人生回顧 宇宙飛行士ジェームズ・アーウィン:神との邂逅

*ジェームズ・アーウィン:1930年~1991年、アメリカの宇宙飛行士。1971年、アポロ15号で月面着陸。空軍退役後は、キリスト教牧師として布教活動に従事した。立花隆『宇宙からの帰還』には、宇宙で神との邂逅をし、その後伝道師になった彼のインタビューが掲載されている。

 

 

2019年15

『今回、私がお話させていただきますが、個人というよりは宇宙飛行士の総意を代表する形でお話させていただければと思います。

 

私たち宇宙飛行士は、たいてい肉体脳の思考性を優位にして生きてきた背景があります。そうでなければ試験には合格しませんからね()。そのような私たちが、ひとたび宇宙に行くと人生観がガラリと変わってしまう、その理由についてまずはお話をさせていただきます。

 

一つ目の大きな要因は、重力からの解放です。これにより天と地の感覚がなくなります。天と地があるからこそ、私たちは神と自分が遠く隔たったところにあると感じるものですが、天地がないということは、自分の体のバランスを支えるのは自分の中心(核)になるわけです。それもあって、私たちは宇宙では意識的でないにしろ、直日(神とつながる意識の経路)をつかんだ状態に極めて近くなるというわけです。

そして、地上にいる時にたずさえていた観念が、宇宙に行くとガラガラと崩れていくのです。例えば、井の中の蛙が鳥の背中に乗って旅をしたらどう感じるでしょうか。それまで住んでいた狭い世界での細かな悩みは吹き飛んでしまうことでしょう。それと同じく、地上のある地域に住んでいたごく普通の人間が、宇宙から地球を俯瞰して見る機会を与えられたならば、それまでの常識や観念などはまったく取るに足りないものであったと思うのです。

 

そのように根底から揺り動かされるのは、壮大な宇宙の中に圧倒的存在感としてたたずむ地球を見た衝撃からであり、その中に住んでいる人間のちっぽけさをも同時に感じたからかもしれません。「本当に人間はゴマ粒なのだ!!」ということが、逃れようのない実感として、<私>を貫いてしまうのです。それと同時に、私たちは一つなのだという感覚や、神と一体化しているような感覚も同時にわき起こってしまうのですから、それは思考や感情を飛び越えて、私たちの魂に直接、しかも瞬時に悟らされるような強烈な神秘体験となったのでした。

 

もちろん、その体験をどこまで信じるかは人それぞれで、地上に戻ればあたかも夢であったかのように忘れてしまう人もいるのですが、その悟りの深さは違ったとしても、大方は人生観をひっくり返されるほどの体験として、心の中に鮮明に残るのです。

 

それはなぜかといえば、地球を俯瞰して見ている目は、<神の視点>でもあるため、その意識と否応なくつながるからであろうと思われます。それはある意味、思考優位で生きていた私たちにとって、ある種のコペルニクス的転回がそこで起こったとも言えるのでしょう。

私たち宇宙飛行士チームが求められていたことは、そのような体験を持ち帰り、それを地上で人類に伝えることでした。宇宙から見た美しい地球、その写真を見て、神に思いをはせない人がいるでしょうか。これほどの秩序と完璧さと荘厳さ、そしてこの上ない美しさに、魂が感動しないはずはありません。私はそう確信していたのですが、人々にどれだけ話しても、忙殺される日常の中では一時の癒し程度にしかならなかったのかもしれませんね()。注目もされましたが、忘れられるのも早かったですから』

 

 

2021年925

『5次元の<新しい地球>にきてもなお、宇宙から見たあの青い地球の美しさは、鮮烈に私の魂に焼き付いています。私は本当に地球だけが特殊なのかどうか、こちらに来てから宇宙のあちこちを観測していますが、今のところ、これほど心と魂が惹きつけられる星はありません。

 

もちろん、単に美しい星はたくさんあります。透き通るようなエメラルド色の星や、縞模様の見事な星まで様々にあるのですが、地球ほど味わい深さと複雑さを兼ね備えた、ハッとする星はやはり見当たらないのです。

 

それはおそらく、神の叡智を凝縮している星であるから、そして何よりも地球には何十億人もの個別の自我を持った人がいるからなのでしょう。それぞれ個性のある魂を内在させながらも、多くの観念の中で、それをどこまで自我で深めていくかの<選択の自由>を与えられているという点が、複雑さと多様性をもたらしているように思います。

 

そして星を観察していて、もう一つ気づいたことがあります。それは宇宙に広がる星々の点は、すべて天空に描かれた幾何学的な宇宙の設計図だったということです。星空にこれほど惹かれるのは、そのためであったのだなと気付きました』

 

 

 

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