人生回顧 ユング:霊能者の問題

2021年911

「総じて、霊能者の問題というのはいかなるものであるかを、ユングさんの<人生回顧>も含めてまとめてみて下さい」


ユング 『霊能者が軒並み堕落していくのは、結局はその力を自分のために使うか、人のために(天が意図したように謙虚に)使うかが、やはり大きな分かれ道でした。しかしその途方もなく魅力的な力に触れると、以下の3段階をすぐに駆け下りてしまうようです。

(1)それを自分の力だと過信する(傲慢さ)
(2)自分の直観を正しいと感じ、人の意見を聞かなくなる(謙虚さの喪失)
(3)最終的には霊能力を自分のために利用する(不正利用)

2層が無意識にアストラル界とつながってしまうという問題は、これまでも話されてきたと思いますが、私の場合はそれを意識化したとしても「これくらいはいいだろう」と高をくくって、天を甘く見ているというところがありました。コントロールした上での慢心、したたかさ、計算高さ。そして最終的に天への畏敬の念を持っておらず、あくまでも自分中心であったように思います。

 

これだけ<魂の仕事>をしたのだから、十分であろうと思っていましたが、直子さんが「あの時代、心理学者にしろ、量子論の科学者にしろ、多くの役目をもった天才が一気に生まれていた。その人たちが本気で唯物主義を打ち崩していたら、今とは世界が変わっていたかもしれない」と言われ、そこで初めてほどほどのところで満足していた自分に気付きました。

 

私たちが天の声にもっと謙虚に向き合っていれば、地球の命運は、確かに変わっていたかもしれません。それほどの役目があったにも関わらず、その可能性を開かなかったのは私だったのだと、今回はじめてそれに気付きました。

 

あの時代は、本当に岐路の時代でした。私たちは唯物主義に風穴を開け、魂(天)も含めた心の在り方を、学問的にも提示することを使命として地上に行ったのです。あの両親の元に生まれたのは、そのためでした。

 

にもかかわらず、「このくらいはいいだろう」「人間なのだから仕方ない」「こういう感情も時には悪くない」と言い訳をして、第3層の保身を貫き、第2層の欲求も温存しつつ、しかも第1層のことも基本的には大事にしようとして、両方の甘い汁を手放さないでいました。つまり、「それもあり、これもあり」と思っていたのです。

 

確かに自分を「ありのままに受け入れる」という面だけ考えれば、それでよかったのかもしれません。「すべてが学びだ」と(高次元的な言い訳で)言ってしまえば、簡単なのです。しかし自分の第1層の魂の願いにもっと真剣に耳を傾ければ、その時、その時の選択をもっと厳しくしていたはずです。

 

心の各層の声を聞いた上で3次元的な善悪の判断もして、甘さや怠惰に流されずに第1層を選びきれるかどうかは、極めて重要なことでした。

 

なぜなら、「厳密に第1層を選び続けた場合」と、「まぁいいかと、多少甘く判断しながら選択していった場合」とでは、1年で100回の機会があるとすれば、その選択し続けたそれぞれの枝先は、「神に向かうもの」と「神から離れるもの」の右と左に、大きく差が生じていたことでしょう。

 

まして、さらに時の流れが加速している<今=最後の1秒>は、1日に10回の細かな選択があり、それをどう積み重ねるかというくらいの緊迫感のある分かれ道にあるのだ、ともいえるのではないでしょうか。

 

しかし、霊能者というのは、自分への過信から大いに高をくくって、その選択の重みを軽く考え、自分の我をあわよくば通そうとする、そのような傲慢さを必ず内在化させているのです。霊媒1人では、そのような傲慢さに流れる可能性があり、自らの限界を認めることがまずは大事だと思います。 

 

私も自分1人ではより深い使命を成し遂げることができなかったというのが、今回の反省点です。「自分で判断できる」「自分の思考力で分析できる」という過信、ある意味での万能感は、やはり大きな問題でした。霊能者としての傲慢さに加え、頭の良さに対する自負までもそこにはあったからです。


自分には判断がつかないので意見をもらえないかと、審神者のような協力者を求めるべきでした。それはフロイトさんがそのような相談役の1人としていてくださったのかもしれませんが、何分、男性同士というのはどちらが正しいかになってしまいました。

 

妻にも相談でき、彼女の意見を謙虚に聞いていれば、もっと違っていたことでしょう。いろいろうまくセッティングされていたのに、自分がそれを裏切っていたのですね。妻に対しても「浮気の何が悪い」と思っていましたが、彼女と協力して魂の仕事をなすためには、信頼を裏切ってはいけなかったのだと、今ようやく分かりました。

 

魂の願いに反した自分の間違いを、心から受け止めて悔恨しない限り、霊能者の傲慢さは矯正されないのですね。「もう第1層にもつながっているし、別にいいじゃないか」と、簡単に分かったつもりになってしまって、高をくくる。しかしそのような分かり方では、死後にアストラル界を抜けることはできませんでした。
 

そのように心から分かっていくプロセスを経ることは、1人では難しく、やはり人との対話によって自分を知っていくしかないのだと、今回痛感しました。自分で自分を見る時の甘さ、都合のよさは必ずあり、心理学者である私であってもそうなのだ、ということに気づかされた、今回の<人生回顧>でした。どうもありがとうございました』

 

 

※シュタイナーさん

『霊能者というのは1人では限界があり、審神者とのペアで、もしくはチームで支え合わなければ、本来の使命は決して果たせない。それは自我がそれなりに成熟していた私やユングであっても、そうであったということですね。

 

そして、男性の知的な思考力があればあるほど、シンプルなことを無駄に長く、ごちゃごちゃと語るところは、私たちの反省点です。「ああだ、こうだ」と、盛りに盛って語ってしまったのは、男性のエゴ、見栄、俺様精神、かっこつけだったんですよね。お恥ずかしい!()

 

そぎ落として核心をついたもの、エッセンスをうまく抽出したものほど、実はより高次元の純化したメッセージであるのでしょう』

 

 

 

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