<全知全能の神>から<無知の知の神>へ
この計り知れないほど壮大な宇宙や、緻密な人間の体や心(脳)を創った神を、一般的には<全知全能の神>と呼んでいます。確かにそれらを設計した神は、偶然にそれらを創造したとは到底思えません。しかし、もう一歩深く考えてみたときに、そのようにすべてを知っている<全知全能の神>ならば、なぜこの世界を創ったのでしょうか? 自分が知っている世界をただ創造しただけならば、やがて退屈してしまうのではないでしょうか。
そのように神がなぜこの宇宙や人間を創ったのかをより深く考えるならば、全知全能に満足せずに「もっと知りたい」と思ったからだ、と言えないでしょうか。そのように、その大元に存在する神を考えたときに、「まだ知らないことがあることを知っている」という意味で、<無知の知の神>と私たちは呼んできました。
その神が、「私とは何か」を知るために、<この世>の体験の場(ホログラフィック・フィールド)と、そこでの学びや情報を集約していくための<あの世>(アカシック・フィールド)を創ったということです。最初はごくシンプルな9次元から始めて、それを体験し学び終えると、次のもう少し複雑な7次元を作りました。そしてそこに飽きると、次は5次元を創り、そして最終的にはこの3次元を創って、そこに私たち人類が生まれたのです。
5次元までは基本的にはワンネスのまま、神とつながった世界を徐々に拡大してきた状況でしたが、それに飽き足りなくなった神は、自分と同じように自由意志を持った存在として、最終的に私たち人間を創りました。それによって、5次元までのワンネスの世界では神に向かうことが当然だったのが、神に向かうも神に背くも自由になり、悪や闇の体験をすることも可能になりました。
ただし、それはこの地球環境が保たれている限りにおいてはということで、それが決定的に破壊されそうになった場合は、3次元の<因果応報の法則>に従って〈リセット・リスタート〉が実施される、という仕掛けも同時に組み込まれました。そして、人類は懲りることなく、今回も6回目の<リセット・リスタート>を迎えようとしています。
本来、<無知の知の神>の分身として私たちに求められていることは、何の評価や裁きもせずに、ただ各人の体験を「ありのままに見て、受け入れて、そこから学ぶ」ということなのですが、この<善と悪>や<光と闇>など二元化した3次元においては、まずは善なる方向、光の方向に向かうことが求められているからです。
そのために数々の輪廻転生を繰り返しながら解脱ポイントに達することが求められ、しかる後にあらゆる体験が学びとなり、どの体験も「ありのままに見てー受け入れてー学ぶ」という段階になっていきます。そのように、大元の<無知の知の神>の究極的な愛と叡智にまで達する可能性を、どの人間も分身として秘めているのです。
また、人類の最終的な種として生まれた<ホモ・サピエンス(賢い人)>は、最も発達した脳を持つ存在として、各次元の情報の場(アカシック・フィールド)にばらばらに書き込まれてきた叡智を、時空間の観念によって成り立つこの世の体験の場(ホログラフィック・フィールド)において、言葉を用いて集積・統合して、それをアカシック・レコードにしていく可能性も秘めています。
そのようにして、3~9次元のアカシック・フィールドに書き込まれた情報を、いつ・どこからでもアクセスできるようなアカシック・レコードに変換しつくすことができれば、次の11次元を開くことも可能になるというのが、この<人間原理>でできた宇宙泡の最終目標でもあります。
そのように<大元の神>が知りたかった「私とは何か」、そしてその体験の場として創られたこの宇宙が、どのようにできているかを「知りたい!」と思うのは、神と同じ好奇心をもつ分身として私たちが創られたからです。そのようにこの宇宙や人間を創り、壮大な<神のリーラ=遊び>をしているのが<無知の知の神>であり、私たちはその分身として共にそれを楽しんでいる存在なのです。