新しい地球からのメッセージ②:科学者編

2022年930

※ウィリアム・クルックス(1832~1919年、イギリスの化学者、物理学者。19~20世紀に行われた、心霊現象の科学的研究の中心人物)

 

『「言葉の役割」についてのお三方のお話、さすがそれを専門に探究されていた方々だけあり、意味合いとしては凝縮した深みがあるのに、軽やかに語られましたね。その軽やかさのゆえんは、言葉に付随する観念が取れ、ニュートラルに語られているからなのでしょう。

 

そのようなニュートラルさは、科学にも通じるところがあるなと思いました。なぜなら科学者とは、観念を外していくための<事実>を人に提示することが仕事だからです。

 

例えば、かつては「地球は平だ」と考えられていましたが「地球は丸い」に変わり、また天動説から地動説へと変わりましたが、それらは観念で思っていたことが<事実>によって刷新された例でした。それが教育によって人類の集合意識となりますが、このように観念の刷新をすることが<事実>を提示する科学の在り方だったのです。

 

ところが、19世紀には特異なことが起こりました。幽界の霊をさまざまな方法で科学的に検証し、最終的には写真という目に見える形で、その証拠を提示したのですが、その<事実>が否定されたのです。

 

あの時代は、他にも厳密な実験によって<あの世>の存在を実証した結果は数限りなくあり、様々な科学者からそのような研究報告がなされました。本来なら、そこで過去の科学的証明と同様に、その<事実>でもって観念の刷新が行われるはずでしたが、多くの科学者を含め一般の人々からは「信じがたい」と否定されてしまったのです。(注1)

 

それは事実によって観念を打ち砕くべき科学自体が、第2~3層の観念の中に取り込まれ、その域を出なくなってしまった状態でした。それが神(あの世)を否定した集合的観念に、舵が切られる重要な分岐点となりました。それからも、あの手この手で天界からはあの世の存在証明を展開しましたが、もはや経済成長と合致して疾走する唯物主義・科学主義の集合的観念を変えることはできませんでした。

 

でも、不思議に思いませんか。もし<あの世>があるのなら、人類が道を踏み外さないように、それを目に見える明らかな形で神が示しておかないのは、なぜなのでしょうか。例えば、人が死んでも幽霊として漂っているのが見えたり、神の姿が見えるならば、その存在をみんな信じるはずなのです。

 

ところがあの世や神は、目には見えない仕組みになっているのです。それは、「神を信じるか、疑うかの<選択の自由>を、人類は与えられているからだ」ということではないでしょうか。そのように、どちらも選べるような、絶妙な五分五分のゲーム設定が地球にはなされているということなのでしょうね。

 

そして人類の自由意志による選択は、今回も神から離れる結果となってしまいました。次回こそは、この失敗からの教訓を学びに、科学的<事実>によって観念を打ち砕いていきたいと、我々<新しい地球>のの科学者チームは意を決したところです。神に近づく手段は様々にありますが、事実を提示するという<本来の科学>ほど、それに貢献するものはないと私たちは考えているからです』

 

 

2022年101

※南部陽一郎(1921~2015年、理論物理学者。2008年にノーベル物理学賞を受賞)

『私も未来の科学者に向けて一言。3次元の地球科学ほど面白いものはないです。なぜなら、5次元に行ってしまうと、答えが直観的に分かることが多いのですが、3次元の場合はそれが<分からない>設定になっているからです。だからこそ「なぜだろう」と好奇心が刺激される。それは、<無知の知の神>として最も楽しめる環境になっている、ということでしょうね。

 

しかも自然の中にはいろいろな謎解きのヒントが組み込まれていて、それらを解明していけば法則がそこに見えてくる絶妙さ! まったく分からない状態になっているのではなく、探究しようと思えば必ず答えが導けるようになっています。

 

そして分野は違いますが、魂の記憶もいったんは忘れるけれど、それを「思い出そうと思えば、思い出せるようにもなっている」ということですからね。

 

そのように、「分からないけれど、分かることもできる」、「思い出せないけれど、思い出すこともできる」という<五分五分設定>があるからこそ、そのどちらを選ぶかはそれぞれの<主体性>に自由に任されているということです。だからこれだけ霊的成長度に差ができるということもあるようです。

 

つまり神に向かうペースは完全に各人に任されていて、<自分次第>ということです。「天は自らを助くる者を助く」というのは、よく言ったものです。

 

そのように<無知の知の神>として主体的に謎解きをしていく面白さ、絶妙な分からなさの中で、さらに刺激される好奇心。そして何と言ってもみんなで協力して研究もできるし、話し合いながら刺激も受けるという、そういうチームプレイもなかなかいいものです。

 

だから私は、

「いや~、科学で遊ぶなら、3次元最高だよ! 

分からないからこそ、分かっていく喜びが激烈にあるよ! 

<無知の知の>好奇心を満足させてくれる、チャレンジしがいのある体験場だよ!」

と、後輩には伝えています。

 

それにそそのかされたのか()、有能な科学者たちもまた3次元にチャレンジしたいと言っていますから、次回はレベルが高い面白いゲームになりそうですよ』

 

 

※豊田亨(1968~2018年、素粒子理論を専門とする物理学者)(注2)

『そそのかされた科学者の一人です()。「分からないことが多いというのは、謎解きしがいのあるハイレベル設定だ」と南部さんから聞いて、「そこで腕を試したい、好奇心を堪能してみたい」と思いました。

 

時に足を滑らせて幽界の闇に捉われる危険性もありますが、でもそうなったとしてもそこから抜け出た時の爽やかさ、そして学びの深さは絶大です。……このように難しいお題ほどゾクゾクする私ですから、今回もチャレンジングな人生を選んだのでしょうね()。持っている資質というのは、やはり変わらず、それが個性ということなんですね。

 

ということで、またよき時期になったら、3次元へのトライを狙っていますので、今度は11次元から13次元を拓くことができるようやってみたいと思います!』

 

 

※広瀬健一(1964~2018年、応用物理学専攻の物理学者)

『そそのかされ組に私も入ってしまいました()。なんだかんだ研究が好きですから、お題が多い3次元だと選び放題。「それはもう、科学ビュッフェのようで、どれでも好きな分野を選択できるよ!」という<南部教>に心酔しました()

 

こんなに楽しいモードで、<新しい地球>のことを話し合っていいのかな、と最初は戸惑いがありました。なぜならいわゆる<神>のイメージというのは、厳粛で高貴な理想像がどうしてもあるじゃないですか。

 

でもそれは、<全知全能の神>の観念で神を想像していたからなんでしょうね。でも私たちは今、一人一人が神の分身として、体験を学びに変えて楽しむ<無知の知の神>として、そのありのままの姿でいるんです。つまり、解脱して5次元に行っても、その個性はそのままで、完璧でもないけれど、でもそれが多様な魂の輝きとなっているということです。

 

「だから、自分の個性を発揮し、それを楽しめばいいんだ」と言われ、それがとても嬉しく、「だったら、もっとチャレンジしてみたい!」と思いましたね。霊的な次元を上げていくというのは、捉われをなくし、観念を手放していくということのようです。そうすることでますます<自由>になっていく喜びを感じています』

 

 

※スティーブン・ホーキング(1942~2018年、イギリスの理論物理学者)

『車いすの科学者、ホーキングです。3次元の面白さは、ハンデや負荷を自在にかけられるところだと思います。

 

私が生前、筋萎縮性側索硬化症になったのは、そのような負荷をかけて自分の思考をより洗練されたものに磨き上げるためでした。追い詰められた状況だと、人は眠っている潜在能力を底の底から引き出す強さを持っています。私も自分では動けず、またいつ亡くなってもおかしくない状況だったので、最後の力をふりしぼるように研究に打ち込めました。

 

そして、もはやそれしかできない状況だと、よそ見もしませんからね。もし私が身体も自由で、いろいろな娯楽も楽しめたなら、人生の半分くらいはそれを謳歌し、科学への研究にそこまでのめり込めたかどうか分かりません()

 

そのように3次元というのは、生まれる段階でどれくらい自分に負荷をかけるかも計画していきますから、より楽しみがいがあると思います。

ちなみに私は、今回は頑張ったので、次はしばらく5次元で悠々自適に遊ばせてもらう予定です()。でもまた最後には、チャレンジ精神が出て、3次元に飛び込んでいくかもしれません。それくらい、大変ではあるけれど魅力的なところなんです』

 

 

注1)<あの世>の立花隆インタビュー<あの世>の科学的証明:クルックス×河合隼雄×キューブラー・ロス」

 

注2)豊田亨氏、広瀬健一氏については「あの世の科学者との対話:ブラックホール、ダークマター、ダークエネルギーについて」に詳しく説明がある。

 

 

 

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