<心の闇>と<アストラル界>② コナン・ドイル×三島由紀夫×河合隼雄

 

2021年7月21

立花 『今回の〈心の闇〉というのは、男性の私たちは拡大志向で、とにかく意識を外に向けてしまうあまり、一番見えにくいところだったようです。ですから、このメンバーで話してどうなるか、というところですが・・・』

 

三島 『では、まず私が話そう』

 

立花 『ちょ、ちょっと、お待ちいただけますか? 進行があるもので・・・』

 

三島 『いや。自由にやっていいと言われているんだし、予定調和で教科書的な対話を読みたい人なんていないんだろう? しかも、それぞれの体験談こそ心に響く、というのは本当だと思う。私は書き手としても、人に話す時も、自分の思っていることはまっすぐに伝えてきたつもりで、それを今も大事にしているんだ。

 

インタビューというより、もう対話になっているんだよ。あなたが聞きたいことは、もうほとんど聞いただろうから、ここは男4人で対話すべきだと思う。男というのは、心を開いて対話ができないからこそ、〈心の闇〉を多く作ってきたといえるんじゃないだろうか』

 

立花 『確かに、それはおっしゃる通りだと思います。インタビューとして、知的な思考レベルの会話はできても、自分の心の中を全部見せながら、そこについて話すというのは、地上時代は私もなかったですね』

 

河合 『私たち男性の多くは、冗談にまぶして本音を言ったり、ポロッと小出しにしたりはしますよね()。でも、女性たちのように明け透けに本音を言わなかったのは、やはり社会的な第3層の仮面をかぶって保守的になり、自分の心を見ることを避けながらも、どこか建前や体裁で取り繕って、ごまかしてきたところはあるように思います。心理学者の私でさえそうでしたよ()

 

ドイル 『河合さんの「煙にまくのがうまい」ところは、一足早く天界に来た私から見ても、なかなかのテクニックだなと思っていました()。そんな私も、けっこう空威張りして強がっていることは多かったです。それを「ここで洗いざらい語ってほしい」という地上からの指令がきましたから、もう観念して私たちの〈心の闇〉体験を話すしかないでしょうね』

 

河合 『立花さんは、まだこちらに来て日が浅いのでご存知ないと思いますが、〈天地の対話〉として、こうしてやり取りしている中では、地上からかなりの激が飛んできます。私はそれにビビッて、しぶしぶアストラル界のまったりした階層から抜けざるを得なかったくらいです(笑)』

 

立花 『え、どういうことですか? 私も死後2ヶ月で、地上から叩き起こされた感じだったので、その辺お聞きしてみたいです。・・・あ、すみません、三島さんからでしたね』

 

三島 『いや、いいんだ。私は単に、こういうぶっちゃけた空気を作りたかったために、開口一番に予定調和を崩したまでなのだから。河合さんからどうぞ』

 

立花 『そうでしたか。三島さんのストレートさは、威力抜群ですね。すっかりそのモードに入れました。では、河合さんの死後体験を、まずは教えてください』

 

河合 『私はさすがに自分の心は見ていたつもりだったのですが、人生の終盤は文化庁長官とカウンセラーという二足のわらじを履いていました。その結果、脳梗塞になり、その後は意識のない植物状態で1年間病院にいました。

 

それは魂の世界にも戻り切れず、地上の肉体にも入り切れていないという、二足のわらじ状態がよく表れた、因果応報の結果だったのだと思います。

 

死後のアストラル界では、そういう自分に向き合わずにまったりとまどろんでいました。中層の休憩室というのは案外居心地もよく、のんびりもできるじゃないですか。そしたらフロイトさんの「精神分析から魂の学へ」(霊媒が〈天地の対話〉の中で精神分析を受けた記録とまとめ/未刊行)が出来てきて、それを先に読まれたキューブラー・ロスさんは天界にビューンと行かれました。

 

女性がいざ向き合った時の威力はすごいものだ、と他人事のように見ていたのですが、次は私に声がかかった時には「逃げ延びたいな~」と腰が引けていたのです。

 

するとセンターの直子さんから「魂の目で、現象界(=地上)という夢の中で体験したことを、善悪の判断なく、ありのままに見て、受け入れて、学ぶ。それはまさに生前、ご自身がカウンセラーとして、クライアントとされていたことでしょうから、そのように〈人生回顧〉してみてはいかがでしょうか」と言われました。その言葉は魂にストンと入りましたね。

 

三島さんの先ほどの発言も、自分のためでなく、場を開くためであったから、みんなの心が開いたんですよね。それと同じく〈相手のため〉を思って問われ、様々に質問をされることは、厳しいけれど嬉しい感じがしました。表層的には見たくないと思っていたけれど、本当は見たいという、より深い魂に響いた、ということだったと思います。

 

それからアストラル界に引っかかっていた50人ほどの人が、〈天地の対話〉によって同じように自分の人生回顧をして、天界にまで戻ってこられました。その人生回顧は、まさに人類の〈心の闇〉を鮮やかに洗いだしたもので、なかなか見応えのあるものになっています』

 

立花『なるほど。そのコンパクト版が、今回のテーマということですね。次は、三島さんで、よろしいですか?』

 

三島 『生前、私の中にはものすごく大きな怒りがあった。それは幼少期に祖母の支配の中にあったこと、それによる自己否定感が根源的理由だと思う。しかしその最初の心の闇が、その後の私の認知を様々に歪ませた。なおかつ言葉で強固な鎧を作っていくようなところがあったので、自分の心の深い部分に向き合うというより、外側の防壁を厚くしていったように思う。

 

肉体を鍛え、理屈で身を固め、いよいよ抑圧に耐えられなくなった怒りは、政治的イデオロギーとして発散された。それは自分の中の不安や怒りを、人のせいにし、社会的に正当に見えるものに転化していたのだと思う。最後はアストラル界とも共鳴し、割腹自殺にまで至った。

 

死後は、アストラル界低層にある自殺者がまずは行くところで、その自殺のシーンを何度もくり返していた。死のうと思っても死ねず、また焦って死のうとしているという、無意味なループの中にずっといたのだった。

 

死ねば楽になるとどこか思っていた私は、より大きな苦しみをそこで味わわねばならず、それは与えられた人生から逃げたことによる因果の結果を受けた、ということだったように思う。

 

〈天地の対話〉として私にも声がかかり、ジャパニーズヒトラーだとか、ナルシシストだとか言われて、相当ムッとしていた。しかし確かに、破壊衝動を他者にではなく自分に割腹自殺という形で向けただけで、虐待による怒りを発散しているという面ではヒトラーであるといえたし、自己愛としてのナルシシズムは、私のあの派手で演出的な死に方にも現れていたと思う。人の注目を惹きつけて、それによって自己有能感や使命感に燃えている自分に、酔っているようなところもあったと思う。

 

地上からはずいぶんと質問もしてもらったが、私の無意識層の浄化はそこまで進まなかったので、結局はアストラル界に残って、戦死者などに今の地球の現状と日本の役割を伝えていくことにした。

 

その頃にはアストラル界の最上層には来ていて、そこは〈人のため〉に何かをしたいという欲求を晴らすところなので、そうやって貢献することが私の望みとも合致していたようだ。そして最後まで残っているナルシシズムというのがあり、それはまだ手放したくない、という気持ちもあったのだ。

 

地球の醍醐味は、これだけ様々な感情体験ができるということだと思う。そういう意味では、アストラル界というのはその浄化槽でもあるが、最後に味わい切って満足するところでもあるので、私はまだここにいたいと思うのだ。今回は前よりも整理されているので、次の段階に進むか少し葛藤もあったが、しかし人のために動くことはやはり気持ちがいいし、何といっても楽しいと思っているので、私はもう少しここを味わってみようと思う』

 

ドイル 『三島さんの今の役割が、そのアストラル界での貢献ということなのかもしれませんね。私の死後体験は、そのように納得して楽しんでいる状況ではなく、アストラル界の中低層でもがき苦しんでいる、という状態でした。

 

死後の世界はあると確信していた私は、人生の後半はスピリチュアリズムの伝道をしていたこともあり、そのまま天界に行くだろうと思っていたのです。にも関わらず、アストラル界で身動きが取れなくなった時は、蜘蛛の巣に捕らえられて、がんじがらめになったような感覚で、すっかり落ち込んでしまいました。

 

そうなった理由は、生前自分の〈心の闇〉をまったく見ていなかったためでした。スピリチュアリストといっても、私はアストラル界により多くつながっていたといえるかもしれません。その頃の霊言というのは、身内の戦死者にアクセスして、本人と自分しか分からない情報が出てくれば、それで本当かどうかを判断するという段階でした。

また「シャーロック・ホームズの冒険」があれだけヒットしたのも、アストラル界のパワーに後押しされていたところもあったと思います。書いたのは肉体脳でも、設定上のアイディアは、自然と浮かんできていました。

 

アガサ・クリスティーさんが精神的な内界を描き出すのに対し、私は物的証拠や痕跡をたどるという、外的事実で推理を組み立てている作家でした。それはつまり、自分の内界を見ていない男性特有の外向志向を、まさに表していたと思います。

 

スピリチュアリズムの伝道は、魂の使命感や献身の気持ちからでしたが、それに「私は人より知っている、分かっている」という優越感やプライドや傲慢さも、うっすらと乗っかっていたと思います。そういう自分の心に無意識でいたために、それが〈心の闇〉となり、死後はそれに相応するアストラル界の層に引っかかっていたということです。

 

しかし、それをより大きな目でみれば、そのことも一つの役割としてあったようです。私はアストラル界に引っかかった時には、天界と地上の両方から救出のための光線を送ってもらい、その後は精神界へ、そして最終的には天界へと行くことができました。通常ならば数年をかけてゆっくりと上昇するところを、そのようにざっと駆け上がったため、その階層の変化から、全体像が一望できたのです。

 

それで地上に「死後階層図」をメッセージとして降ろすことができました。それこそが、私の使命の中で一番重要な集大成の役割であり、そう思うとアストラル界で引っかかったことは、むしろ必然だったとさえ思えるのです。

 

何が〈いい・悪い〉ということではなく、すべてが体験であり、そこから学んだことをアカシック・フィールドに書き込んでいく。それを役割分担しながら協力して行なっていく、ということなのでしょう。

 

そういう意味では、アストラル界での体験、そしてその原因となった〈心の闇〉は、体験の幅と深みを増すためには、意味のあるものであったように感じています。

 

近年になって、死後世界を否定する観念があることから、死んでも地上にしがみついている霊が多くなり、アストラル界と地上はその境界自体があいまいになってきました。その結果、今やアストラル界は死後に行くところというよりも、自分の〈心の闇〉と日常的につながり連動しているという、混合状態になっています。

 

そうなると、アストラル界は地上の人々と結託しているという現状の悪い面ばかりが取り沙汰されますが、本来は感情や観念を浄化して学びに変えるための、地球ならではの絶妙な仕組みであったといえるのです』

 

立花 『内的な叡智としてのみなさんの話に圧倒され、私は自分の心をおざなりにして、知的好奇心に走っていたことを思い出していました。

 

そして知識・知恵を探究する役割の人というのは確かにいて、自分もそちらだっただろうという気持ちは変わりませんが、それでも心の世界の深遠さ、それを見ていくことの味わいもまた格別なのだということを、改めて実感しています。河合さん、〈心の闇〉について、まとめていただけますか?』

 

河合 『第1層の〈あの世〉と第3層の〈この世〉を隔てておくために、第2層の無意識層はあえて据え置かれました。

 

心(特に感情)というのはその時々で動いていますが、それに無意識であれば、第2層の幽体脳にその抑圧された感情が蓄積され、〈心の闇〉となっていきます。ここでいう〈闇〉とは、「意識できていない」ということです。

 

自分の無意識層を見ていなければ、表層的な自己像ができあがり、そうなるとありのままの自分ではなく、「見せかけの自分、理想的な自分、そう思いたい自分」として、都合よくそれが自分だと思ってしまうところがあります。

 

例えば、第3層で自分はいい人だと思っていても、第2層の無意識では嫉妬していたり、人を恨んでいたりということはよくあります。それはそれで心に生じた気持ちとして受け止めてしまえば、そのまま流れていく一時的な感情なのですが、自己像とは合わないその感情を否認することによって、それが第2層の闇になっていくのです。

 

人は、(第3層の)表向きの意識している自分と、(第2層の)内心の本音と、さらにその奥の(第1層の)魂の願いと、それぞれの層で別々のことを思っているということはよくあり、それだけ複雑な内界だからこそ、「自分をありのままに知る」ということは最も深淵な叡智だといえるのでしょうね。

 

そしてこの地球では、その心に第2層の〈無意識=闇〉の領域があるからこそ、自分自身のことが見えにくくなっています。そのため、死後にはアストラル界や精神界でそれを意識化して学びにまで昇華し、しかも何度も輪廻転生してその多彩な学びを得る。そのようなプロセスを経て最終的に解脱する、という体制が整えられているのです。

 

しかし今は、アストラル界の闇が濃くなったことで、その天地の循環がうまくいかなくなりました。それはつまり、一人ひとりの〈心の闇〉があまりに深くなっているために、その集合意識としての〈アストラル界の闇〉も同様に濃くなっているということです』

 

立花 『今からどうにかできるのでしょうか?』

 

河合 『残念ながら、できません。心の問題は、様々な社会的背景、個人的・集合的観念から生まれるもので、それを解決するには総合的な改善が必要です。しかも今や自我発達が停滞した若い世代も多くなっていますから、〈心の闇〉を自分で見ていき、正しく葛藤して選択できる人自体がもはや減っている、というのが現状だからです』

 

立花 『そのような状況を、どのような心持で受け止めたらいいのでしょうか?』

 

河合 『この時代、この国、この親に生まれたのは、自分が選んだことです。例え覚えていなかったとしても、生まれる前に〈あの世〉のいろいろな方に相談して、自分の学びや役割に応じた、最適な環境や特性を選んできているのです。

だから、何が起ころうともそれは自らの〈学び〉であり、〈成功〉だけでなく〈失敗〉からも学ぶことこそ、奥深い叡智になると思えば、どのような状況も達観して見られるのではないでしょうか』

 

立花 『各人が、これからできることはありますか?』

 

河合 『自分のより深い声に耳を澄まし、第2~3層の自我との葛藤はあると思いますが、日々〈魂の願い〉にかなった選択をして、それを実行することです。結局、どのような状況においても結論はシンプルで、それしかないのではないでしょうか』