現在の幽界の状況(中岡俊哉さんとの対話からの抜粋)

中岡俊哉(なかおか としや、 1926年 ~2001日本のドキュメンタリー作家・潜在能力研究家・ 超常現象 研究家・アジア意識力学研究協会会長、本名は 岡本俊雄 (おかもと としお)

 

 

2022年524

※中岡俊哉さん

『テレビで見つけて下さり、そして早速お仲間と認めて頂きありがとうございます()

 

このところ、社会的に活躍した人と、名もなく誠実に目の前のことに向き合ってきた人との対比が話し合われていましたね。私も広くマスコミを活用して伝えていこうと思っていたので、とてもよく分かる話でした。広げるほど表層的に薄くなるというのは実感しました。

 

戦後、日本は物質的豊かさに一気に舵を切り、魂、霊、死後世界、あの世の存在を、(顕在)意識の中から追い出そうとし始めていました。欧米では心霊現象の科学的な証明がなされていたことも、もはや意図的な証拠隠滅かと思うほどに、その話は消えかけていました。

 

私の使命は集合意識に、死後世界の話を広めることでした。いろいろな手段で、あの手この手と模索しましたが、最終的には理性でも受け取れる話として広めたいと思っていたのです。信仰ではなく理性でも納得できる、これだけのあの世の証拠があるとなれば、目に見える形でそれを納得でき、認識はずいぶんと変わりますから。

 

私が生きた時代は、それがまだ可能かなと思われる岐路でした。でも惨敗でした。悔しかったですね。単なるオカルトブームとなり、悪用さえされるようになった時には、憤慨し、最後には悲しみの方が強く残りました。

 

しかしまぁ、自分にできることを最後までし続けようと思い、初心を貫いたわけですが、もうそうなったら逆に心穏やかにはなりました。死後、天界に戻って、この100年、世の中を良くしようと奮闘していた皆さんに聞いたら、まったく同じことを言われていましたね。

 

「限界を認め、あきらめることを学んだ。でもそれが一番大変なことだった」ということです。私もそれに強く同感しています』

 

 

2022年525

「中岡さんは、どのように亡くなられたのでしょうか?」

 

『胃がんのため病院で亡くなりましたが、胃がんにしては苦しまずに逝けた方だと思います。モルヒネで昏睡状態の時は、ほとんど<あの世>に行っているかのようでした。幽界の様子をその時はビジョンとして見ていたのだと思います。

 

そして死後はアストラル界に行きました。コナン・ドイルさんと同じです。自分はスピリチュアルな活動を、信念をもってやっていても、結局そのつながり先は、幽界やアストラル界であったこと。そして数々のマスメディアを通して、幽界のおどろおどろしい様相をばらまいて、そのような心象を人々に与えてしまいました。それに感応して巻き込まれて行く人もいたと思います。やはり、自分が蒔き散らした想念に応じたところに、まずは行ったのです。

 

なおかつ、やはり男性ですから、意識は外に向いていましたからね。育ちの中で自分の無意識に溜まっていたものもありましたし、あの戦前戦後の時代ですから様々な欲望もありました。また世の中への怒りや、信念をもって貫いたことでも、それがうまく伝わらない虚しさも残っていました。多少いい気になっていたところもあったし、愚直な方だとはいえ人間ですから、様々な感情や欲望があり、それを追体験して昇華していきました。

 

しかし、そのプロセス自体も幽界とアストラル界を見て回るのにはちょうどよく、私自身が半生をかけて研究していたことの、まさに実態をこの目で確かめながらの上昇ですから、それはそれで興味津々で面白かったですよ。コナン・ドイルさんも、立花隆さんも、生前のことをベースに死後にあてがわれた役割こそが、本来の使命だったということでしたね。私もそのパターンだったのかもしれないな、と今は思っています』

 

 

2022年528

「メッセージの中で、『しかし、そのプロセス自体も幽界とアストラル界を見て回るのにはちょうどよく、私自身が半生をかけて研究していたことの、まさに実態をこの目で確かめながらの上昇ですから、それはそれで興味津々で面白かったですよ』と書いておられましたが、特に幽界は1960~80年代に見ておられた状態と今の状態とでは、どのように違っていましたか?」

 

『幽界に行くというのは、昔も今も、以下の3パターンがあります。

 

①突然死などにより、死んだことの自覚がない

②地上への強烈な執着があり、死んだことを否定している

③「死後世界などない、死んだら意識はなくなる」という観念から、まだ意識があるために生きていると本当に思っている

 

戦死の場合はどは①のパターンが多く、爆撃を受けて突然亡くなった霊たちは、ほとんどがまずは幽界に行きました。そのような時は、本人はとても混乱していて、状況が飲み込めない錯乱した状態にありました。たまたま誰かに憑依してしまっても、「なんだか違うな」と思いやすく、一時的なものとなり、私はそれを<浮遊霊>と呼んでいました。彼らは状況説明をすれば納得して、天に向かうことは容易であるため、「死者への鎮魂の祈り」や奉納演奏など、様々な形での地上からの浄霊なども効果的に働いていました。

 

その後、②のパターンの人が増えてきたのが、6080年代でした。戦時中の物質的ひもじさから、物質的な世界への執着が反動的に強くなっている霊が多くいました。また強烈な恨みや怨念を持っている場合もあり、そういう霊たちはどこか病的であり、本人も苦しんでいるためにどうしようもなくそうなっている、という場合もありました。私はそのような霊たちを<地縛霊>と呼んでいました。

 

みなさんがイメージしている幽界というのは、この①と②のパターンの霊たちがいる層だったのではないでしょうか。

 

ところが、それからアストラル界と幽界が混合していき、その後、今は「死後世界を認め、魂の向上進化を目指しているかどうか」を指標に、それらは分離されました。そうしたところ、今の幽界には①と②のパターンの霊もまだいるものの、圧倒的に③のパターンの霊が多くなっているのです。

 

③のパターンの霊とは、「死後世界はないと本当に思い込んでいる」というだけで、何らかの怨念があるわけでも、病的でもなく、普通の知識人だった人が多くいます。なぜなら社会的に活躍して有能だった人の方が、物質世界の観念にどっぷりとはまり込み、死後世界を完全に否定しているということがあるからです。

 

そのような霊は、頭がよく、狡猾で、勝ち組として成り上がっていた人たちなので、憑依する場合も「これは自分の体だ」とばかりにコントロール力を駆使していきます。そのうち小脳から操作するという巧妙なやり方を、その頭のよい霊たちが熟知していった、ということです。

 

ですから、本来ならアストラル界の上層部にいて、一見したところ社会的には<人のために>という欲求を晴らしているような段階の霊でさえ、死後世界を認めていないために、今や幽界にいるという状況になったのです。

 

そのため、現在の幽界は、以前のように①や②のパターンの社会的低層にいるような霊たちのたまり場ではなく、幽界自体がアストラル界同様にあらゆる欲望を抱えた層構造をなすようになりました。特にその上層部にいる霊こそ、積極的な操作力に長け、地上の人の無意識層に入り込んで長い時間をかけて共に生き、うまく憑依をしている、という状況になったのです。

 

具体的な体験談としては、6080年代は憑依されている人は、見るからに分かりました。憑依されている本人も失神状態で自分を失い、まったく人格や声色までも違う霊が、体を乗っ取ったと分かる形で出てきたものでした。写真などに写る霊も、どこかゾッとするようなものを感じさせることが多かったのは、やはり地縛霊のように怨念を持った霊が写っていたからなのでしょう。

 

ところが私は2001年に亡くなったのですが、その頃の幽界というのは、下層はこれまでと同じでも、中層になるとその暗さが少なくなり、さらに上層になるとむしろ有能そうな、一見はとても知的に見える人たちばかりになっていました。

 

幽界の霊たちは、生前の恰好をしていることが多いので、スーツ姿の霊がとても多くいました。幽界として抱いていたイメージとはかなり異なる様相に、とても驚きました。そして、そこはアストラル界なのか、幽界なのか分からない、本当に重なっているかのような不思議な感覚がありました。

 

それらが今や分離したということですが、各階層の資質はそのままで、結局はアストラル界にあった構造はそのまま残り、ただ死後世界を認めていないという点だけが違う、幽界が今もなお地上界と結びついているということです。

 

そして今は、地上の人と幽界の霊は、憑依されていることが分からないほど一体化していますので、地上と幽界自体が重なっています。満員の通勤電車には、人だけでなくそれと同じだけの幽界の霊も乗っているということです』

 

 

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