音楽霊媒 ローズマリー・ブラウン

 

死後の世界の証明 音楽霊媒ローズマリー・ブラウン

(Unfinished Symphonies 1972 邦訳『詩的で超常的な調べ 霊界の楽聖たちが私に授けてくれたもの』平川富士男訳、図書刊行会、2014)

 

ローズマリー・ブラウンの紹介

 

ローズマリー・ブラウン(1916年~2001年)は、ロンドン南西部のかなり質素な家庭で、3人兄弟の末っ子として育ちました。結婚後も夫に早くに先立たれて、学校給食のパートの仕事をしながら、何とか二人の子どもを育て上げるという、かなり困難な人生を50歳近くまで送っていました。そのため、当然専門的な音楽教育を受けたわけではなく、独身時代の頃に初歩的なピアノレッスンを数年間受けた、という程度だったようです。

 

その一方で、小さい時からごく自然に霊の姿を見たり、霊と会話したりして、7歳の時には晩年の僧衣姿のリストが現れて、「君が大きくなったらまた会いに来るからね。その時は君に曲をあげよう」と言ったのが、鮮烈な記憶として残っていたということです。

 

その予言通りに、1964年3月からリスト霊との交流が本格的に始まって、いわゆる音楽霊媒としてリストやショパン、シューベルト、ベートーヴェン、バッハ、ブラームス、シューマン、ドビュッシーなど、霊界の著名な作曲家たちからピアノ小作品を中心とする、たくさんの「新曲」を授かるようになりました。

 

音楽にはまったく素人であった彼女が、口述筆記や自動書記によって受け取った楽曲数は300曲ほどになり、その一部はレコードに録音され、楽譜としても公刊されました。それらの活動は、イギリス内外の各種メディアでも取り上げられて、賛否両論かなりの物議を醸しましたが、より公平に彼女の人格や曲を研究・調査した超心理学者や音楽評論家たちは、テレビや雑誌においてもより好意的なコメントを述べていたようです。

 

彼女の音楽霊媒としての活動は1980年代末にかけて続き、生前書き記した自筆譜はすべて遺族によって大英図書館に寄贈され、現在はそれらのデータが公表されているとのことです。

 

著書は最初に示した本のほかにも、Immortal at my Elbow 1974Look beyond Today 1986(いずれも未邦訳)があり、CDは日本でも邦訳本の出版とほぼ同時期に、『ローズマリーの霊感~詩的で超常的な調べ』というタイトルで発売されていました。残念ながら現在は廃盤となっていますが、その中に収録されていた曲は以下の通りです。

 

1.  バガテル 変ホ長調 (inspired by ベートヴェン)00:00

2. 楽興の時 ト短調 (inspired by シューベルト)01:25

3. 即興曲 ヘ短調 (inspired by ショパン)04:13

4. 即興曲 変ホ長調 (inspired by ショパン)05:38

5. 水の上を歩くイエス (inspired by リスト)07:16

6. グリューベライ(黙想) (inspired by リスト)10:35

7. 華麗なるワルツ (inspired by リスト)13:41

8. 異国風舞曲 (inspired by ドピュッシー)15:41:

9. ワルツ 変ロ短調 (inspired by ブラームス)18:44

10. コンソレーション(慰め) ホ長調 (inspired by リスト):21:43:

11. たそがれ時の白鳥 (inspired by リスト)28:06

12.小舟で見る夢 (inspired by リスト)30:51

13. 悲しみ (inspired by リスト)34:56

14. 祈るイエス (inspired by リスト)37:51

15. 笛を吹く羊飼い (inspired by グリーグ)40:16

16. あこがれ (inspired by シューマン)42:01

17. バラード 変ニ長調 (inspired by ショパン)44:07

(記載の時間は、下記youtube内でのタイムスケジュール)

 

ただし、その原盤のROSEMARY BROWN: A MUSICAL SEANCEというアルバムは、以下にアクセスすると全曲聴けるようですので、興味のある方はアクセスしてお聴き下さい。9曲目までは、ピアニストのピーター・ケイティンが、10曲目以降はローズマリー・ブラウン自身の演奏となっており、その間に彼女のインタビューにおけるコメントが6分半ほど挿入されています。

 

 

 

また以下に自筆の楽譜を一部掲載します。(翻訳本『詩的で超常的な調べ 霊界の楽聖たちが私に授けてくれたもの』より抜粋)

 

 

 

<あの世>のローズマリー・ブラウンとの対話

 

 

2022年611

「こんにちは、ローズマリーさん。本を読みました」

 

『どうもありがとうございます。私たちも皆さんのお仲間に加えていただければ嬉しいです。やはり音楽というのはとても重要な、(顕在)意識と無意識をつなぐものですから』

 

「つなぐとは、どういう意味ですか?」

 

『言葉というのは、第3層からの意識化を促しますよね。でも音楽というのは逆で、無意識的な感情を意識に上らせるような働きかけができるんです。頭で分かるだけでない、感覚でストンと分かるという話にも通じますが、無意識的で見えない、何となくあるものに、「こんな感じでしょうか、音楽で表現するとすれば」と音をあてはめていき、感覚的に「そうそう!」と捉えられるところにまで浮上させていく、という感じでしょうか』

 

「それは死後世界の証明として、リストをはじめとして音楽が降ろされたことにもつながる話でしょうか?」

 

『そう、つながるんです。あの時代、いろいろなアプローチがなされていましたが、私たちがしていたのは、<あの世>から届けられた音楽を聴いて、「あ、ほんとだ、この曲リストだ、これはショパンだ」と、感覚的にも死後の存続を実感してもらうようにすることが主眼だったのです。

 

もちろん、研究者が音楽手法の共通点を分析して、その一致を証明するということもありました。だからこそ、ピアノがあまり上手くもない、専門の音楽教育を受けてもいない私が受信することが必要だったんですね。専門性があれば、その知識をアレンジして作れてしまうでしょうから。

 

しかし、その意図以上にあったのは、交霊会や霊言などでは拾いきれなかった、芸術をたしなんでいる普通の人たちへの波及効果でした。彼らには、聞きなれたリストの曲の雰囲気や持ち味が、心の中にもうすでにありますから、その人たちが聞いて「あ、これ、本当にリストかも」と抵抗感なく直感的に受け入れるには、音楽も有効だろうということになったのです』

 

「生前のリストっぽく作られた新曲だったということですね」

 

『リストが言うには・・・あ、その辺はご本人に直接聞いた方がいいですよね。こちら、リストさんです』

 

『どうも()。はい、まさに「この技法、リストが使いそう」ということを、ちりばめた曲でした。生前は、その時代の観念や、思い癖、こだわりも含めたパーソナリティで作曲していましたから、それを死後もそのままやるということが、私たち音楽家の腕の見せどころでしたね()。つまり、本当は天界に来てしまうと、また新たな世界が開けて、生前の技法に捉われず、音楽家も発展・飛躍しているんですけどね。

 

バッハなんかはもうその境地ですから、ものすごくふてくされてブーブー思いながらやっていたと思いますよ。お互いに、次は今までにない新しいことをしたいものだ、と思っていますからね。でも地上の人の期待は、生前に聞いたものと寸分違わないことであり、それが真実だと思われるところがあるので、私たちはそのニーズに合わせていたということです。

 

私自身は、あの当時はまだ精神界にいましたので、割と観念も残っていましたから、ローズマリーさんにアクセスするにしろ曲を降ろすにしろ、適任だったために指名された、ということがありました』

 

「今はお二人とも天界におられますが、リストさんはその時、精神界におられたということですね?」

 

 『そうです。あの頃の働きかけは天界が主導していましたが、実際に地上にコンタクトをするとなると、精神界からの方が具体的なアプローチがしやすいんです。その方が霊能者には、姿が割合はっきりと見え、声も聞こえやすく、意思疎通もしやすいんですよね。

 

でも天界にまで行くと、もっと<かそけき声>になってしまうでしょう? そうなると譜面を伝達するような緻密な作業はできないし、自動書記なんかもできません。ちなみに自動書記には、こちらも幽体をまたあえてこしらえて、それを重ねて手を動かすという具合に、ものすごくエネルギーがかかるんです。

 

とにかくメッセージを送る側の苦労というのも大変なものなんですが、それでもみな一致団結して全精力を傾けていたのが、あの時代だったんです』

 

「確かに送るほうも大変だったのでしょうね。受信側の大変さばかりこれまで感じていましたね。私も天側の皆さんに、ずいぶんご苦労をおかけしてきたなと思います。ローズマリーさんはその点で私とは違い、受信者としてとても誠実で、優秀だったと思いますが、リストさんから見ていかがでしたか?」

 

 『彼女の優れた点は、疑わずに素直に信じてやり続けたことでした。だいたいの霊媒は、感受しても「でも、本当かな?」と疑うんですよね。その疑念がつながり先を下げてしまうんですが、どうしても疑いというのは生じてくるようです。特に、あらゆる批判にさらされると人間は弱い部分もありますから、容易に自分を疑いはじめますから』

 

「とてもよく分かります。私もそういう部分があります。それについて、ローズマリーさんはいかがですか?」

 

『確かに素直に信じていました。そして確固たる信念は揺らがずに持っていました』

 

「その理由をお聞きする前に、まずは確認ですが、審神者はいたのでしょうか?」

 

『公開する頃には音楽出版の方や、信頼できる確かな目を持つ方々に出会っていきました。そのような方々が何人かいて、「これは確かだ」と励ましてくださったので、それにずいぶんと支えられました。その前までは、亡くなった夫が理解者だったので、そのサポートがありました。

 

今みなさんがしているように、審神者と霊媒という固定的なペアで、ということはなかったのですが、必要な時には適切な助言をくれたり、励ましを与えたりしてくれる方が、何がしか現れていたように思います。それは天の計らいだったと思います。

 

逆にいえば、みなさんのように固定的な審神者を中心とした、チーム編成がなされているという現実自体が、それは重要な役割として天が意図して果たさせようとしている根拠にもなるのではないでしょうか』

 

 

 

2022年612

「なぜ疑わずに、素直に信じられたのでしょうか?」

 

※ローズマリー・ブラウンさん

『小さい頃から霊が見えていて、それは私にとってはとても自然なことでした。そして、私は現在の霊媒の方々のように、自我が未発達なために憑依されて育ったわけではなく、病気や生活苦などを第3層の自我の力で乗り越えていった、というのは大きかったと思います。その土台があった上で、人生の後半での霊的な仕事となりました。

 

そのため私は自分の実力をよく把握していましたので、音楽にしろ、メッセージにしろ、ヒーリングにしろ、これは自分の実力ではないということを、現実的な目でも理解していたんです。それは自我の成熟があった上での霊能者であった、ということですね。

 

そうすると身の程が分かり、謙虚さが伴いますから、それが続ける上でよい資質になっていたと思います。

 

あと、時代的なものもあって、そこまで幽界が力を持っていなかったんですね。だからそれに巻き込まれずに、何とか天に守っていただいたと思います。ちまたの交霊会で、だんだん霊媒の質が落ちていったことが、幽界の勢力が増大していったことを象徴していたように思います。

 

今は少しの霊能力があると、どうしても幽界との引っ張り合いになって、みんなそちらに持っていかれてしまうようです。それは、不安、疑念、困惑、焦りなどを持ったときに、それを幽界側が増大させて自分の方に取り込んでいく、ということが一つの作戦にもなっているようです。逆に、一旦は高次の世界につながっていても、慢心して「我こそは」と思ってしまうと、つながり先が落ちるということもあるようです。

 

いずれにしろ、疑わずに信じるというのは、霊媒が継続していく上での大切な要素のようです。それは盲目的になるということではなく、天界からの愛を素直に受け取り、自分からも心を開いて愛していくことと同じ感覚です』

 

 

2022年615

「ローズマリー・ブラウンさんの受信方法について、どのような仕組みだったのかクルックスさん、説明をお願いします」

 

※ウィリアム・クルックスさん

『まず、彼女の状況としては、自我を育てた後に一人で何とか霊媒として乗り切って行かねばなりませんでした。しかも実際の作業は細かで正確な伝達が必要な楽譜制作の作業ですから、アストラル界の協力は必須でした。

 

精神界からはビジョンや言葉を霊体脳に送ることはできても、肉体脳で認識するような細部の伝達というのは逆に難しいのです。霊体脳というのは、全体像をパンと伝えるには適していても、音符一つひとつを説明するには不向きです。その点、アストラル界というのは個人の生前情報などもそことつながれば細かに出てくるように、具体的な伝達ができるのです。

 

ですから、リストは精神界から幽体をまとってアストラル界まで降りていっていました。それはシルバー・バーチもインペレーターも同じでした。当時のやり方はほとんど、天界側が地上に降りていくことによって、天地のやり取りはなされていました。

 

アストラル界まで降りていくと、ローズマリーさんの霊能力をもってすれば、リアルに可視化できる状態になりました。それは彼女特有の能力でしたが、その「見える、聞こえる」というリアルさのために、一人でも素直に信じ続けられたという面はあったのではないでしょうか。

 

そして、幽体をまとう時というのは、アストラル界の上層の霊に協力してもらい、数人が瞑想状態で輪になり、彼らが少しずつ自分たちの幽体を出し合ったものをかき集めて、リストがまとう幽体にしていました。

 

一度作ると型が残るので、その幽体制作チームは、地上に行く音楽家たちの幽体のひな型を作り、ドレッサーのように並べていました。二度目以降は、それをコートのように羽織ると、リスト自身の生命力がそこに再び浸透し、また使える状態になりました。

 

その幽体ドレッサーの管理チームまでいて、ホテルのクロークのように、「次はショパンですね、次はベートーベンですね、はい、どうぞ」と着せてあげるような、そんなたいそうなしかけがアストラル界、精神界、天界が一同協力して行われていたのです。

 

しかもリストがたまにショッピングセンターについてきたというのは、彼がストーカーだったからではありません()。彼女の精神状態を見て、少し弱っているなという時などに、いつも見守られていること、そして霊的世界への信頼を再び強化するためのサポートとして行われていたのです。

 

人間の心というのはもろく揺れやすいものですから、審神者がいない中でやり切るには、それくらいのサポートがないと、特に霊能者は自我の力だけで継続し続けていくということは難しいからです。

 

彼女に審神者がいなかったのは、とにかく審神者不足だったからです。肉体脳を鍛えれば、それだけこの世で有能になってしまいます。そうなると霊的世界のことはおざなりになる、もしくは公にせずに社会的な保身が出てきてしまうようです。

 

ですから、本当はあの時代もけっこう審神者候補は投入されていたのですが、そういう人ほどチキン精神が芽生えたのでしょうね()。霊能者が軒並み脱落していったのと同じだけ、審神者も優秀であるがゆえに軒並み現実世界の方に傾倒してしまう、というのもよくあることだったのです。

 

というわけで、ローズマリーさんには固定的な審神者がいなかった代わりに、霊界側の手厚いサポートが余分になされていたということです。

 

背景としてはそんなところですが、具体的な筆譜に関しては、難しい曲ほど自動書記で行われていました。自動書記というのは、霊媒と小さい頃からの交感があった上で、幽体がお互いになじんでいくことによって可能になるものですから、リストはそれができたようです。あの二人はかなり近い類魂でもありますから。

 

しかしその他の霊たちは、はじめて会う場合が多いので、そうなればまずは音楽をビジョンと共に霊体脳に送り込みます。それが幾何学図形に一つの音楽を転写したものだったのですが、それをポンと彼女の霊体脳に送ると、そのビジョンから音楽が一曲まるまる流れてくるという仕組みでした(そのプロセスは、彼女は無意識だったので覚えていなかったと思いますが)。

 

そうして無意識的に霊体脳に印象づけた後に、肉体脳で把握できるように音符を一つずつ言っていく、という方法がメインでした。その他にも、その音楽を実際に弾いてみて伝えるなど、その霊個々人のやりやすいやり方があったということです。

 

全部リストの曲になれば、リストを聞きこんでいるマニアとしか思われないし、そういう人はたまにいますからね。だから受信したものが多様な音楽家たちである方が、目を見張るという点で効果がある。そのため、それぞれの霊によってやり方は違うのですが、実際に音楽教師のようにリアルな形で現れるので、何とか伝えられたという状況でした。

 

そして彼女自身も前世では音楽家でしたので、霊体脳を駆使してそれで補っていたこともあったようです。苦手な演奏はリストと一体化して、何とか乗り切ったということでした。

 

そのような綿密かつ壮大な計画のもとに、行われていたことだったのです。一人の使命をもった霊媒の背後には、それだけの仕掛けをなすために、大がかりな霊界でのチームが編成されていました。しかもあの時代、それがいたるところで同時多発的に起きていましたよね。それは地球の命運をかけた、天界主導のプロジェクトだったということです。

 

そしてそのプロジェクトを引き継いでいる皆さんに対しても、同じことが言えます。皆さんにも一心に、私たちは全精力を注いでバックアップしているということです』

 

 

2022年616

「クルックスさんの解説をお聞きになって、どのように思われましたか?」

 

※ローズマリー・ブラウンさん

『自分が見えていなかった舞台裏のことまでお話いただいて、「えー、そうだったの!?」という驚きがまずはありました。アストラル界まで降りて来てもらっていたからこそ、あれだけはっきりと見え、なおかつその背後で幽体ドレッサーまで作って、たくさんの方々に協力していただいいていたとは…。

 

そこまでの仕掛けの中で守られていたことがありがたいと思いましたし、自分の自我の力で何とかやれていたという気持ちがあったことが、お恥ずかしい限りだなと反省もしました。

 

リストが買い物に付いてくるのはなぜかなと思っていたのですが、確かにああやって、細やかに私の心までもケアしてくれていました。あの世の皆さんを信頼できたのは、彼がそこまで私を労い、きちんと説明もしてくれ、彼に対して尊敬の念を抱いていたからだと思います。

 

私が義務を果たした分以上の援助をいただいていましたし、そこから得るもの、学ぶことの多かったことを思うと、そのような役割をいただけて本当にありがたかった…。しんみりと、その一言に尽きます』

 

 

2022年616

「晩年のローズマリーさんは、どのような毎日を過ごされていたのでしょうか?」

 

『晩年は普通のおばあさんをしていました。植物を育てたり、音楽を聴いたり、体もだんだん不自由になっていきましたから、その老いを受け入れて…。実は、音楽霊媒の使命はもうここらで終わるという時に、リストからこう言われたのです。

 

「あなたはこれまで、私たちとの共同使命によく献身してくださいました。おかげで死後の存在証明に十分な音楽は降ろすことができました。しかし世間ではそれを受け入れない傾向が残念ながらあり、あなたへの批判、誹謗中傷も、今後も続いていくことでしょう。

 

しかしそれでいいのです。私たちの使命は、提示するところまでであり、あとはそれにどう反応されようとも、それは相手の自由だからです。その自由な選択を受け入れることこそが、人を尊重する姿勢になります。

 

そしてここからが肝心です。ほとんどの人に私たちの仕事を否定され、忘れ去られたとしても、あなた一人だけは最後までそれを信じ続けていられるかが、これからは試されることでしょう。

 

これまでのように頻繁に私が現れて、こうして話をしている間は、やはり霊力による感化を受けていたでしょうから、あなたの心も揺れにくく、信じることは容易だったはずです。しかし使命が終われば私は霊界に戻りますから、これからはあなた一人で様々なことを乗り越えていかなくてはいけません。

 

もちろん、心の中ではいつもつながっていますし、これまでに授けてきた多くの叡智が、今後のあなたを支えてくれることでしょう。

 

疑念を持つとよからぬ(低級な)霊とつながってしまいます。周りの状況を見てもお分かりのとおり、霊能者というのはすぐにそういう霊に食い物にされてしまうものです。ですから、今後は霊能に頼らず、むしろその能力は閉じた上で、残りの人生を穏やかにお過ごしください。

 

人生晩年の過ごし方というのは、それまでのその人の生き方を象徴的に表すものです。私たちと過ごした時間に学んだことを、自分の血肉に変えて、あなた自身が自分と向き合い、天界にすぐに戻ってこられるように精進されてください。そのように高潔に生き続けることが、あなたが次に果たす役割です」

 

私はこの言葉を胸に、晩年は「あの世からお呼びがかかるのはいつかしら?」と、それをかなり楽しみにしながら、何でもない日常を過ごしていました』

 

 

 

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