その仕組みのあまりの細やかさと叡智の結集に、「すごい!!!」と言わざるを得ないです。なぜなら、いちいち一人ひとりに全部、現実を通して結果を返しているということですから。その仕組みはまさに、宇宙のアカシック・フィールドの叡智を総動員しないと無理だと思います。
しかしそれが実際になされているわけで、誰一人見捨てられずに、見守られ、信じられ、体験の自由を与えられて、今、この地上にいるということですよね。さらに、地上の自分からすれば、返ってきた現実を見て、自分が魂の道にそれていないかどうかを確かめられる。そういう意味でも、天地のやり取りで成り立っているこの〈因果応報の法則〉の絶妙さに、感嘆せずにはいられません。
地球の法則の仕組みのすごさは、地上からも実体験として分かる、この〈因果応報の法則〉に凝縮されているということです。私はこちらに戻ってから、その叡智の深みがやっと分かりました』