模範的な霊能者D.D.ホーム

※ダニエル・ダングラス・ホーム:1883~1886年、スコットランド出身。空中浮遊や霊の物質化まで行う最も有能な霊媒で、厳密な科学的検証でも一度も疑われることがなかった。また心霊現象を見世物や金儲けのために行うことも一切なかった。

 

2021年914

「我欲に流れずに最後まで献身的であった霊能者代表として、D..ホームさんと対話してみて下さい」


※D.D. ホームさん

『私が我欲に流れなかったのは、欲のない天然タイプだったからではありません。それは私の力で為していることではないと、最終的に思っていたからです。

 

私はあくまでも受け身で〈無心〉を保っていただけなのに、物質化現象がどんどん起こりました。はじめのうちは、これは私の思念が関係しているのだろうと思い、自分の力で何かを動かそうと試してみたりもしました。

 

しかし、そういう時ほど何も起こらず、自我を手放してゆだねる深さが深いほどに、大仕掛けの現象として霊力が働くことに気が付きました。実際に、霊からもそのように説明され、「そこに邪心をはさまずにやり通すように」と言われました。

 

それを心得てからの私は、天の役に立つことが喜びになりました。私のことを使ってくださること、それをありがたいと思うようにもなりました。そのように多少心が軽やかだったので、天からの霊力が良く働いたのだと思います。

 

しかし、私生活が乱れると「今のあなたには役目を果たせないので、しばらく休止する」と指導霊から言われました。それは申し訳なかったと悔いました。この体験から、<因果応報の法則>を心に深く刻むことになったのでしょう。

自分の心がやましい時には、魂の仕事はさせてもらえない。それほど天は私の心の中までも見透かしている、ごまかせないのだと思いました。その反省が功を奏し、その1年の休止以後は、順調に続きました。

 

もちろん、心が揺れそうになることもありました。特に経済的に苦しい時などは、他の人がやっているように簡単に霊能力で稼ぐ、ということがよぎらなかったわけではありません。人間なので純粋無垢ではなかったのですが、それでお金をいただくことはおこがましいだろうと思いました。

 

天に対して失礼であり、私の魂を裏切ることにもなる。そして何より、蒔いた種は自らが刈らねばならぬと考えると、初心を貫く方が私には結果として安心でした。天を畏れていたからです。また失敗体験があったことが、私を慎重にもさせました。

 

そして、自分の力だと過信してコントロール感やパワー感を得たり、一時的にお金や名声を得たりするよりも、魂の喜びの方が大きかったのだと思います。地上的なものは何ももらわなくとも、魂に流れ込んでくるインスピレーション、霊力、エネルギー。それだけで十分でしたし、それ以上のものはないようにさえ思いました。そのように以下の点、


(1)試行錯誤による霊力の得心

(2)指導霊からの助言

(3)因果応報による失敗体験

(4)魂の喜び

(5)自分の力だと思わない謙虚さ

 

があったことが、長年続けるにあたって、私が我欲に流れなかった理由だと思われます。逆にいえば、途中で道を踏み外す場合は、

(1)霊力への疑い

(2)指導霊からの助言を受けずに勝手にやる

(3)アストラル界と手を組み、金儲けに走る。

(4)我欲の喜びがまさる

(5)自分の力だと思って傲慢になる


ということがあるのではないでしょうか。その中の一つでもあれば、すぐにつながり先は低層に落ちてしまうし、我欲が増大して慢心してしまうようです。

私が最終的にはニセ霊媒のインチキを暴く活動をしたのは、私自身がさまざまな葛藤もありながら純粋さを守り切ったところがあったので、「それは許せない」という気持ちがわいたからでした。霊能力を純粋に使い続けるには、意志的な努力と固い決意が必要だということです』


 

【目次】へ戻る