人生回顧 夏目漱石:<自己本位>から<則天去私>へ
*夏目漱石:1967年~1867年、明治末期から大正初期にかけて活躍した教師、小説家、英文学者。帝国大学(現・東京大学)英文科卒業。イギリスへ留学後、帝国大学講師となった。代表作は『吾輩は猫である』『坊ちゃん』など。講演録に「私の個人主義」がある。
2017年9月9日 『いや~、面目ない。アストラル界を抜けるのにずいぶんと時間がかかりました。自分が外に放った感情は、まったくもって自分に返ってきましたね。今となればそういう学びだったのかと思えますが、渦中にいる時はまったく濃い霧の中にいるような状況でした』
「今は精神界におられるのですね」
『そうです。ずいぶんとすっきりした意識です。しかしどうもこれ以上は進めずに、どんづまりになっていたのです。頭打ちというのでしょうか。非常に大きな敷居があるようで、そこを乗り越えられなければ、もう一度地球に再生するというギリギリのところにいるのです。ですので、こうしてみなさんとお話できるのは、とてもありがたい機会をいただいたと思っています。
この直前に対話をされていた、キューブラー・ロスさんや河合隼雄さんの人生回顧は、大変参考になりました。私に理解できるところしか受け止められていないところもあるのですが、しかしこれまでよりも突き抜けた世界の話で、さすが天界まで一気にかけあがる方々だなと感じていました。私はゆっくり一段ずつ上ってきたので、あと少しの覚醒に力をお貸しいただければと思います』
「<即天去私>のお話だけお聞きできれば、それで十分だと思っていたのですが・・・」
『どうも、そこを私自身も今一度まとめて理解し、お伝えできるようになることが、最後の課題のようです』
「そうでしたか。うまくできていますね」
『そのように地上には伝えたから共に学ぶようにと、指導霊から指示を受けていたのです』
「そうですか。わかりました。ではまた明日、じっくりお話を伺わせてください」
『よろしくお願いします』
2017年9月10日
「漱石さん、どうぞよろしくお願いいたします。まずは、地上時代、どのように思われて<即天去私>と言われたのか、というところからお話しくださいますか?」
『それは私の晩年にふっと出てきた言葉なのです。心に浮かんだといいましょうか。その時は「そうだ、これだ!!」と、これから向かう方向にまっすぐな光が射したような気がいたしました。それはまるで、空を突っ切って、次の世界の窓にまで届くような、そのような力強い言葉であるように感じていたのです。腹の底でガッツポーズをしたものでした。しかしそれは、私が生涯テーマに掲げていた<自己本位>と、どう考え分けたらいいものか、人間としての私の頭は混乱がはじまった時でもありました。
<自己本位>という言葉を心に抱いたのは、イギリスへの留学が契機でした。私が生まれた時代は、ちょうど文明開化の真っただ中、西洋の文化が一気に入ってきている時期でした。日本人は団子のように連結して動きますから、それらを何でもかんでも鵜呑みにしていく風潮と、その反対に国家主義を主張する一団とが、せめぎ合っているような状況でした。どちらのスタンスにしろ、一人が「ああだ」と言えば、まわりが「そうだ、そうだ」と同調していくのです。
私はそのような日本人の特質を、イギリスのそれと比較することで、明確につかんでいったと思われます。英国での彼らの堂々とした立ち居振る舞いに、私は劣等感を抱いたほどでした。自己責任の中での個人主義。それこそ本当の自由が尊重されるのだと、確信したのです。
もちろん、そのように思えるまでも時間がかかったのですが、そう確信してからは、個を立ち上げ、いっぺんとうに流されないことを世に呈そうとしていました。私のいう<自己本位>とは、個が主体的に生きていくという意味だったのです。
しかし、そこに<即天去私>がやってきたのです。私は言葉を標語のように掲げるところがあったのですが、<自己本位>と<即天去私>を2つ並べると、どうも落ち着きが悪い。直観的には矛盾しないはずだと思うのですが、言葉としてはある意味真逆のことを言っているとも感じられました。もちろん、作品の中で妙に筆が進む時などは、この即天去私の状態になっていたのでしょうが、それは自然とそうなっており、無意識のままであったのです』
※少し時間をおいて
『そのような直観的ひらめきを、(理論づけて)思考に落としきれないまま、私は亡くなりました。死後、すなわち<天>にいけば<私>はなくなるのかと思いきや、それはずっとありました。それから霊的階層をゆっくりあがり、<私>というものを見つめ切った最後になって、みなさんとの出会いがあったのです。
先日皆さんが話題にしていた河合隼雄さんの「母性社会日本の病理」という本は、私が抱いていた日本に対する視点が見事に体系的に論じられていました。後進の方々がこのように知識をまとめてくださることで、散乱していた思考がその背景をも含めて一気につながり、全体としての理解が進みました。そして、深層心理の奥深さを感じました。そこに、私が知りたかった<私>と<天>との関わりもあったのです。
「フロイトとの対話 精神分析から魂の学へ」(あの世のフロイト氏との対話から生まれた、サラ企画未完の本)は、実は最初は難しく感じました。聞きなれない用語を整理しながら、何度も繰り返し読みました。すると、私の中でピカッとひらめくものがあったのです。それをどこまでうまく言語化できるか分かりませんが、お伝えしてみたいと思います。
問題の核心は、<私>というものをどの層でとらえるかだったのです。つまり、<自己本位>(個人主義)というのは、フロイトさんが生前語っておられたように、「自立した私とは、欲求(エス)と現実と超自我の三者を認識し、その中から状況に応じて主体的に選択できることをいう」という三者の選択を主体的にする<私>を確立するということでした。これはユングさんのいう自我にあたるのでしょう。日本人は、この自我が育っていないがために、外国文化の流入を盲目的に受け入れていた。私はそこで、そのような在り方ではなく、しっかりとした自我を持つことの大切さを語っていたわけです。
しかし、私の人生も後半に入るにつれ、天(魂)と呼べる意識も感じられるようになっていました。それはまだ幼く、とらえどころがない感じもあったのですが、それでもフロイトさんのいう<三者の選択>から<三者の一致>(第2層の欲求を、第1層の魂の願いに合わせるならば、第3層としての現実はついてくる)に転ずる時が来ていたのでしょう。その時に<即天去私>という言葉をいただいていたのです。
つまりそれは、自我と呼べる<私>の段階から、天に則して生きる(魂の願いを生きる)ということへのスイッチの転換をうながす言葉であったということです。魂の願いにそっていけば現実はついてくるため、流れがどんどん運ばれてくる。そのような天の流れに身を任せるということです。ただし身を任せるからといって<他力>ということではなく、より深い自分である魂の願いを生きることを、第3層の自我が選んでいるということです。
そうなると主体性はまったく損なわれないのです。表層的・現世的な私から、最も深い魂(天)に重心を降ろしていくということが、<即天去私>だということです。
あぁ、やっとこうして明確に意識化できるに至りました。心と魂の全容を、あのようにまとめていただけたからこそです。地上で知識をまとめていただくことによる、こちら(あの世)への波及効果は計り知れません。ありがとうございます』
※少し時間を置いて
『今、私は<即天去私>の次のステップに進もうとしているようです。個の魂から、全(ワンネス)の中に飛び込もうとしているからです。(※頭上に見えていた赤茶色の分厚い層が、うねりはじめている)
もっと詳しくお話しようと思っていたのですが、ものすごい変化がやってきていて、私はコントロールを失いつつあります。心地よく透明になっていき、本当に<私>が消えていくかのようです。消えて、そして一体になって・・・(※漱石さんは泣きはじめる。精神界の層を超えて、天界にいく)・・・母の腕の中に戻ったような、安心と至福で満ちています。これでしばらく休めます。みなさん、どうもありがとう。
<私>というものは、なかったです。それは観念でした。天しかないのです。<即天去私>の(より深い)第2の意味は、それです』