則天去私

 

2018816

『魂の覚醒には段階がありますが、最終的には、生まれる前に約束してきたことを核心的に思い出すことです。


覚醒に向かう段階としては、おおむね以下のようになります。


1.目に見えない世界を受け入れる(霊的世界の認知)

2.何らかの大いなる存在を認める(外在神の認知)

3.自らの内に魂があり、それは大いなる存在ともつながると感じる(内在神の認知)
4.魂に直観が流れ込んでくる(天地の交信)
5.魂の声を聞き、現象界の選択肢の中にそれを入れられるようになる(実在界への信頼)
6.今回の使命、天との約束をはっきりと思い出し、それを生きる(則天去私)』

 

 

20181229

『<則天去私>で生きると受動的になりますが、それは<今、必要なことは、現実として与えられる>という天に対する信頼観があるからです。つまり現実の実行部隊は<この世の私>ですが、その脚本自体は天にいる<あの世の私>であり、<あの世の私>は現実を通して様々な問いを投げかけてきているということです。

 

このように<あの世>と<この世>が対話で成り立っているという前提に立てば、<あの世の私>からのボール(問いかけ)を受け取るためには、受動的な姿勢が必要です。目標を設定したり、自分の欲求や都合で動いていては、<あの世の私>からのボールを受け止められないためです。

 

また、その問いかけに対してどう答えるか(ボールを投げ返すか)を検討するには、しっかりとした自我も必要です。天の意志に合わせるということは、流れてきたものにただ流される自我喪失状態ではなく、自我が成熟した上での意志による選択的な受容性で、それは自分勝手に動くよりも忍耐と決意がいるものだからです。

 

ユングは生前、「人生の午前は社会適応するための自我をしっかり作り、人生の午後になって自己(魂)との調和を図るのがよい」と提案していましたが、それはこのような理由によるためです』

 

 


2019
520

流れに任せて天に任せてとよく言いますが、それに関してコメントをお願いします」

 

流れに任せて天に任せてという言葉は、スピリチュアルに生きている常套句のように使われているところがありますが、その言葉の背景にある動機は、人によってまったく異なるようです。因果応報の法則は<その動機に対して>働くものですので、その聞こえのよい言葉で受け流している数々のことが、実は悪因となっていないかどうか、よくよく考えてみることが必要です。

 

例えをあげるならば、流れに任せるという名目で、葛藤の回避、選択の放棄、他力本願性(依存)が心の無意識層で働いている可能性もありますし、また天に任せると言いつつ、それは状況をあいまいにしておくためであったり、向き合うべきことを避けてカモフラージュしておきたい心理が働いている可能性もあるということです。

 

一方で、これらの動機はアストラル界とつながる格好の条件ですので、アストラル界の霊力を活用した<引き寄せの術>などのパワーが働き、一見よい結果が続くことがあります。そのため、本人も流れの中にあると一時期は良い気分になりますが、いずれその結果は返ってくることになりますし、いくら避けて先送りにしたとしても、死後になれば如実にその結果は表れることでしょう。

無自覚であった心の中の問題は、死後のアストラル界で必ず引っかかるようになっているからです。まして、今や地上とアストラル界は重なり合って、心の無意識層とリンクした状態になっていますので、魂をますます曇らせていく要因にもなります。

 

本来のスピリチュアルなとらえ方で流れに任せて天に任せてという言葉を生きるとするならば、目の前に来た現実は<あの世の私>からのどのような問いかけであるかを、まずは冷静に見極めることが必要です。そして自分の心の第13層(注1)もありのままに見た上で、この状況に対してどのように行動することがその問いかけに応えることになるのかを、<この世の私>の自我で選択をします。その選択の連続が善因善果として続いていけば、シンクロニシティなども頻発し、非常に流れのよい状態になることでしょう。

 

ここでのポイントは、天に任せるからといって、自我の判断を放棄するということではありません。天の意図する流れに、自我が意志をもって合わせるというのが、正しく意味をくみ取った理解だということです。

 

このように天とつながって生きるためには、第23層の欲求ですぐに動かずに、<あの世の私>が現実を通して投げかけてくるものを、まずは素直な目で受け止めていくことも必要です。その上で、それを自我が冷静に判断し、その状況に対する適切な(第1層にかなった)選択をすること。それが<則天去私>という生き方です。因果応報の法則を、善因善果でうまく活用していくには、この<則天去私>の姿勢も伴うと、さらにスムーズに現実が流れることになるでしょう』

 

(注1)第1層=霊的自我(魂の願いを生きる自我)、第2層=無意識的自我(感情的自我)、第3層=意識的自我(社会的自我)

 

 

 

2018年11月1日

この世は、<あの世の私>と<この世の私>の対話によって成り立っています。

<あの世の私>は、常に<この世の私>に謎かけをし、

それがこの世の<今>を作っています。

「あなたはこの現実にどう応えるか?」という形で。

 

<あの世の私>は正しい答を知っていますが、<この世の私>はそれを知りません。

だから、これまでの智慧を総動員して、<この世の私>は正しいと思われる選択をし、

それを行動に移して、その正誤のほどを<あの世の私>に問いかけます。

 

その正誤は、ひとえに<神に向かう(=魂に適った)選択>を行ったか、

<神から離れる選択>を行ったかという、その動機にかかっています。

しかも、それはそれぞれの霊的成長度によって異なりますから、

百人いれば百通りの正しさがあり、それは自分の魂しか知りません。

 

しかも、<この世の私>は、第2,3層で人をも自分をもだますことができますから、

第1層の<魂の声>は、静けさの中でじっと耳を澄まして聴くしかありません。

それは常にかすかな声ではありますが、でも聴く気になれば誰でも聞くことはできます。

 

そして、自分が行った選択や言動が正しかったかどうかは、

<因果応報の法則>によって、その結果は厳密に示されます。

神に近づく選択であれば、次の<今>に進むことができますが、

そうでなければ、その<過去>の課題が繰り返されることになります。

そして「これでもあなたは気づかないのか」、「無視し続けるのか」という形で、

<この世の私>が気づくまで、その課題は次第に厳しさを増して与えられます。

 

<無知の知>を知り、チョボチョボの自分を受け入れている<この世の私>は、

自分の選択が常に正しいわけではないことを知っており、

そういう自分を受け入れてもいるので、自分の選択の正誤のほどを知るために、

<因果応報の法則>によって働いた結果に、常に注意を払っています。

 

そして、期待通りの結果にはならなかった場合は、

自分の選択が正しかったかどうかを自らに問いかけ、

間違いに気が付いた場合は、素直にそれを認めるようにします。

そうすると、その状況は速やかに解消し、

また新たな次の課題が、<今>の私に与えられるようになります。

 

でも、<この世の私>が「自己肯定・他者否定」の場合は、

自分の選択や言動が誤ったかどうかなどに、注意を払うことはありません。

それでも<因果応報の法則>は働くので、状況が悪化することはありますが、

それは常に人のせいにして相手を恨んだり、自分を被害者と思って哀れんだりして、

この世は自らの選択、言動によって立ち現れていることを、絶対に認めることはありません。

 

実は「自己肯定・他者否定」も、結局は早期の人間関係によって作られた、

色眼鏡(=観念)に過ぎないもの(しかもそれも<あの世の私>が仕掛けたもの)ですが、

<この世の私>がそれを手放さない限りは、常にその過去の観念に縛られて、

けっして新たな<今>を生きることはできないのです。

 

だから、<この世の私>が「自己肯定・他者否定」を脱して、

本当に<第1層の私>に至って、<あの世の私>と<今>の対話を続けるためには、

「常に自分は正しくて、相手が間違っている」という観念を手放して、

自分が行った選択や言動の正誤のほどを素直に問うために、

因果応報の結果に注意を払って生きる、ということしかないのです。

そのためには、その<因果応報の法則>を厳密に機能させている、

<大いなる存在>を認めるしかないのです。

 

「自己肯定・他者否定」という個人的観念に限らず、

そうした個人的観念と集合的観念とをすべて、

「見て―受け入れて―流す(学ぶ)」ことによって浄化できるならば、

<即身成仏>に至って、<あの世の私>と<今>のキャッチボールができるようになり、過去・現在・未来にわたる<因果応報の法則>は無用となります。

そして、共にこの世を創出していくという、5次元の<思念の現実化>に至ります。

 

ただし、一度その直日をつかんだからと言って、

<この世の私>は、この現象界の中に生きていますから、

常に第2層や第3層の自分にも影響されます。

ですから、この世にいる限りは、常に<因果応報の法則>に照らし合わせて、

この現象界を生きている自分をチェックし続けるしかありません。

それが<あの世の私>に正しく応じているかを知る、唯一の指標なのですから。

 

 

 

 

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