No.17 心の三層図と自我の柱

※この図は、心理学者のユングとフロイト、そしてサラ・プロジェクトがそれぞれ語ってきた、心についての考えを統合的に示し、さらにそこに「自我の柱」を加えて解明したものです。

 

PDFファイル:【No.17】

 

 

2023年225

「№17の説明をお願いします」

 

『まず、自我の柱とは、<第3層の直日>から入ってくる意識によって全体を見渡し、その時その場の状況に応じて三層の間で葛藤しながら、自分の言動を選択し、その選択に対して責任を持つことによって、徐々に育っていくものだと言えます。

ところが、一般的には<我の強さ>と<自我の強さ>は混同されがちなため、我の強さ=自我の柱が高いと認識してしまうかもしれません。しかし「我が強い」というのは、ただ単に第2層の欲求を押し通すとか、第3層の自己主張や理屈を押し通すなど、極めて狭い範囲しか見えていないということでは、むしろ自我の柱は低いと言えるのです。

 

さらに第2層の無意識的自我は闇になっていることが多く、往々にして幽界の憑依霊とつながりやすい現代においては、その第2層の闇と共鳴した憑依霊の助力によって社会的・経済的には勝ち組になりやすい、そのため本人は「自我も強い」と思ってしまいがちです。しかし、実際にはそのように憑依霊を頼って生きてきた分、脆弱な自我しか育っておらず、さらに憑依霊に乗っ取られやすくもなってしまう、ということです。

 

しかもそうした場合は、すべてを憑依霊と混濁した目で見ることになるので、当然<現実認識>も歪んで<現実検討力>も育たないため、ますます自我も育ちようがなくなります。自我の発達というのは、まずは自分や他者、そして周囲の状況をありのままに認識できる=<正見>できることが、何よりもその基盤になるからです。

 

そのため、例え第1層(魂)にまで意識を拡大できていなくても、第3層で現実にしっかり向き合い、社会的規範にも概ね沿って生活している場合は、第2層の心の闇や欲望にとらわれることも少ないので、無意識的には第1層ともつながって、自我の柱がしっかりと立っている、という人もおられるものと思います。

 

フロイトは、「自我とは、現実・エス・超自我の間で常に葛藤しながら、その時・その場に応じた選択をすることによって、次第に<成熟した私(自我)>が育つ」と語っています。ここで言う超自我とは、一般には良心や道徳観と解釈されますが、「自分を超えるもの」という本来の意味合いでは、魂と同義語であったとも考えられるので、この図では第1層に位置づけられています。またユングは、フロイトが語った個人的無意識だけでなく、その奥にある古今東西の人類共通の普遍的(集合的)無意識というのを想定しました。以上のフロイト、ユング、それにサラ・プロジェクトの心についての考え方を並列的に示したのが、この心の三層図です。

 

これは3次元の人間の心の複雑さゆえに、切り口を多様にして全体像をつかんでもらうためのものですが、三者三様に表現しながらも基本的には重なっているために、このようにすべてを統合した三層円として表現することができました。

 

また、サラ・プロジェクトでは、第1~3層のすべてに「~自我」と付けているのは、第1~3層を統合したのが<本来の私=自我>であるので、第1層も第2層も第3層もすべて私=自我であることを明示するためでした。

 

なお、自我の柱の高さについては、それを灯台に例えるならば、その光が及ぶ範囲の広さにも関わっています。自我の柱が低く、なおかつその光が脆弱な場合は、きわめて狭い範囲にしかその光(意識)は及びません。

 

逆にその柱が高くしっかりとしている場合は、その光(意識)は第1層~3層まで広範囲に及ぶようになります。しかも、本来この世は「意識した時に、波が粒子となって、ホログラムとして映る世界である」という量子論からすれば、この世界とはその時々に自我の光を当てたものが映し出されているものだ、ということになります。

 

そういう意味では、このグローバル社会、ネット社会の中で、表層的に第3層のみを忙しく走り回っている人たちは、その自我の柱はかなり短く脆弱なものになっていて、もはや第2層の心の闇や第1層の魂などにはその光が及ばなくなっている、という状態になっているのかもしれません』

 

 

「№17では、なぜ第3層の真ん中に<自我の柱>はあるのでしょうか」

 

『第1層の霊体脳、第2層の幽体脳と、第3層の肉体脳を統合しているのが、(第3層にある)<前頭前野>だからです。前頭前野は、肉体脳の中での統合だけでなく、<第1~3層の自我=私>として各層をとりまとめて把握しており、それが<自我の柱>の高さに比例しています。

 

脳の記憶をネットワーク化していけるのも、この前頭前野のはたらきですが、その統合性がなければ、いくら学んでもそれはその時々のバラバラな情報でしかありません。幽界と地上界が混在している現在のような状況では、前頭前野の発育不全であれば容易に憑依霊に憑りつかれますし、幼い頃から憑りつかれる場合は、前頭前野は発育困難になる、ということも起こっています。

 

またその一方で、そのような前頭前野の統合力があるからこそ、人類の秘めた可能性として、3次元だけでなくそれ以上の次元を解明して、バラバラにあった情報を最後に統合することにもつながっていきます』

 

 

 

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