日本の役割

 

20121026

『国にも特性や役割が与えられていて、とても大雑把に分けると、イスラエルは父性を、日本は母性を象徴します。旧約聖書が生まれたイスラエルでは一神教の男性神が、神道が生まれた日本ではアマテラスをはじめとする女神や八百万の神が人間により観念づけられたのも、国が持っているその個性による影響が大きいといえます。

 

この東西は、もともとは同じことを、男性的側面と、女性的側面から表現しました。2つの異なる宗教ではなく、1つの異なる側面であり、それが進化の段階では必要でした。今、この2つは融合に向かっています。宗教は分化していますが、いずれは1つに帰するためです』

 

 

201347

『これまでの時代は、オーケストラのように指揮者の合図に合わせて1つの目標に向かうような組織のあり方で進んできました。それは統制(コントロール)された調和、男性的な調和を象徴していました。


これからの時代は、アンサンブルのようなそれぞれの個性を生かして共に歩む、自然で受容的な調和、女性的な調和のあり方をした小ユニットが、ぞくぞくと生まれてくることでしょう。


オーケストラは一神教のあり方を、アンサンブルは多神教(八百万の神)のあり方を象徴しています。どちらも調和のための一側面ですが、みなさんが住む日本からはアンサンブルのよさが見直されていくことでしょう。自分の個性をその他大勢に融和させていくような日本的調和ではなく、自分の個性を発揮することにより、生かし合うという道が見えてきます』

 

 

2017512

『男性エネルギーは、言葉を外に発します。より広く、遠くに運ぶ性質があるからです。逆に、女性エネルギーは、言葉を内に発します。より深く、中心に向けて運ぶことができるのです。これらの性質は、神から離れ、また神に戻るための、拡散と収縮のリズムをもたらします。


このような性質を利用して、キリスト教は、天からの言葉を外に広げていきました。そのように言葉が広がることで、男性原理におけるエネルギー自体も、世界に拡散していったといえます。一方、仏教では、自らの内に向かう悟りの方法が提示されました。それは女性的エネルギーで、内に深く沈静していく方法でした。


それでは、神道はどうだったでしょう。神道は、外にも内にも神を見出し、また男性性も女性性をもあるがままに認めるというあり方をしています。つまり、日本は外と内、陰と陽を統合するための、神の国なのです。この神の国では、言葉の持つエネルギーは、<ありのまま>です。正直に、ということです』

 

 

2017831日続き

『日本語というのは、一音における含みを多く持つという特徴があります。それは、宇宙の生命エネルギーである母音が、すべての音の中に注ぎこまれているということです。<言霊>といわれるゆえんも、そのためです。


言葉は、その国の使命や役割を反映しています。言語というのは、意識(認識)の仕方に非常に強い影響を与えるために、その民族の成り立ちの時から、全体像を鑑みた上で、天からもたらされるものであるからです。決して偶然の産物ではなく、その民族の息吹として、むしろ言葉が先にできているといっても過言ではありません。この夢の世界を意識化し、3次元の基本的観念を形づくったのは、言葉なのです。


日本が神の国だと言われるのは、すべての言葉に母音(宇宙エネルギー)が入っていることからも事実です。日本は、宇宙の縮図、世界の縮図、つまりは<集合意識の核>としての機能を果たすために存在しているのです。


東洋と西洋で、陰陽に分かれたという言い方もされますが、それは二極化が原則の地球圏(35次元)の中での説明のされ方でした。日本が核だというのは、その二極化の法則の外にある宇宙圏(7次元以上)からみた真理です。日本は陰陽の片方というよりも、本質的には全体をも表し、そしてその核にもなることができるということです。リセットの中心、それが日本です。

 

その日本での言葉は、すべての音に宇宙エネルギーが注ぎ込まれています。シンプルな言葉でも、そこにいろんな意味あいが内包され、深さが生まれます。1つの音自体でその深みをどこまでも追及できる特徴があるからです。


<リセット・リスタート>には、日本の音、日本の言葉が、その最も深い意味のところで使われることでしょう。言葉ではじまったこの世界は、それを閉じる時にも言葉でなされるのがふさわしいからです』

 

 

2017915

『「君が代」には何段階もの深い意味がありますが、今回述べることはその核心であり、最もシンプルな内容です。

 

地球に人類が住むようになった頃、人類の始祖となる霊魂が地上に受肉していきました。それは地球の法則により陰陽に分かれ、イスラエル(ユダヤ)人と日本人になりました。しかしそれらはもともと1つの両側面であったため、それぞれの文化にはまったく同じと言える共通点と、分かれたためにまったく反対の性質を持つに至りました。このような前提の上で、これからの話は展開します。


「君が代」は、この2つの国の共通項である、宇宙の神秘を核に秘めています。そして、両極に分かれたそれぞれの意味があり、日本語で解釈した場合とヘブライ語で解釈した場合とは、その意味が真逆になります。

 

日本語の意味の中には、宇宙が地上に降下する(つまり物質化する)ための暗号が秘められています。霊的なものが石のように物質化していき、そしてそこに生命が息づき、「苔のむすまで」というようにいつの間にか増え、繁栄する様が描かれています。


それに対し、ヘブライ語で意味をとった解釈では、人々が神と分かれ、独歩がすぎれば、それはやがて滅びゆくだろう、となるのです。


<生成と消滅>は、抱き合わせてこそ生命といえます。「君が代」に命が吹き込まれているのは、そのような宇宙の真理が、表と裏という形で刻まれているからこそです。この歌は、物質的に繁栄していく時にも、また物質が滅びて霊的に回帰していく時にも唄われる言霊として、降ろされていました。二重の意味を包含できる言霊であったということです』

 

 

2018111

『「最後の日までどのような心持ちでいればよいのか」と聞かれれば、<清明正直>とお答えしましょう。これは日本に古くから伝わる言葉ですが、どの段階の魂にも通用する意識の持ち方といえるからです』

 

 

201848

『神道は、3次元的には陰陽(和魂と荒魂、直日と禍日)を、5次元的には多様性や統合性を、そして7次元的には<空>をも表現しています。神宮が象徴しているのは、究極的には、「ただそこにある」ということです。仏像も何もないただの宮が、<空>を思い起こさせます。そこに神を意識すればいて、意識しなければいないという7次元的神域であるということです。


つまり、神道にはあらゆる次元の法則が表現できる余地があり、それだけシンプルであるからこそ、すべてを含むことができるということです。このような土壌で育っている私たち日本人は、時代の始まりをも担いましたが、この終わりにおいては<生成と消滅>の自然のリズムを穏やかに受容するという役割があるのです』

 

 

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