新しい地球からのメッセージ①:言葉の役割
2022年9月2日
※塩谷信男(しおやのぶお、1902年~2008年、日本の内科医師、心霊研究者)
「塩谷先生、お元気ですか?」
『ナント!! 私を思い出してくれたんですね。みんな、早く自分に声がかからないかなーと、首を長くして待っているのですが、でもやはりトップサイエンティストや有名アーティストといった花形の人が注目されるじゃないですか(笑)。なので、もう私がお話する機会はないだろうな、なんて思っていましたから、意表をついたお声がけを嬉しく思いました。
なんだか、しみじみとしますねえ。大崩壊が間近に迫っているということは、私たちの生きた時代にも言われていましたし、それよりも前、コナン・ドイルさんも<あの世>から預言していらっしゃいましたね。日月神示も、ノストラダムスもあったし、「まだか、まだか」と思っている地上の方も多いのではないでしょうか。これだけ前もって伝えられていたのは、何とかその前に軌道修正してほしい、という思いがあったからでした。
特に根本的なところでの分岐を誤って進んでしまっている場合は、なおさら修正のためのエネルギーと時間はかかります。「神を否定した」なんて、根幹の根幹となるような選択でしたからね。
そして、そうなると言葉から「神」が消えました。
本来、魂から語る言葉には、神とつながった響きが生まれるものです。特に日本語というのは、そういうものなのです。そのような言葉を読むだけで背筋がシャンとし、そのような言葉を聞いただけでも、心の深い部分の鐘が鳴りました。その音の響きに震え、涙が出てきてしまうような時もありました。
不思議ですね。表現としてはそう変わらなくとも、どこか違いを感じてしまう。それが言葉の面白さ、そして奥深さなのでしょう。
また、メッセージの次元が上がっていった時の言葉というのは、一言一言の重み、情報量の濃さがあるにも関わらず、シンプルで軽やかでもあるという、背反する性質を併せ持っていましたね。3次元は最果ての低次元のように見えて、その可能性を最大限発揮すれば、最も高次元の叡智にも届くということなのでしょう。そぎ落とされたそれらの言葉の背後に、まさに神がいるかのような感覚さえ抱きました。
言葉こそ、私たちが神と共にいるための、最良の道具だったのでしょう。言葉によって神に近づき、言葉によって真実に光を当てられます。しかしその言葉こそ、神から離れるための表層思考を創り出すものでもあり、観念をがんじがらめに構築する手段にもなった、ということなのですね。
なかなか扱いの深みがある道具を、私たちは与えられたものです。そして、どちらにも使える言葉でありえたからこそ、私たちは<自由>だった、ともいえるのでしょう。
いろいろな視点からの感想ということで、私からは言葉に関してでした。どうもありがとうございました』
2022年9月3日
※アンネ・フランク
『言葉の話が出たので、私も一言。
言葉は、心の中(精神内界)の無意識を、意識するために必要です。
さて、この状況をあなたはどう認識した? それはなぜ起こったのだろう? それは何を意味している? ではどう行動する?
心の整理には、言葉は必須です。言葉がなかったら、心もなかった。つまり言葉にするから心はあり、その心を持つ私を自覚することができる。そうやって私を知ることができる、ということなのでしょうね。
そしてアカシック・レコードという時空間を超えた、素晴らしい情報記録装置も天にはありますが、この地上で人間から人間へと伝えられる言葉というのも、また一層味わい深いものです。人から人へ伝達された叡智というのは、時間をかけたからこその重みと味わいがある言葉となり、そのきらめきがひときわ違うからです。
あの世に行ってしまえば、情報を知ることは容易になりますが、そこに感動があるかというと、それほどでもないんですね。「なるほどな」とか「そっか」と思って淡々と受け止めていくことが多いんです。
ところが地上で苦悶の末に、その人の生涯をかけて学びとった言葉は、その重みを伴って魂にズシリと響きます。それはまさに刻印されるかのように、受け取った人に残り続けるんです。感情があるからこそ、それは可能なんでしょうね。
だからこそ、地上での学びは深く刻まれ、忘れられないものになるのではないでしょうか。魂に刻まれた学び、言葉として受け取ったその叡智。それこそが地上では何よりも得難いものだ、といえるのではないでしょうか』
2022年9月4日
※ヘレン・ケラー
『どうも。言葉のテーマが続いたので、それならばついでに私も、と思いました。
私がまだ言葉を知らない時、感覚的に外に広がる物質世界を感じても、それは次の瞬間には消えてしまう<今>にしかないものでした。それが、言葉を知って、はじめて私の脳の中にその存在を映し出せるようになりました。
つまり、消えゆくはかないものとしてではなく、‘それ’に言葉を当てはめることによって、一瞬の認識が確かなものになり、さらに時間の観念を言葉で学ぶことで、「これは過去にも触ったことのある水だ」と、それを脳の中で定着させて感じることが可能になったのです。
それは、言葉は時空間の観念も作っている、ということです。
時間としての昨日、今日、明日
空間としての宇宙、地球、家
その言葉が名付けられていなかったら、その区別もつかなかったでしょうから。
脳の中では、その言葉をつけたもののイメージ自体を模造として取り込み、印象付けているようです。「星空」と聞くと、脳内にそのイメージが思い出される(映る)じゃないですか。だから私たちは、一度その言葉を受け取った時の観念で、脳に定着した模造を再現しながら、世界を見ているところはあるんでしょうね。それが結局は観念による認識の歪みにもつながりますが、多くは脳の中での効率的な情報処理にそれは役立っているということです。
次の<新しい地球>を創っていくのも、言葉だと思います。今度はより良い世界にしていきましょう!!』