人生回顧 サラチームの霊媒の指導霊

(*サラチーム・霊媒二人の指導霊の人生回顧です。)

 

① 六兵衛さん(江戸時代に農民として生きた日本人の霊)

2022年1031

『先日のサラチームの対話の中で、江戸時代の人は今よりもIQが高かったのではないかという話がありましたが、確かにそうなのかもしれません。少なくとも、脳のネットワークは、現代人よりも確実にしっかりと作られていました。

 

もちろん今のような高度な知識をみなが持っていたわけではなく、私たち農民は、できても簡単な読み書きそろばん程度でしたし、閉鎖的な世界でもあったので、そこでの多くの観念はありましたが、でも人間として豊かに育っていたように思います。

 

まず小さい頃からコミュニティの中で、さまざまな人間が密接に関わってきますから、両親、祖父母、近所の大人や子供達といった、多くの人たちから多様なモデル学習ができました。

 

両親は田畑で忙しく働いていたので、小さい子どもの相手は、多くは老人や近所の姉ちゃんや兄ちゃんがしていました。世話好きなお姉さんがいたり、やんちゃなお兄ちゃんがいたり、ゆったりと見てくれる祖父母がいたりと、複数のモデルがいたのです。

 

またそのようなさまざまな関りから、村で暮らす中でのルールや道徳観も学んでいきました。当たり前ではあるのですが、村で大事にされているルールや道徳観は、みんなから教えられるのです。

 

この人も言っていた、あの人も言っていた、だからこれは大事なんだと、行動を通して身についていきますし、逆にある人は言っていたけど、他の人は言わないこともあって、それはその人独自の考えなのだろうな、という学びもしていたわけです。

 

私は、ガキ大将のお兄ちゃんから、良いことも悪いこともいろいろと教えてもらいましたが(面倒見は良く親分肌だが、手が出やすかったり、いたずらをしすぎては大人から怒られるなど)、そこからも人間って良い面、悪い面どちらもあることを知る機会となっていました(笑)。

 

大人になっても、さまざまなモデル学習は続き、村の長や年長者からの学びは尽きることはなく、先人の知恵と広い視野に何度も助けられたものですし、大きくなるにつれてモデル学習する対象が変わっていくことも、面白いなと思いました。

 

小さい頃は、怖いおじさんだなと思っていた人が、大人になればその役割や在り方が大事なことがわかるようになり、そうやって成長とともに様々なモデルを見ては、同じようになりたいと精進したものでした。

 

そうそう、小さいころ、何かしでかすと特に父親からガツンと怒られ、そのあと「何でそうなったか考えてみろ」と言われることがありました。その時に少しでも話を聞かなかったり、反抗でもしようものなら、納屋に入れられたりして、家に入れてもらえないのです(笑)。

 

そうすると兄弟や近所の姉ちゃん兄ちゃん、時にはおじちゃん、おばちゃんが、見にきてくれるんですが、その際何かアドバイスをしてくれたり、慰めてくれたり、時にははやし立てられたりする中で、自分の思いや状況も見ながら、何が原因だったかを考えていくことができました。

 

とは言え、悔しさが勝る時には半日以上、下手すると一晩納屋から出ないことや、家に入らないこともありましたが、次に父親に会う時は中途半端な思いで会うわけにはいきませんでしたから、自分なりに落とし込んで考えたものでした。

 

そして、覚悟が決まったところで父親と会うわけですが、その時の私の顔を見て、「こいつはもうわかったな」「まだわかっていないな」と父親は判断し、わかった時はそのまま何事もなかったかのように日常に戻りましたし、わかっていない時はさらなる突っ込みが返ってくるのですから、中途半端に終わらせることはできませんでした(笑)。

 

父親(オヤジ)という存在の大切さとともに、そのようなやりとりをしていく中で、あれかこれかと葛藤することを避けては通れず、子どもなりに物事を<正見>し、自分の欲求だけでなく周りの思いも考え合わせた上で、自分の意見や意志をもつということを、徐々に学んでいったようにも思います。

 

そして大きくなるにつれて、自分のことだけではなく、家の責任、村の責任を負う立場になっていきますので、おいそれといい加減な判断や行動はできなくなります。また、今のような便利な道具や機械があるわけではないので、何をするにしても人の手や工夫が必要になってくるため、どうするのがベストか、様々な状況を踏まえて検討しなければいけませんでした。

 

何かを決める際にも、家のため、村のためを思い、人に教えを請い、失敗したら何がダメだったかを話し合い、またやり直していく。そうやって体験しながら学ぶというサイクルを積み重ねながら、物事を考えるベースがしっかりと培われていきました。

 

さらに自然相手であればいくらやっても上手くいかないことや、これまでの努力が一瞬で水の泡になることもしょっちゅうありますので、どうしても人間の限界を受け入れざるを得ませんでした。また農業をしていて、「これ位で、まあいいか」と手を抜けば、作物が枯れたり実りが悪かったりと、その結果が必ず出ますからね。

 

<因果応報>という考えは日常的にあって、だからこそ何をするにも表層的でなく、より深めて考えるようにしていたと思います。そのように考える時間は、忙しいながらも農作業中、手仕事中など、結構あるんですよね。ですから、現代人よりも長時間働いていたかもしれませんが、今よりも考えを深める時間、自分を見つめる時間は多かったのではないでしょうか。

 

自然からは人間の限界を学ぶとともに、大いなる神に生かされているありがたみも感じていました。豊かな水や土、また四季の変化があるからこそ作物が実り、私たちが生きていくことができますし、朝夕、そして春夏秋冬、変化する雄大な景色を見る度に、「今日もありがとうございます」と神に祈ったものでした。そのような自然があったからこそ、神の存在が誰しも当たり前のように感じられて、情緒的にも豊かな潤いが与えられていたように思います。

 

そんな暮らしの中での様々な出来事が、バラバラに認識されるのではなく、小さい頃から少しずつ頭の中でもつながりをもって、統合的な情報として肉体脳にネットワーク化されて蓄積されていきましたし、一方で第1層の霊体脳との繋がりもゆるやかにありました。

 

今のように世界中の情報を手に入れ、さまざまな知識を身に付けることはありませんでしたが、自ら考え、自立し、また神とともに謙虚に生きていたのが、我々の時代(江戸時代)の日本人だったのではないでしょうか』

 

 

② サムさん

2022年1031

『みなさん、こんにちは。霊媒・清華さんの指導霊サムです。「六兵衛さんに引き続き、指導霊の<人生回顧>を」ということで、少し変わった経歴ですので採用されるかは分かりませんが()、お話しさせていただきます。

 

<人生回顧>といっても、この2万6000年の期間にも何度か生まれ、輪廻をしていました。ごく平凡に生きたこともありますし、悪者から聖者までいろいろ体験しました()。しかし私の出自はレムリアですので、それに関連する象徴的な<人生回顧>を、今回はお届けしたいと思います。

 

そもそもレムリア人というのは、この地球ができたころから住み始めていました。はじめは霊体でしたが、3次元的な形態として本格的に地球に住みはじめたのは恐竜時代になってからです。トカゲ人間とも言われるレムリア人が、恐竜になったというのはイメージしやすいでしょう?()

 

恐竜時代というのは、もともとは霊体脳しかなかったレムリア人やその他の宇宙人が3次元の体に受肉し、肉体脳の容量を増やし、知能的にも高く学習ができる生体にまで進化することが目標でした。私はトロオドンという恐竜になり、仕掛けを作って獲物を捕ること、また仲間と密にコミュニケーションをとることなどを、地上で覚えていきました。

 

恐竜時代というのは、第2層の無意識層(幽体脳)はまだなかったのですが、霊体脳+肉体脳を有しながら、それぞれが自我を持つというその萌芽段階の脳発達を試していたのです。その経験から、「ワンネスで天と一体化しているよりも、個として分離した自我を持ったほうが楽しめそうだ」ということが、その時期に私たちが学んだことでした。

 

しかしその恐竜のままでの進化では難しそうだったので、いったん(恐竜の姿としては)絶滅をして霊体の姿に戻りました。恐竜が霊体となって天に行った姿が龍神ですから、皆さんとも何かと関りは深いんですよ。日本は龍の形をしていますからね。

 

それから龍神として、人類の誕生支援をしました。私たちの働きかけもあって、人間の脳は、それまでとは違う複雑な構造を獲得し、「霊体脳+幽体脳+肉体脳」の三層構造で、それぞれに自我を持つことができるようになったのです。

 

私は龍神として地上の皆さんを見守りつつ、時に地上に転生もしながら今に至っています。そして特に今回は<リセット・リスタート>という人類の絶滅の節目を迎えることになり、恐竜での絶滅経験もある私が、レムリア代表の指導霊として清華さんに付くことになりました。

 

日本の役割はとても大きなもので、その中でも龍神は今回のタームをはじめた責任もありますから、何とか最後まで役割を果たしたいと思っています。同じように、どなたにも指導霊はついていると思いますから、心静かに彼らの声に耳を傾けてみてくださいね』

 

 

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