人生回顧 A・R・ウォレス
※アルフレッド・ラッセル・ウォレス(1823年~1913年、イギリスの博物学・生物学・地理学・人類学の研究者。専門的な教育を受けていない在野の研究者だったが、動物の分布境界線であるウォレス線をはじめ、多岐にわたる分野で論文を発表。心霊実験の科学的証明に関しても同様に貢献した)
2022年11月4日、5日
「ウォレスさんの<人生回顧>もお願いできますでしょうか?」
『私は生前に<人生回顧>を終わらせていたタイプのようで、死後は一気に天界に戻りました。そのように<即身成仏=解脱>ができたのはなぜだったのかを、一つのモデルとしてみなさんの参考にしていただければ幸いです。
まずは、そもそもの前提としての話ですが、私たちはどの時代、どのような環境で生まれ育ったかによって様々な集合的観念や、個人的観念を取り込んでいくのですが、それがこの世界を認識する時の観念(色メガネ)として作用していきます。
そのような観念があるからこそ、同じ現実でも様々な主観的解釈をすることになり、一人ずつ違う多様な体験と学びを生み出すことになります。
そして解脱をするということは、そのような無意識的に取り込んだ<集合的観念>と<個人的観念>を手放して、次の5次元の世界(天界など)に進むということなのですよね。
私の場合、おおむね平穏な家庭であったため、個人的観念となる余分な色メガネは少ないほうでした。ダーウィンさんは格式高い家柄の生まれで、父親の期待もあり科学者としての権威を守る気持ちがおありだったと思いますが、私は<名もない庶民>の生まれだったので、そのような保身が薄いところはあったのです。
しかし、集合的観念はどうしても教育で教え込まれ、また社会通念として無意識的にも刷り込まれていました。それを生前の間にいかに手放せたかということが、私が今回お話する肝になることと思います。
私が捉われていた主な集合的観念は、①「死後世界などない」という唯物的観念、そして②「文明国の人は優れ、未開人は劣っている」という観念でした。それは当時のイギリスが、産業革命としての物的発展が急速になされた後で(①)、自国の優位性を主張して植民地を増やしていた(②)からです。
それらの観念を手放し、正しく現実を認識できたのは<事実>によってでした。
まずは、①「死後世界などない」という唯物的観念を手放した話からしてみましょう。私は知人宅での交霊会に招かれた時に、霊的現象を目の当たりにしたことで、元来の好奇心が沸き、その真偽を科学的に探究したくなりました。そしてその後、様々な交霊会に参加するようになりました。
交霊会では、霊媒を通して<あの世>の霊が話したり、様々なことを透視したり(霊視現象)、時に自らをエーテル体で物質化して見せることや(物質化現象)、テーブルを浮かせたり(物質浮遊)、そこにないものを突如として運んできて出現させる(物質移動)など、様々な実験が行われました。私はそれらを科学的に詳しく検証し真偽を確かめ、さらにトリックが一切できない設定にして実験を行いました。しかし、霊的現象はそれでも確かに起こったのです。
自分が信じている観念を覆される現実に直面すると、はじめは抵抗感や疑いが生じるのですが、しかし厳密な実験結果からすれば、「<この世>の物質的な法則では説明のつかない現象が確かにあるということ。そしてそれは物質化して現れた<あの世>の霊が引き起こしていて、彼らとの会話も可能であるということ。その内容は合理的かつ一貫性もあり、中には非常に道徳性も高い通信もある」ということが分かりました。
科学者というのは<事実>に基づいて検証していきますが、それが<この世>のことであろうと、<あの世>のことであろうと、現実として立ち現れたのなら同じことです。それを自分の観念で否定し続けるのは科学者としての良心に反するため、私は「死後にも霊魂は存在する」ということを認め、発表しました。「事実は頑固なものである」と本にも書いたほどでした。
次の②「文明国の人は優れ、未開人は劣っている」という観念に関しても同様でした。私はインドネシアの小さな島々に動植物の採取に行き、そこに住んでいる未開の原住民と直接接した体験から、考えが一変しました。
例えば、彼らに売ってきてほしい標本を渡しても、決してその売り上げをくすめたりはしませんでした。もしそれがイギリスであれば、必ずトラブルが起こるような場面でも、何も起こりませんでした。彼らは非常に正直で道徳観もあり、その上他者への思いやりや良心から、自分のものを分け与えてさえいたのです。
私はそれまでの観念では、文明人のほうが人格的に優れていると思っていましたが、「むしろ逆なのだ。産業が発展して文明化するほど、表層的な知識は増えても、道徳観や良心は失われているではないか。人間性としてはむしろ未開人のほうが優れている」と思ったのです。これも<事実>によって、私が観念を刷新した出来事でした。
事実というのは、客観的なものです。しかし私たちは主観的観念や集合的観念で色付けて外的世界のことを捉えています。にもかかわらず、私が客観性を大事にしはじめたのは、最初に働いた仕事が測量士だったことも影響していました。目で見て水平だろうと思っても、実際に計測をしてみると、「実は傾いている」ということはよくありました。そのように「事実によって正しく認識をする」という測量士の経験は、後の科学的研究の土台となっていたと思います。そして解脱をするにあたって様々な観念を手放すことにも、そのスタンスは役立ったのです。
このように、私たちは(生前に自ら選んだ)環境によって、観念をいかようにでも取り込むことができ、またその後に正しく事実を見ていくことでその観念を手放し、そこから学ぶこともできる。それが人間に与えられた<自由>の意味なのでしょうね』