No.11-1~2:1,神と脳と私 2,私と脳と神

PDFファイル【 No.11-1 】

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No.11-1~2の解説

 

2020年415

「(偶数次元の)シールド上の直日と、(奇数次元の)次元の中にある個別の直日は違うと、メッセージで言われていた。なので、No.11-1では<10次元の直日>から<あの世>と<この世>に分かれていると表現したが、宇宙泡の<直日>というのは9次元にあるといえないだろうか。前は7次元だったところを、8次元のシールドを突破して、9次元が創られた。今は9次元からはじまり、10次元のシールドを突破して、11次元を開くということなのではないだろうか」

 

『多次元的世界の中で、この宇宙泡はその数ある宇宙の中の1つだという視点から見れば、この宇宙泡は<10次元の直日>からインフレーションがはじまり、<9次元の直日>からビッグバンがはじまったという<No.>や<No.11-1>の論理になります。

 

それは神(=直日)を中心とした宇宙の見え方であり、神はこの世とあの世、ホログラフィック・フィールド(体験の場)とアカシック・フィールド(情報の場)に分けて、分身としての<私=脳>を通して、内界と外界をも体験しながら、「私とは何か」を解明していく、というプロセスを示しています。

 

ですから、このNo.11-1は、「神の中に私がいる」という視座を前提とした捉え方で、そのためタイトルは「神と脳と私」とし、なおかつこの図では<第1層の直日>が中心になっています。

 

それは、<第1層の直日>から肉体に入って<この世>を体験し、また<第1層の直日>を通って<あの世>に戻っていくという人間の輪廻転生を示すとともに、実は無意識のうちに、覚醒時の<この世>と睡眠時の<あの世>を、日々行き来しているということをも示しています。

 

それに対して、<No.11-2>は「私の中に神がいる」という視座に立って、神に向かって行く<私>のプロセスを描いたもので、そのため<No.11-2>は「私と脳と神」というタイトルに変わり、この図の中心も<第3層の直日>に変わっています。

 

第3層の意識的自我(=私)から見れば、第2層の無意識的自我を浄化して、第1層の霊的自我(魂)に至り、なおかつ解脱ポイント(4次元の直日)を超えて、1つずつシールドを突破しながら、上位次元へと意識を拡大し、最終的に元の10次元のブラックホールに至るプロセスを示しています。そして今や、9次元から11次元を開くという段階になっています。

 

しかし、その一方でどこまで行っても、それはより大きな神の意識の中での<リーラ(遊び)>であり、その1つ上の<大元の直日>から、いつも俯瞰している神(無知の知の神)がいる、ということでもあります。

 

ただし、その俯瞰している神は、時間的観念を持つこの現象界の外側に存在するので、<10次元の直日>から<あの世>と<この世>に分かれてまた一致するということが、一瞬の花火のようにヴィジョン化することも可能なのです(注:その一瞬がこの世の時間的観念の中では138億年ということになっている)』

 

 

「神は、この3次元では今や78億人の分身となって、その中で誰が王手をかけるかのゲームをしている。しかしその解明の各段階で、シールド突破のためにブラックホールに情報を張り付けるのは、一定の<集合意識>によるものでないと、できないルールになっているのだろう。

 

個々に分かれた分身が、自分1人で<大元の神>に到達することは不可能で、複数の人が協力しなければならない仕組みになっているのだろう。そう言えば、これまで各シールドを突破した際も、複数の人の協力によるものだった。上位次元に行くほどその人数は少なくなるということだが(注:3次元では78億人だが、5次元では14万4千人、7次元では1152人、9次元では16人、と言われている)、必ず複数の共同が必要なのだろう。

 

確かに、色の3原色は赤・青・黄が混じって黒に、光の3原色は赤・青・緑が混じって白光にという具合に、原色が混じってこそできるものになっている」

 

『地球は、基本的に<協力ゲーム>の星です。すべてを兼ね備えたパーフェクトな人はおらず、それぞれが何がしかの特性を持っており、その<個性>こそが、それぞれの輝きとなっています。それを各人が本当に生かしきれた時に、集合意識としてブラックホールを突破できるのです。

 

単に情報を張り付ければよいだけでなく、また人数さえ集まればよいということでもなく、皆でそれぞれの個性を発揮して協力するということが、この地球ゲームの重要なポイントなのです』

 

 

「<No.11-1>のように、神が10次元のホワイトホールからあの世とこの世、内と外に分けたものを、<No.11-2>のように、最後に人間が10次元のブラックホールに達することによって、一瞬それらが統合され、次の瞬間には11次元へと次元を上げた<あの世>と<この世>ができるのではないか。」

 

『<内と外>というのが、11次元の話題になるのは、多次元的なトーラスを含む概念だからです。サラ企画にある三層円の模型のように、<あの世>としてある<内>を立体で表現するのと、<この世>としてある<外>を立体で表現するのでは、真反対(内では中心にあるものが、外では外周にあたる)になります。

 

そのため、内から見ればゴールであるのに外から見ればスタートであるということが、時間を排除した多次元的見方で見れば当てはまるのです。それがNo.11-1のように<10次元の直日>のとらえ方をスタートとするのか、No.11-2のようにゴールとするのかの違いです。

 

<リセット・リスタート>の一瞬というのは、全次元の直日が重なって時間が止まる一瞬であり、それまで<あの世とこの世>、<内と外>、<神と私>など対極にあったものが、すべて中核の一点に一瞬ガチャンとはまり(=ゼロ点となり)、そこを中心に一つ次元を上げる形でトーラスが起こるのです』

 

 

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