人生回顧 チャールズ・ダーウィン

※チャールズ・ダーウィン(1809年~1882年、イギリスの自然科学者。『種の起源』で進化論を提唱する)

 


2022年113

清華 「ダーウィンさん、こんにちは」

 

ダーウィン 『うーん、あまり話しかけられたくはなかったんです。静かにしている分には居心地よかったのですが、私のことを皆さんが話題にされた時から、胸がザワザワしていました』

 

清華 「今、どちらにおられるのでしょうか」

 

ダーウィン 『精神界にまでは来ました。アストラル界では感情を、精神界では観念を浄化するということで、アストラル界を抜けることに苦労される方も多いようですが、私にとってはそれまでの観念を手放して解脱することほど難しいことはないな、と感じています。だから半ばあきらめて、どこか開き直ってさえいたんです』

 

清華 「今回、改めて<人生回顧>をお願いしたいと思っているのですが…」

 

ダーウィン 『確かに、自分だけでは煮詰まってしまって、ここで留まっていますからね。<人生回顧>に躊躇する気持ちもありますが、でも内心では解脱したい気持ちのほうが大きいですから、チャレンジしてみようと思います』

 

清華 「では、思い付くところからご自由にお話しいただけますでしょうか?」

 

ダーウィン 『アストラル界で振り返ったことは、私は権威に対する執着、保身、プライドなどが強かったのだな、ということでした。それを当たり前のように感じ、「その何が悪いのだろうか」とかなり長く憮然と認めがたい心境が続きました。

 

そこに<あの世>でのウォレスさんと渡部昇一さんの立花隆インタビューが始まりました(※注1)。「ダーウィンに消された男」としてウォレスさんが言われていることは知っていましたので、彼がそれをどう言うのか、私はいぶかしげに見ていました。

 

すると彼は『私自身は、ダーウィンさんに消されたとは思っておらず、どちらが早く発見したかという知的優先論争にもこだわってはいないんです。それは3次元における世間的な名誉にこだわるかどうかの話なのでしょうね。本来、知識は誰かに優先権や所有権を与えられるようなものではなく、共有財産だと思っています』と話されました。

 

ホッとする反面、知的優先権を主張し、その名誉にこだわっていた自分が、さらに浮き彫りになった感じがしました。

 

生前、私が積み上げていた進化論は、枝葉の部分としてはほぼ完成していたんです。しかし肝心の幹である「別種としての突然変異に至るのはなぜか」という疑問は解決できていませんでした。

 

ところがウォレスさんからは、まさにその部分を明らかにした論文が届きました。私はそれを読んだ時に「先に公表せねば!」という危機感を持ち、友人にその発表をお願いしたところ、私の研究の補完のようにウォレスさんの論文を最後につけて共同論文とすることになりました。結局、その前から実績があった私の研究に組み込んだような形になったのです。

 

それをウォレスさんの許可もなく発表したのですが、彼はむしろ私を応援してくれました。ホッとした私はその急いで「種の起源」として本にもまとめました。

 

名誉はそれで保証されましたが、実はその頃、子どもが亡くなりました。私の体も不調を起こし、病に倒れて静養を余儀なくされることも続きました。それはウォレスさんの件での因果応報の結果でした。死後、それに気が付いた時は、体が震え、涙が出ました。

 

彼はその後、心霊研究にのめり込んでいき、私はそれをやめた方がいいとアドバイスをしていました。研究者としての社会的名声は、そこで途絶えることになるからです。私などは絶対に手を出さない分野で、理解ができませんでした。私は彼を憐れみ、しかも自分の権威が安泰であることに安堵もしていました。

 

しかし彼は立花氏のインタビューの中で「心霊現象であろうと、その事実があれば、それを認めざるを得ない。それを無視することは、科学者としての良心が許さない」ということでした。私は人間としても、そして科学者としても、良心を見失っていたのだと思いました。

 

進化論は、動物が進化していくためには、環境に適応し、他種に勝っていかなければ生き残れないとも解釈できます。私は人間として、この勝ち負けの世の中に適応することに何の矛盾も抱いていませんでした。

 

しかし、本来の進化論というのは、個々の生存だけでなく、全体バランスの中での調和が求められている側面もあり、それは神が調整しているのだ、と今は思えるようになりました。<自然淘汰>とは、勝ち残りだけの側面だけでは決してなく、そうやって勝って増えすぎた種は、全体バランスを崩し、最終的には絶滅することもあるのですから。

 

また、私は生前、サルから人間に進化していくと思っていたんですね。それまでのキリスト教の観念では動物と人間はつながりがなく、神がそれぞれを創ったとされていました。動物と人間の間には明確な線引きもなされていました。ですから進化論は、それをつなげたところがむしろ画期的だと思っていました。

 

しかしピルトダウン人のニセ白骨事件はあったとしても、いまだにサルと人間をつなぐ骨は見つかっていません。それはやはり、量子的飛躍が起こって、限りなく分岐したあとにポンと突然変異が起こったからなのでしょう。

 

肉体的にはサルと人間は進化の分岐の中にあったとしても、それはグラデーションでつながっているような変化ではなく、突然変異をした別種なのですね。特に脳構造においては、まったく刷新されたような異次元がそこから始まっているのだと今は理解しています。それはやはり立花氏のインタビューでのウォレスさんの説明から学んだことでした。

 

ウォレスさんからこれほど教えていただいているのに、私は自分の知的優先権にこだわり、良心を手放していたのだと思うと、自責の念がわいていました。そのためにそこから先には進めなくなっていたというのが、精神界で止まっている原因だったように思います』

 

ウォレス 『ここからは私も参加させていただいてよろしいでしょうか?』

 

ダーウィン 『も、もちろんです!』

 

ウォレス 『まず、知的優先権について、明らかにしたいと思います』

 

ダーウィン 『はい、お願します』

 

ウォレス 『そんなもの、ないんです』

 

ダーウィン 『え?』

 

ウォレス 『だって、「霊魂は死後も存在する」と私やクルックスさんは科学的に証明しましたが、そこで知的優先権を主張したりしませんでしたよね()。誰が早く解明したかということではなく、みんなでそれぞれの研究を刷り合わせて見えてくる真理が、人類の共有情報となり、それを分かち合えばいいだけのことですよね。

 

そもそもアカシック・フィールドには情報がすべて書き込まれていっているし、それをたまたま思い付いたり、もしくはこれまでの情報を組み合わせて応用したりというのは、各人の特性を活かした役割の違いだけなのですから。

 

ノイマンさんも、コンピューターを開発しても特許などは取らず、社会に広がることを優先されたじゃないですか。でも今の科学や学問の世界は資本主義の観念を取り込んでしまっていて、誰が先に発表したかという競争になってしまっていますよね。それが最後の1秒の研究を急加速させている面もあるのですが()、しかしそれにこだわっているのはあまりに苦しいことなのではないでしょうか?』

 

ダーウィン 『そうですね。苦しい気持ちが蘇ります』

 

ウォレス 『でも、ダーウィンさんは「種の起源」を発表される20年も前からずっと自然選択説について研究されていたんですよね?』

 

ダーウィン 『はい、そうです』

 

ウォレス 『私はその核心部分を最後にポンと提示しただけで、それを仕上げて統合されたのはダーウィンさんじゃないですか。そしてその他の地道な研究もされていて、本当に生物の謎について知りたい方なのだろうと尊敬の念を持っていました。その好奇心が長年の研究を支えていたのではないですか?』

 

ダーウィン 『そうです。それが喜びだったんです(泣)!』

 

ウォレス 『その時の自分ができることをして、それを楽しめていたのなら、それで十分だったのではないでしょうか? 「ウォレスはダーウィンに消された」などと世間が騒いだので、それで過剰に自責の念をお持ちだったのかもしれませんが、生前も私は「それでいいです」と言っていましたし、むしろ私が生活苦の時は政府に働きかけて助けてもくださいましたよね。

 

結局、「種の起源」はあのような形で協力して発表すれば良かったのであって、それ自体が私たちの共同使命だったのではないでしょうか』

 

ダーウィン 『(号泣)…私たちの使命と言っていただき、ありがとうございました。それをもっと明確にウォレスさんへの敬意を表して、本にも記しておくべきでした。

 

そして、大きな心で特に名誉にもこだわらずに受け取られるウォレスさんの在り方が、観念から脱している姿なのだと今回思いました。生前は単に、欲のない人なのだと思っていましたが、3次元の学者の競争論理で物事を捉えるのではなく、魂の使命として役割を果たされていたということですね。それは心霊実験に関しても同じだったのですね。

 

それに対して私は魂や良心を切り捨てて、唯物主義、競争原理の観念の中でしか捉えていなかったのだと分かりました。その観念の強固さといったら、驚くほどですね。進化論も物質的な進化のみで考えていたので、サルから人間に進化するところが片手落ちだったのだと分かりました。霊的なことをしっかり組み込んで考えれば、進化についてももっと奥深い研究ができそうです。次はそれに取り組みたいと思います。

 

そして今生の私の学びは「知的優先権などない、情報は皆に共有して分け合うものだ」ということでした。それによる名誉も、ただの競争主義の観念だったのですね。今回の人生回顧ではじめて、「なぜそんなことにこだわっていたのだろう。謎解きの喜びの方がそれに優るじゃないか!!」と思えました。ウォレスさん、どうもありがとうございました!』

 

 

(注1) 立花隆<あの世>でのインタビュー5 進化論と人間の特殊性:A.R.ウォレス×渡部昇一

 

 

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