憑依例1 あの世の瀬戸内晴美(寂聴)との対話

あの世の瀬戸内晴美(寂聴)との対話

 

◎目覚め

 

2022年226

  「これから瀬戸内晴美(寂聴)さんに、アプローチする予定なんですが…」

 

※三島由紀夫さん 

『あ、晴美さんね。豪快に話すように見えて、中身は繊細な人だったんじゃないかな。私もそうだが()! 物書きとは、書くことで意識化しているところがあって、それが例え小説であろうと、そこに自分の内面(特に、普段は抑圧しているものが)がにじみ出るんだよね。

 そういう場合、自分がどう見られるかと他人を意識しながら書く自伝よりも、むしろ真実に近いことさえある。人にはフィクションだと言えばいいので、そこに自由に自分を転化したキャラクターを登場させられるからね。

 しかし言葉とは裏腹なもので、内面を正直に綴れる一方で、自分でストーリーを割増ししたり、上書きしたりもできるから、それで逆に自分がよく分からなくなったりもするんだよね。そういう小説家の鼎談は、いつかしてみたいね()

 

2022年227

瀬戸内晴美さん  『こんにちは。いろいろと私のことを調べてくださり、ありがとうございます]』(※一応質問に必要な程度の最低限の情報は、毎回得るようにしている)

 

蓮  「今、どちらにおられますか?」

 

晴美  『そんな簡単には浄土には行けませんね。ひとまずの(アストラル界の)休憩室で寝ていましたら、三島さんの声がしまして、小説家が何たら…と聞こえてきたので、そこでパチッと目が覚めました。私は亡くなってどのくらいですか?』

 

蓮  「3カ月ちょっとです」

 

晴美  『もうそんなですか。じゃあ寝ている場合じゃありませんね』

 

蓮  「三島さんを呼んできましょうか?」

 

晴美  『いや、こんなところにいるのを見られるのも恥ずかしいですから()

 

蓮  「三島さんはもっと低い階層にいて、天界に行かれるまでも、ものすごく長くかかりましたよ()

 

晴美  『まぁ、あの方はねえ()。でも私は出家してもこうだというのは、どうなのでしょうねえ()

 

2022年228

晴美  『私とあなたは似ているところがあるのかもしれません。自分を責めることをやめられない。責めても何も変わらないのにね。だから「愛とは許すことだ」と、私はずっと言っていたのでしょうね。自分を許すこと。でも許せなくて、自分をこれでもかというほど過酷な状況に追いやって、頑張ってしまうところもあったと思いますね』

 

  「なぜ自分を責めるようになったのでしょうか」

 

晴美  『顔がみっともないと母に言われて、それでコンプレックスを持っていたことはあると思います。そしてやはり子どもを捨てた自分を許せなくて、その自分をずっと責めていたんだと思いますね』

 

(地上で、夜に女性4人でZOOMによる〈魂の対話〉をしていると)

晴美  『こうやって、女性同士、心を開いて対話ができるっていいわね。私も本当にたくさんの人たちと会って話してきたんだけど、今となってはそれが本当の自分だったのだろうかと、遠い感じがしているんです。はじめ、女優でもやろうかと思ったこともあるのですが、思えばいつからか、ずっと女優のように何かの役を演じていたような気さえします』

 

 

◎審神者からの質問

 

2022年31

直子  「私にとって、瀬戸内寂聴さんというよりも、晴美さんという方がしっくりいくので、ここでは晴美さんと呼ばせていただきますね。

 『寂聴 九十七歳の遺言』(朝日新書)と、今は般若心経について書かれた本を読んでいますが、特に瀬戸内寂聴となってから、晴美さんの実像というのが、なかなか見えにくい気がしました。一見とても正直に自分を語っていらっしゃるようで、実はそういう自分を演じているようにも見えてしまうもので。

 

三島さんの以下の言葉、

『しかし言葉とは裏腹なもので、内面を正直に綴れる一方で、自分でストーリーを割増ししたり、上書きしたりできるから、それで逆に自分がよく分からなくなったりもするんだよね』

 これを読んで、「なるほど、そういうことだったのか」と思ったのですが、晴美さんはどう思われたか、お聞きしようと思っていたら、以下のようなコメントがきましたね。

 

『私も本当にたくさんの人たちと会って話してきたんだけど、今となってはそれが本当の自分だったのだろうかと、遠い感じがしているんです。はじめ、女優でもやろうかと思ったこともあるのですが、思えばいつの頃からか、ずっと女優のように何かの役を演じていたような気さえします』

 

 確かに、女優をされている晴美さんというのは、イメージが湧きますよね。とてもいい女優さんになられたのではないでしょうか?

 それはともかくとして、以下、改めての質問です。

 仏門に入った晴美さんと小説家として生きていた晴美さんと、どう両立されていたのかと思うのですが、私はむしろ小説家として生きるために、仏門に入られたような印象がありました。つまり、尼僧よりも小説家としてのアイデンティティーの方が強かったのではないかと思ったのですが、その辺いかがでしょうか?」

 

晴美  『最初からそのつもりではなかったのですよ。一応の懺悔の気持ちや、男断ちもできますし()、その時のしっちゃかめっちゃかな世事から逃れて、引きこもりたかったんですね。静かに仏と向き合うことになるのかなと思っていたけれど、やはり性分というのはそう変わるものではなく、僧衣の下ではペロッと舌を出している自分はいましたね。

 尼僧としてのアイデンティティーは薄かったのですが、いろいろな方便として便利な袈裟でした。それが小説を書く自分の枠組みとして、うまくはまったんでしょうね。

 私の書くことへの執着というのは、寝食を忘れての狂気じみたもので()、それだけは手放さないぞと思っていました。そういう意味で〈二足のわらじ〉でしたが、その二足をうまく使っている私というのがいたように思います。

 一方で、忙しくもしていましたから、社会の中で目立つ僧侶として脚光を浴びる中で、結局いろいろなことに翻弄されてもいました』

 

直子  「それから「愛することが大事」と何回もおっしゃっていますが、晴美さんにとっての「愛とは何か」を、改めてお聞かせください」

 

晴美  『愛・・・。とにかくそれに尽きるんだと、ずっとそれを探し求めていたように思います。特に情愛の激しさは、私を掻き立てていました。それにも関わらず、こうして「愛とは何か」を改めて問われると、たじろいでしまう私がいます。

 それは、「愛だ、愛だ」といろいろなところで言いながらも、「あなたは本当に人を愛していたのか」と問われると、「自己満足の肥大化した境地に、ただ酔いしれていただけなのではないか」という気さえするからです。

 男性への執着心は大いにありましたが、その煩悩を抜けきった奥底には一体何があるのか、実は最後までそれをつかめなかったのではないか。こうして言葉にすればするほど、核心に到達するまでの周囲の樹海ばかりが、深まっていくように感じます』

 

直子  「また、死後の世界については、法話を聞きに来ている方々には、方便として「あの世で旦那さんは待っていますよ」ともおっしゃっていましたが、ご自分は本当のところどのように思い、実際に死んでみてどうだったかをお聞かせいただけますでしょうか」

 

晴美  『僧侶としての見解というのはあり、その設定の中で死について語るということもありましたし、体験的にも死んだ人の気配や、彼らの想念のようなものも感じたことがありました。だから「死んだらあの世に行く」と思っている自分もいましたが、もう一方で疑い深い自分というのもいて、「ホントかな、分からないな」とも思っていました。

 ひとまずの方便が言葉としてできてしまうと、それ以上深く考えないということはあったと思いますね。あと「もう死にたい」「いつ死んでもいい」と言いながら、生きることへの執着もあったように思います。

 生きている時は、とてもパワフルなエネルギーがわいていたのに、今は抜け殻になったような意気消沈した気分です。死んだらみんな極楽浄土に行くなんて話したこともありましたが、それは違ったなと思いました』

 

 

◎憑依霊の出現

 

2022年32

蓮  「三島由紀夫さん、晴美さんと話すにあたり、何かアドバイスをお願いします」

 

三島  『「勝手に私の体に入るな、呼んだ時だけ来い!」というくらいの強さをもって臨んだ方がいいだろうな。あなたは霊媒体質に慣れているから、何でも受け入れてしまうけど、長く続くとやっぱり飲まれてしまうだろうから。だから話し終われば、一旦追い出すくらいにしていた方が、安全だと思う。

 私なんかは割とストレートだが、女というのはなかなかしたたかなところがあるからね()。「はい、はい」と素直に言って見せて、背後から襲ってきたりするから。同情はいらない。天の目は厳しい。その厳しさをちゃんと効かせたうえで、凛と立っていることだ。ありのままを受けとめようと思うと、どうしてもスキができるから。

 ふふっ()、こうして私がアドバイスをするのは、これまでにしてもらったことへの恩返しをしているようだよ。私との人生回顧の時も、ヒトラーさんや河合隼雄さんなど、応援メッセージをくれていただろう? 

 今度は私がこちら側に回っていて、学び合いのバトンというのは、こういうことなんだろうな。そうやってサポートされ、次はそれを自分がしながら、一段ずつ(魂の向上進化の道を)上がっているんだろうね』

 

蓮  「川端康成さんも何かありますか?」(※三島由紀夫さんと一緒に〈人生回顧〉を終了している)

 

川端  『晴美さんね。品のない女性だなと思っていましたよ』

 

※それを聞くと、晴美さんが『なんだ、コノヤロー!!!』と鬼のように怒りまくっている。何かに憑りつかれているような形相。そして、しばらくすると『どうせ私なんて』とシクシク泣く。

 

川端  『これは演技ですからね。そういう本性を見た上で、心構えをして話した方がよいと思いますね』

 

  「晴美さん、あなたとつながったことは、私にとっても鍛錬の場になっているようです」

 

晴美(の憑依霊)  『チッ。だましおおせると思っていたのに。のらりくらりと時間を稼いで、最終的にはあんたを乗っ取ってやろうと思っていたんだ』

 

  「今度は誰に憑依されているんですか?」

 

晴美  『えっ…?』(とひるむ)

 

  「昨日は、天に向かうためにアストラル界にいたかもしれませんが、今は地に向かう幽界にいますよ」

 

晴美  『……』

 

蓮  「あなたの魂からの要請で、私たちはこうして救出に来ていますが、その当事者である晴美さんが、天に向かう気がないというなら、ここで話は終了です。どうされますか?」

 

晴美(の憑依霊)  『別に協力をあおがなくても、これまで私はずっと一人で乗り切ってきたのだ』

 

蓮  「憑依霊と共に、ではないですか?」

 

晴美(の憑依霊)  『知らん!』

 

蓮  「では〈古い地球〉と共に自滅しますか? 幽界の魂は抹消されるということでしたよ」

 

晴美(の憑依霊)  『私はまだまだ生きたい!』

 

蓮  「だとしたら、ここで向き合って、本来の晴美さんを取り戻すしかないんです。あなたにも本当は美しい魂があるんですよ」

 

晴美  『自分が誰だか、分からなくなってしまったんです』(と、泣く)

 

蓮  「何が起きていたか、〈人生回顧〉をしてありのままの自分を見ることはお手伝いできると思います。そのように魂に向かうか、このまま憑依霊と共に幽界に留まるか、選択の自由がありますが、どちらを選びますか?」

 

晴美(の憑依霊)  『口では「やります」と言って、本当のところはあんたに憑りついてやろうなんて言うのは、もう通じないわよね?()

 

蓮  「三島さんと川端さんに、両脇で見張ってもらっていますしね。私一人だとだませるかもしれませんが、こちらは審神者もいるチームで臨んでいるので、だましきれないと思いますよ。私たちは、ともかくあなたの魂に聞いているんです」

 

晴美(の憑依霊)  『魂…。あるのかね』

 

蓮  「もちろんあります。私はあなたの魂の声を代弁しているんですよ。『魂に向かうか、それに背くのか、さあどちらを選ぶのだ!』と言っています」

 

晴美  (数十分沈黙して葛藤する)私はろくなことをしていないから、魂に向かうなんてできるんですかね』

 

蓮  「善も悪も等しく体験で、その自分をありのままに見て、受け入れて、学ぶ。それが解脱への道だということです」

 

晴美  『……。怖いけど…。でも魂の抹消もイヤだし…。一人じゃ無理よね?』

 

蓮  「時間もないし、一人では無理だと思います。私も三島さんも、みんなそうでしたが、人に助けてもらわないと難しかったです。自分のことは一番分かりにくく、質問をしてもらって無意識だったところに何とか意識の光があたっていくので」

 

晴美  『助けを求めるのが、私が一番苦手だったことかもしれません。何でも自分でできると思っていたから。でも今は、昨日も言ったように、抜け殻のようになってしまっているので、一人では到底無理なのだ、ということは分かります。協力をお願いできますか? 見たくないとも思うけれど、好奇心は旺盛で、怖いもの見たさという面もあるんです』

 

蓮  「分かりました。では最初の質問ですが、晴美さんは生前、憑依霊に動かされていましたか?」

 

晴美  『今日、みなさんがお話していたことですよね。それを聞いて、まずは反発して「そんな、まさか!」と思いましたが、でも「そう言われると、まあ、そうか」と分かる気もしました。さっきも、憑依されたように何かが乗り移って、私は怒ったり泣いたりして、女優をしていたということですよね。感情的になると、自動的にそうなってしまうみたいです。

 

今のように心静かだと、割と素直に語れます。三島さんがあなたの後ろで、ずっと仁王立ちでにらんでいるので()、もうウソはつけないなと一応観念はしています。

 

すぐに口がペラペラとしゃべってしまうという、私の悪い癖もあるので、その時は言ってください。私はけっこうウソもついていたし、脚色をしたり話を盛ったり、なかったことにしたりもしてきましたから』

 

蓮  「憑依霊に動かされていた、ということですね」

 

晴美  『その質問でしたね。「そうです」と答えれば済むものを、こう長々としゃべるのが私です。そうです。自分の力でやってきたと思っていましたが、確かに小説を書く時はその力を借りていたかもしれませんね。何らかのエネルギーに押されて、ド~~~~!と書いていく時の快感がたまらなく好きだったんです』

 

蓮  「では、参考のためにこの『アストラル界のまとめ』を読んでみていただけますか? その感想をまたお聞かせいただくところから、お話しできればと思います」

 

晴美  『分かりました。あの、三島さんはずっとそこに立っておられます?』

 

三島  『晴美さんのものすごい霊力に蓮さんがやられそうになっていたので、援護しているんだ()。きっと大魔女エンペラー並みの憑依霊が憑いていただろうな。霊能者とはいかなるものか、よく学んでもらえたらと思う』

 

※以上の記録を送ると、審神者からすぐに以下のような電話をもらう

「アストラル界に行った晴美さんと、晴美さんに憑依している憑依霊を区別して対話した方がいいのではないか。そういう意味では、「今度は誰に憑依されているんですか?」と晴美さんに聞くよりも、その憑依霊に直接「あなたは誰ですか?」と聞いた方がよかった。まずは、アストラル界の晴美さんに限定して対話をして、幽界の憑依霊には巻き込まれないようにした方がいい。その辺、メッセージでも確認してみて下さい」

 

2022年33

  「憑依されていた人が亡くなると、憑依霊は幽界に、死んだ本人はアストラル界に行くということでしょうか?」

 

※浅野和三郎さん(日本のスピリチュアリズムの父と呼ばれた審神者)

『死後世界を拒否しているのは、その人に憑いている憑依霊なので、本人はアストラル界に行っても、その憑依霊は幽界にということが多いです。霊能者本人は、あの世とやり取りしている段階で、死後世界はあると思っていますからね。

 ただし、本人は自分と憑依霊とを区別せずに一体化して生きてきたので、その混乱は当然あるようです』(※意識が混濁したまま、両方にまたがっている霊も多い)

 

徳川慶喜さん(無血開城したことについての〈人生回顧〉をすでにしていた)

『幽界からは、戦わずして逃げるのが、最も良い手かもしれませんよ()。説得はできないし、多勢に無勢ですからね。逃げるというのは、自我のバリアを張って関わらないという感じでしょうか。あと、祈りも効きますよ。私も結構、やっていました()

 

 

◎血縁関係の判明

 

2022年33

直子  「晴美さんの『いずこより』(筑摩書房)という前半生をつづった本を読んでいると、まったく思いがけず、晴美さんと私は血のつながりがあるかもしれない、ということが分かりました。彼女のお父さんと、私の母方祖父が兄弟だった可能性が高いからです。そうすると、晴美さんと私の母は従妹同士ということになりますが、そう考えると確かに体格や顔つきが似ていなくもないんですね。年齢的にも同世代なので、一応あの世の母に聞いてみてもらえますか?」

 

※あの世のお母さん  『今となっては血縁の細かなことまで具体的に説明できるほどには思い出せないのだけど、「え、あの晴美ちゃんなの?」と確かに思い当たる節はありました。でも、とても大人しい子で、その三谷晴美さんが、まさかあの瀬戸内晴美さんだとは思っていなかったですよ。さらに瀬戸内寂聴となれば、別人にしか思えませんね。小さい頃に何回か会ったきりで、それ以降はまったく没交渉でしたからね』

 

2022年34

直子  「晴美さんが四国の出で、三谷というという姓だったというのを知った時に、「あれっ?」と思ったのですが、晴美さんの伝記を読むと、晴美さんのお父さんと私の母の父親がどうも兄弟だったようなのです。そこで、他界した母にその件を確認してみたところ、

 

『今となっては血縁の細かなことまで具体的に説明できるほどには思い出せないのだけど、「え、あの晴美ちゃんなの?」と確かに思い当たる節はありました。でも、とても大人しい子で、その三谷晴美さんが、まさかあの瀬戸内晴美さんだとは思わなかったですよ。さらに瀬戸内寂聴となれば、ちょっと別人にしか思えませんね』

 

ということでしたが、晴美さんはいかが思われるでしょうか?

 どうも、末っ子だった祖父は婿養子となり、祖母と二人で北海道に移住して、その後はほとんど没交渉だったようです。でも、たまに四国に帰ったこともあり、母とも従妹同士として会ったのではないかと思いますが、何かご記憶にありますか?」

 

晴美  『何度かしかお会いしていないと思いますが、少し上の従妹がいたな、という記憶はあります。そうした縁もあって、その娘さんがこうして私を救出に来てくださったということですね』(※調べてみると審神者の母は1921年、晴美さんは1922年生まれだった)

 

直子  「もはやそれは過去の〈この世〉の話ではありますが、そう言われてみると母と晴美さんは似ていなくはなく、そのような血縁関係もあって、このようにつながったのかもしれませんね」

 

晴美  『仏教用語が私に入っているものですから、〈因縁〉と浮かびました。すごく細い糸をたどってつながったのですね』

 

直子  「もし、母の記憶にあった「三谷晴美ちゃん」が瀬戸内晴美さんで、母が言っている通りの大人しいお子さんだったとしたら、どの辺から変わったと思われますか?」

 

晴美  『それは難しい質問です。自覚なくずっと自分だと思ってきたので、後でじっくり振り返ってみます』

 

 

◎憑依されていたことの自覚

 

直子  「また、蓮さんの印象では、生前の晴美さんは十二単衣を着ているように、強力な複数の霊に憑依されていて、そのパワーに押されて疾走していたのではないか、ということでしたが、それについてはどう思われますか?」

 

晴美  『頭では憑依されていたのだなとは思っても、そんなまさか、だってちゃんと〈私〉としてやってきたじゃないか、とも感じていました。ところが、川端さんに刺激していただいて、幽界の憑依霊が一昨日は出てきましたよね。その時は私もそれが自分だと思っていましたから、よほど一体化していたんだと思います。

 でも、「アストラル界にいる抜け殻の自分と、幽界の憑依霊は切り離して考えましょう」という話を聞いて、「そうか、あれは別者だったのか! 私ではなかったのか!」と初めて分かりました。「あれが私に憑いていた憑依霊だったのだ」というのを、自覚的に見る機会を与えてもらったのだと思います。

 そういう憑依霊を十二単衣のように幾重にもまとって生きていたと言われると、なるほどそういうことだったのかと、いろいろな謎が解ける気持ちがしました。抑えようのない性衝動や、子どもさえも捨ててしまえる自分というのも、そういう霊たちにかなり押されていたということですね。そう思うと、自分を責めていた気持ちも、少し和らぐように思います。

 そして、小説を書く時の熱狂的パワーと疾走感があれほど強かったのも、憑依霊の後押しがあったからこそと思えば、あれだけの量が書けた理由も分かりますね。たぶん400冊ほどは出したと思いますが、書き始めてから終わるまで、ほぼノンストップで書いてしまうこともよくありました。とても人間業とは思えない創作ぶりで、私はそれを「自分は天才だ、本物の芸術家だ」なんて思っていたのですから、お恥ずかしい限りです。

 生前、そういう憑依霊と合体していたのだとしたら、確かに今の素の自分は抜け殻のように感じますよね。でもこれが本来の私だと思うと、抜け殻というよりもむしろ軽やかさの方に変わってきたんです。何も背負っていないって楽だな、と思います。

 こう思えたのも、蓮さんと一緒にこの数日間を過ごし、彼女が見ている世界を共有してもらっていたからです。彼女が宇宙に遊びに行くことで私もリフレッシュでき、徳川慶喜さんに「祈るのも効果的」とアドバイスされていたことで、私も祈ることを試していたんです。

 尼として祈ったことは数知れずありましたが、その時よりももっと内面に向かう気持ちと言いますか、魂の自分を取り戻したいという、心からの真摯な気持ちで祈りました。すると、真っ暗闇の中にいるようだった心の中に、ロウソクの火がふわっと灯ったのです。たったそれだけのことが、ありがたくて、ありがたくて、仕方がありませんでした。(※晴美さんが感動で泣いているためか、霊媒も涙が止まらなかった)

 憑依霊に自分を預けていた時は、パワー感はあっても、心の中の火はかき消されていたのでしょうね。「一灯をさげて暗夜を行く。暗夜を憂うなかれ、一灯を頼め」という言葉を聞いたことがありますが、その一灯の深い意味は、本来の私、つまり魂の光のことだったのですね。そちらに向かっていきたいと切に思いました』

 

直子  「私たちは、そのように晴美さんが〈本来の私〉を取り戻して、〈人生回顧〉をされるのをお手伝いしたいと思ってアクセスしました」

 

晴美  『はい。どうぞよろしくお願いいたします。自分でも努力して、まずはいつから憑依されていたかを振り返ってみます。私は憑依されることによって、自己の尊厳を手放していたんですね』(号泣)

 

 

◎十代までの振り返り

 

2022年35

直子 「魂とつながったので、その第1層の霊的自我に正確な事実が記録されているはずです。それを手掛かりに人生回顧を始めて下さい」

 

晴美 『アドバイスありがとうございます。そうしようと思っても、これまで作り上げてきた頭の中のストーリーの方が、どうしても出てきてしまいます。自伝でも小説でも、自分を題材にしたものは多かったのですが、それに脚色を加えたり、核心には触れなかったりしてきました。

 まさに「都合よく書きたいように書く」という感じで、だからこそ書けば書くほど自分というものが、ぼやけていったのだと思います。もう少しお時間をいただきます』

 

2022年36

※池田晶子さん  『寂聴さんって、あのコスプレ尼僧でしょう?() そのコスプレを脱いだ晴美さんて、どんな人か興味がわくわね!』

 

※サムさん(霊媒の指導霊)  『アストラル界と幽界を切り離したとしても、霊能者の方々はそれがどうしても一緒くたになっていて、〈新しい地球〉のアストラル界にうまく移行できない、ということが起こっていました。晴美さんの事例でその区別がなされ、霊能者の方々もそちらに行けるようになるのではないでしょうか』

 

※晴美さん  『みなさん、応援のコメントありがとうございます。確かに、あれはコスプレでした()。そう思ったら笑えてきますね、気が楽になりました。霊媒女優のようにそれになり切っていたところもありましたが、もっとしたたかなところでは小説家としてやっていくための仮面・コスプレであったのでしょう。そしてそれは、憑依霊に乗っ取られた私であり、その自分を俯瞰して見ていくということですね。

 今朝は、母におぶられていた1~2歳の頃を思い出していました。私の以前のストーリーでは、寒々とした母の背中しか記憶になかったのですが、今日は母が姉の手を引き、私をおぶって土手を歩いていました。夕焼けの中で、母が口ずさむ歌が背中を伝って聞こえていました。その時は、憑依されているということは、なかったように思いますね。さて、憑依はいつ頃からだったのか、時を進めて見ていきたいと思います。

 一つお願いですが、〈アストラル界のまとめ〉、先日少し読んでもらいましたが、その続きを読んでもらえますか?』

 

※一緒にアストラル界のまとめを読みながら

晴美  『ふふっ(笑)、Bって。Black Boss、黒幕のBですか?』

 

蓮  「いや、あの世の私をA、魂とつながらずに第2~3層だけで生きている仮の自我をB(その場合、往々にして憑依霊との結託が起こる)、魂をつかんで第1~3層を統合的に生きる本来の自我をCとして、単に順番であてはめた記号なんです。でも確かにBlack Bossだったかもしれません。響きも「ビー」って、ぴったりなんですよね」

 

晴美  『私もBが幽界の霊と結託していましたね。ある意味、最初は都合よく利用していたというか、完全に被害者というより、共利共生という感じで援護してもらっていたんだと思います』

 

※読み終わって

晴美  『ありがとうございました。あまりにドンピシャ!で、急所にドスンと一発やられ、ノックアウトされたような衝撃を受けています。

 そして、それと同時に「そういうことだったのか!」という謎が解けて、安心する気持ちもわいています。自分の人生にも当てはめながら、これから〈人生回顧〉をしたいと思います。

 まず、私が霊媒体質になったのは、生まれつきの滲出性発疹のために吹き出物から膿が出て、その悪臭から多くの時間はほっておかれた、ということが原因のようです。それで、アストラル界のまとめにあったように、霊体脳→幽体脳→肉体脳へとうまく発達せず、霊体脳や幽体脳優位になってしまった、ということなんだなと思いました。

 そのために普通は自我が成熟していけば閉じられるという〈3次元の直日〉が、開いたままで使える状態になっていたため、そこから〈あの世〉につながり続けていたということなんですね。私の場合は、完全な発達障害(みなさんのような幼さ)ではなかったのですが()

 私は小さい頃は大人しく、うまく言葉も出ない方でしたが、5歳で自分一人で幼稚園に行ったあたりから妙に大人びて、おしゃべりにもなっていきました。あの頃からすでに、憑依霊の力を借りていて、私自身の力にプラスαしながら暮らしていたようです。いつもではないのですが、急にキャラが変わったように行動したりすることは、ちょくちょくあったように思います。

 5歳まで集団に入れずに遊べなかったことは、私の内気な気質を形成していたと思います。小説を書きたいと思ったのも、自分一人の世界にこもってできることでしたから、憑依霊の願望でもありましたが、私の願望でもあったのです。

 十代くらいまでは、一応憑依霊もいたけれど、そのせめぎ合いの中で何とか自分を保って生きていたように思います』

 

 

◎結婚後の振り返り

 

2022年3月7日

※サラチームの対話で「今日の蓮さんは、晴美さんの憑依霊に引っ張られている顔だ」という話題になる。そしてそれは「蓮さんの中に、それを呼び込む誘引があるからだが、何か心当たりはないか」と聞かれる。それを聞いて、「光に向かうことを阻止したいBがいる」ということが意識化される。

 

晴美  『今日の話は、私にも関係のあることだったように思います。結婚をして子どもができたことで、私の奥深い感情部分は刺激されていました。子どもを愛おしいという気持ちもありましたが、それを否定して関係を壊してしまいたいという気持ちの両方が、私に潜在していました。みなさんの言葉でいえば、魂とつながった私(C)と、今生の自己否定の観念にしばられている私(B)のせめぎ合いがあったのだと思います。

 しかし中国で終戦を迎え、日本に引き揚げるという動乱の中では、その変化に対応していくだけで精一杯で、その無意識的なうごめきの両方を、じっくり意識する余裕はありませんでした。いえ、それらを意識してしまうと葛藤が起こるので、その臨戦状態の混乱をいいことに、ひたすら意識をそらしている自分もいました。

 しかし、日本に帰ってきて、ひとまずの安全が保証されてホッとしたところに、母が自死に近い形で戦死したこともひとつの刺激となって、私の中の暗いBの自分が揺り動きはじめました。

 それは私がまだ無意識的だった5歳ごろまでにできた「私は愛されていない」という思い込みの自己否定感が、頭をもたげてきたということです。そこに憑依霊が乗っかり、「自分を貶めたい、奈落の底にひきずり落としたい、今ある幸せを壊してしまいたい」と私にささやくのでした。

 若い男性に惹かれていったのは、そのような深いうごめきが情愛という出口に向かって一気に放たれ、私を衝動的に動かしたからです。そんな中でも子どもを愛したい自分、望ましい生き方に向かいたい自分というのもいて、それが魂の私だったのだと思います。その二つの闇と光の中で、私は揺れ動きました。

 しかし結局、私は闇に呑まれました。この時から私は決定的に憑依霊に負け、彼らと手を組んで情愛の世界、そしてそれを描く小説家への道を歩むことになったのです。小説を書く時の私は、ドロドロとした赤黒い欲情にまみれていました。揺れている間は光も見えましたが、いったん闇に身をひたすと滑り落ちるがごとくでした。

 子どもを捨てた自責の念も加わり、ますます欲情の中で憂さを晴らしました。小説はその度に書けて、それはある種、幽界の強烈なエネルギーが込められたものでしたから、人を惹きつけて話題にもなり、仕事としても成り立つようになりました。そうなると慢心していく私というのもいました。

 小説だけは書き続けたいと思っていたのは、憑依霊とつながって書いている時の強烈な快感があったからです。そのように幽界とつながることで得られるパワー感は、中毒とさえいえる状態にまでなっていきました。いろいろな判断力も鈍り、多くの仕事を引き受けて、もはやパンク状態になった頃、私は出家でもしたいと思うようになりました。

 その状態をいったんリセットして、もう一度やり直したいと思ったからでした。強烈なパワーに動かされている反面、心の奥底では疲れ果てていて、心の救いがほしいという願望もありました。実際、2カ月の修業期間は魂とつながるような瞬間もあり、やはり俗世から身を引いて仏に向かう道というのは、心穏やかになるものだなと思いました。

 その時からのつながり先は、アストラル界(幽界)の上層に変わったように感じます。それでもしばらくすると、また小説を書き始めたのですが、以前とはもう少し違う、ただの情愛だけではないものも書くようになりました』

 

 

◎出家後の振り返り

 

2022年38

晴美  『出家してつながる階層が上がったのは、性交渉から離れたからでした。やはり性欲による低層との結びつきというのは、かなり強固なものだったと思います。それこそあらがえない衝動のように感じていましたが、憑依霊もドーパミンを使って私たちを操作する時、性欲というのは最も扱いやすい快感だったのかもしれません。

 出家によって、そことの癒着が断たれたことで楽になった私がいました。もしあのまま、ますます闇に向かっていたら、最終的に自殺をしていたかもしれませんね。ですから出家したことは私にとっては救いであり、その環境によって低層に落ち切ることは免れたのです。

 そういう意味で、確かに出家はその時の闇から抜け出したいという、私の魂の願いでもあったと思います。その後、やはり小説を書きたいと、また違う憑依霊と手を組んで疾走し始めるので、結局は、それも書くための隠れ蓑のようになってしまったのですが』

 

2022年38

晴美  『出家する前に、娘と再会しました。内心の私は、罪悪感に苛まれて怯えていたのですが、憑依霊に乗っ取られた表層の私は、責められまいと心理的な防衛線を張りながら、平気なふりをしていました。淡々とした再会でしたが、私の中では節目にはなりました。

 「もうあの時の私は死んだのだ。これから寂聴として違う私になろう」と決意したのですが、それは結局、憑依霊を乗り換えたに過ぎなかったようです。しかも仏門に入ったからには、多くを〈則天去私〉で受け入れていく姿勢に変えようとしましたが、それは結局、自我を手放しているだけの状態となり、ますます霊にコントロールされやすい状態になっていたと思います。

 しかし作家としての憑依霊と尼僧としての憑依霊は、それぞれ別人だったと思います。いろいろな憑依霊を十二単衣ほどに着込んでいて、その主要なメンバーがその二人だったということでしょう。

 それでも朝の読経の時などは、その音の響きの中で無心になっていき、〈本来の私〉に近づいていることもありました。でも、次第に忙しくなり、世間からもてはやされるようになればなるほど、意識は外に向いていき、結果としてまた別の憑依霊に憑りつかれて、あのおしゃべりな寂聴が定着していきました。

 小さい頃を知っている従妹が、「え、あの晴美ちゃんが、まさか瀬戸内寂聴だなんて!」というのも納得ですし、コスプレ尼僧と言われてもまさにそうだったなと思います。

 そのような第3層でのコスプレ尼僧、第2層での作家、それがすべてであったかといえばそうでもなく、第1層の利他心というのも少なからずはあったように思います。それが僧侶を目指した本来の私で、償いの気持ちもあって飛び込んだ世界ですから、奉仕として人を助けたい、という動機は持っていました。

 また「源氏物語」の現代語訳など、憑依霊との共同作業であったとしても、これはやり切ったなという本もあり、そういう時の私は創作意欲に燃える作家としてのきらめきが、多少はあったように思います。

 波のように上下しながらも、調子のよい時にはつながり先がより上層の方になっていたのでしょう。でも万能感は、やはり強くありました。憑依霊とつながっていれば、奥底では自信のない私を強く支えてくれましたから、そちらに依存しながらパワーや万能感を得ていました』

 

2022年39

※伊藤正男さん(脳科学者)による解説

『同じように自覚がないまま憑依されている人は多く、現代においては社会的に活躍している人ほどその傾向があるといえます。憑依というと、いかにも特別なことのように感じますが、昔のように自分の自我をまったく失っているわけではなく、小脳から無意識でうまく操作されて共存している、という状態なのです。そのため、本人も気付かず「これが自分」だと思って人生を生きています。

 すると死後は、自分とその憑依霊を混同したまま、アストラル界と幽界にまたがってまどろんでいます。アストラル界と幽界が一体化していたのも、そのような理由があったからです。

 今は、幽界は死後世界を認めずに、地上の人に憑りつこうとしている層で、アストラル界は、死を認めた上で魂の向上進化を図っていくための浄化層に戻りつつあります。

 生前に憑依されていた人は、自分自身にその要素がなかったわけではないのですが、それを何倍にも増強した形で、憑依霊がやりたい放題をしていました。ただし、結局はそれにゆだね、依存的にそのパワーを利用している自分もいたのですから、まったく被害者というわけでもありません。

 しかしそれが〈本来の自分〉ではなく、その魂は隅に追いやられてしまっていたため、自己評価もたいそう低くなっているようです。ですから、自分の悪いところは数々浮かんだとしても、本来の魂の美しさには意識が向きにくいようです。

 3次元の二元的な善悪に照らしての回顧が終わったら、次はもう少しより高次元から俯瞰して、〈無知の知の神〉の分身として何を学んだかを、改めて意識化されてはいかがでしょうか?』

 

 

◎憑依霊と性欲

 

2022年39

直子  (家庭を捨ててまで惹かれた若い男性)音彦さんと別れる理由になった、『肉体上の過ちをまったく別の人間と犯していた』というその男性のことは、自伝ではその一行でしか触れられていませんでした。

 その人との関係はどうだったのでしょうか。また、自分の小説家としての才能は、本質的にはどの程度で、憑依霊によってどれほど盛られていた、と思われるでしょうか」

 

晴美  『本にさらっとしか触れていないのは、そこまで落ちぶれた自分の背後にある問題を、直視したくなかったからでした。それまでの男性は、憑依霊のあおりがあった状態ではありましたが、恋愛感情や相手への尊敬や共感など、心も伴うものでした。その感情に酔いしれているところもありましたが、その場合は私の中の最低限の誠実さを伴っての関係ではあったのです。

 ところが、その体だけの関係の男性に対しては、まったく心が伴っておらず、ただ単に性欲のみに押された関係になりました。しかも1回で終わればまだしも、お互いに相手を都合よく使って、体のみの関係をずるずると続けていたのです。

 そしてそれによって憑依霊の望んでいる性欲を共に満たし、互いのつながりが一層強固になったところで、ポルノ小説まがいのものを書くという、交換条件のような状態になっていました。その辺から、私は決定的に憑依霊に取り込まれていきました。そしてそれは私自身に小説家の才能があったかどうかにも関わる話でした。

 私の才能はそこそこで、職業作家としてやっていけるほどの実力はなかったのです。だからこそ幽界の力を借りて書かねばならず、そのためにはあちらは性欲を満たせとせっついていたのでしょう。私が直視したくなかったのは、自分の作家としての才能のなさでした。文学に憧れ、何とか文豪の仲間に入りたいと思っても、そこは届かぬ世界でした。そのことにコンプレックスを抱いていたものです。

 しかし憑依霊に乗っ取られてからは、そういうコンプレックスは一気に消え去りました。自分は才能のある芸術家だと人に豪語するようにもなり、故なき万能感で満たされてしまったのです。

 「不安をぬぐいたい。作家として自立して身を立てたい。そのための才能が欲しい」というのが私の欲求であり、それを幽界の霊に満たしてもらうために性が介在していました。もちろん、生前はそんな交換条件があったとは思ってもいなかったのですが、その男性との関係はどこかやましさを感じていたので、サラッとしか触れられなかったのだと思います。

 ちなみに、今、憑依霊の助力を得た作家としての本当の実力のほどを見定めるならば、職業作家として文章の量産はできても、際立って才能に秀でていたかといえば、そうでもなかったと思います。それはどこにつながって書くかの問題で、やはり幽界レベルでは人の感情は揺さぶれても、魂を打つ文章までは出てこないからなのでしょうね』

 

 

◎敗戦後の問題

 

2022年310

※対話記録

直子  「三島さん、川端さんは自殺しているし、晴美さんは生きてはいたけれど、出家しなかったら自殺していたということだった。確かにそうだっただろうなと思う。

 3人とも創作に向かっていながら、結局は闇に向かっていったのは何故だったのか。この3人だけでなく、他にも戦後の作家はかなり自殺者が多い(ざっと調べただけでも太宰治をはじめとして14人の名前が上がった)

 しかし一方、同じ時代を生きたチャップリンやマグリットなどとの対話では、けっこう大変な環境で育ちながら、それぞれの創作活動によって救われ、良好な家族関係も保っていた。この違いが何によるものかと考えると、この日本の3人の作家は敗戦による影響というのも大きかったのではないかと思われる。

 敗戦までは神国日本として、大元の神から延々と続く神々の系譜の中に天皇制はあり、天皇を現人神として崇め、自分もその分身だと信じてきた。だからこそ、神風特攻隊なども成立していたと思うが、敗戦によってガラッと変わり、天皇は人間宣言をして日本の神話も葬り去られていった。

 信じていたものが裏切られる衝撃は大きく、感受性の強い作家たちは、その敗戦の虚無感から厭世的になったのではないだろうか。そういう自分の気持ちにしっかり向き合えば消化できたはずだが、日本は焼け野原になったところから、何とか物質的に立て直すことに必死になり、それによって心の問題は置き去りにされてしまったのではないか。

 晴美さんの話は、戦後の日本がこれだけ急展開して変わっていった、その中での大きな問題も含んでいたようにも思われる。その辺の話を、三島さん、川端さんと改めて鼎談してもらった方がいいかもしれない。

 また、瀬戸内寂聴になってからの憑依霊にも、この辺で話を聞いてみてはどうだろうか。これまで晴美さん自身の話は聞いてきたが、それを動かしていた憑依霊の話は、そういえば聞いていなかったので…」

 

晴美  『こうして無意識だったところに焦点をあてていただいて、ありがたく思います。敗戦によるそれまでの信仰の喪失、問題の根底はそこだったのかとガツンと脳天を打ち砕かれた思いがしました。

 そして、昨日の二つの質問もそうでした。それが私の分岐点となるところで、しかもその二つの質問をからめてしてくだったからこそ、〈憑依霊と自分〉の〈性と作家の関係〉が明らかになりました。

 それまで漠然と思っていたところが、こうして焦点づけて問われることで、その核心の部分が諸々の現象と関連付けた上で明らかになる。それは原稿に「校了!」というハンコをバシッと押す時のような爽快さがありました。

 そして今回の「校了」印は、三谷晴美から瀬戸内晴美になるまでのシリーズ上巻に対してであり、次は瀬戸内晴美から瀬戸内寂聴になった下巻を完成させていきたいと思います。

 

◎出家の動機

 

敗戦後の信仰の問題は、集合意識や観念もからむようなより深い話になりますので、その前にまずは自分の問題を片づけなくては…、と思います。

 

出家して瀬戸内寂聴になった動機は

・本来の私(C)である三谷晴美の動機

・憑依霊と結託した仮の私(B)である瀬戸内晴美の動機

・憑依霊の動機

が、相合わさっていたように思います。

 Cの動機は、これ以上自分が闇に落ちていくことを防ぎ、何らかの救いがほしいというものでした。救いが欲しかった理由は、ご指摘いただいた信仰の問題が潜んでいたのだと今回初めて分かりました。

 そしてBの動機としては、ポルノまがいの小説に行きづまりを感じ、その次の段階に活路を見出さなければ、職業作家としては続いていかないだろう、と思ったからでした。出家したとなれば箔もつき、またそのような転身によって、何か面白い創作の道が拓けるのではないかとも思っていました。

 また、自分の底の浅さをどこか感じ始めていたので、基盤となる思想を求めて、より深みのあるものにしたいという思いもありました。

 このように始めた時は、ひとまず飛び込んでみるというような現状打破の一心のみで、自分のことしか考えていませんでした。Cではまずは自分を救うことで、その後少なからず他者への利他心はわいてきました。

 Bでは、僧侶という社会的な役割を女優のようにこなすことで、人の役に立っている自分に満足感を抱いていました。それはまた、子どもを捨てた罪悪感を埋めることにもつながっていたように思います。

 もちろん、その枠組みの中で、また小説を書き始めると、自分の中に引きこもって創作をするという快感にひたり、そういう作家としてのBの動機が私の中では最も大きかったとは思います。

 そして、最後は憑依霊の動機ですね。それは私には分かりかねるので、ご本人に聞いていただけますか? やっと自分と憑依霊を分けられるようになりましたね()

 

 

◎憑依霊との対話

 

2022年310

晴美  『憑依霊の話は、私も興味があります。いつも一体化していたので、それを外在化してみると果たしてどんな気持ちになるのか、それが楽しみです。

 川端さんに刺激されて出てきたのは、幽界の低層のしたたかに闇に引きずりこもうとする、瀬戸内晴美に憑いていた霊でしたよね。では瀬戸内寂聴に憑いていた霊はどうだったのか、そんなに悪い人ではなかったような気はしますが。あ、でもちょっとオバサン的だったかもしれないですね。何というか、おせっかいというか()

 

寂聴さんの憑依霊  『はぁ~(ため息)。こうして出てきたくはなかったですね。私が晴美さんに憑りついていた、おせっかいでオバサン的な霊だと言われて、複雑な気持ちがしました。私が晴美さんに憑りついていたんですか? あっちが私に憑りついて、邪魔だなと思っていたくらいだったのに、何でこんな言われ方をしないといけないのか分かりません。

 それに教祖に憑りつく霊の話ということでしたが、教祖なんて麻原彰晃からキリストまでいろいろですからね。しかもこちらは教祖のいない仏教ですから、何でそんなまとめられ方をされているんだとムッとしました。もう、今、動悸が止まらないんです。心がザワザワして不安です』

 

  「責めるつもりはないんですよ。ただ、三谷晴美さんの体ではあったので、憑りついていたのは、あなたの方だったというのは事実だと思います」

 

憑依霊   『知ってます! それくらいは、もう分かっています! これまでの話はずっと聞いていたんですから』

 

  「そうですか、失礼しました。お名前を伺ってもよろしいですか?」

 

憑依霊  『寂聴と読んでください。みなさんから見えていた瀬戸内寂聴が、私だったと思います』

 

  「元のお名前は、何というんですか?(「淑」というような字が浮かぶ)よし子さん?」

 

憑依霊  『としこ(俶子)です!』

 

蓮  「俶子さんですね」

 

憑依霊  『もっと動悸がしてきました。もう観念しないといけないんでしょうか。アストラル界に行くと、人生回顧をしなきゃいけないじゃないですか。みんなそれが嫌で、幽界に留まっているんです。自分の見たいように、思いたいようにしておきたいんだと思います。私だってそうです』

 

  「瀬戸内寂聴さんに憑依した動機は何でしたか?」

 

憑依霊   『私の動機は、人の役に立って認められたかっただけです。男性教祖のような支配欲や名誉欲じゃありません! 人を助けていれば、自分の方が少し上に立っている気分になるじゃないですか、感謝もされるし。それに教える時の私は、人よりも分かっているという、ちょっとした優越感があるでしょう? そんな些細なことです。

 仏教は、にわか勉強でしたね。それでも悟りに向かうというのは、みんなの憧れでしょう?私だってそういう気持ちが、ないわけじゃなかったです。でも真面目に修業したりするのは、ちょっと面倒なんですよね。もうちょっと楽がしたいし、簡単に分かりたいし、さっと読んでなるほどと思う程度で良かったんです。

 いや、最初はちゃんと勉強しようとも思っていたんですよ。でも動機が弱いから、続かないんです。自分の内に向かうより、外に意識がどうしても向いてしまうんですね。そして、何となく分かったことを、さも分かったように人に言いたいし、人の相談に乗って「うん、うん」と聞いていると、自分の無知を隠せるんです。それを見なくても済むんです。結局、分かったつもりになって、得意になりたかっただけです。

 これでいいですか? 正直に言いましたよ。もうほっといてくださいね』

 

2022年310

晴美  『憑依霊の話を聞いていただき、ありがとうございました。話してもらった内容は、私自身とも重なりましたが、結局私の背後には俶子さんという憑依霊がいたということなんですね。私の中にもそういう気持ちがあって、それに共鳴した俶子さんがほとんど寂聴を演じていた、ということなんですね。

 私は結局、何をしていたのでしょうか…。確かに元々は内気な私が、あんなに人前でしゃべっているというのは、やはり別人格だったのだなと今は思います。こうして憑依霊を外在化することで、切り離せてよかったです。頭で思っているのと、実体験するのとでは、ずいぶんと違いました』

 

 

◎尼僧として学んだこと

 

2022年311

直子  「出家は、晴美さん自身の魂にとって、プラスになったこともあったのではないでしょうか。今改めて考えると、尼僧として学ばれたこともあったのではないかと思いますが。(でも、もしそれがあまりないようなら、それはそれで興味深いですが…笑)」

 

晴美  『そう言われると、何かあったかな…と考え込んでしまいます。プラスを掘り出すために、ネガティブな面も含んで、まずは思い付くことを話してみていいでしょうか。

 尼僧というのは、社会的現実との距離感が、あの衣によってほどよく守られているところがありました。それは俗世に巻き込まれないという意味では、良い方向に働きました。本来の出家というのは、意識を外にではなく内に向けて、自分をありのままに見ていくためのものでしたからね。

 ところが私のように修業には本気でない場合は、単なる〈にわか坊主〉として、その尼僧という枠組みに安住しているところがありました。私はそういう面がほとんどでしたから、改めて「学んだことは?」と問われて、戸惑っているのだと思います。

 尼僧でいれば、人からとやかく言われずに、自分の世界を守ることができました。また、作家というのも同じで、創作という個人の自由を名目に、自分の世界観を守るところがあったのです。そのどちらであっても、他者と関わることで自分の観念を崩されることはありませんから、自己防衛のためには最適なダブルの枠組みだったなと思います。

 もちろん、ちゃんと人の話を聞けば別だったと思いますが、私はそうではなかったようです。ですから、〈B+憑依霊〉の「晴美と寂聴」は、自分の観念の中でぐるぐると回っているような、そういう在り方しかできなかったように思います。

 少し話がそれましたが、ご質問は「出家によって、魂にとってのプラスがあったかどうか」ということでしたね。

 私の中で敗戦による裏切られ感は強烈で、その後は神を見失っていましたし、すべてを否定したい気持ちにさえなり、もう人の話なんかは絶対に信ずるまいと、固く心に誓っていました。それで自分中心に生きることに、針が振れた人生になっていきました。

 ですから、直接〈神〉という言葉を出されると、もうすでに出来ている嫌悪感がどうしても立ち上がってきていたのですが、〈仏〉と言われると、それは素直に聞ける自分がいました。単に言葉の違いなのですが、でも人は言葉にそれぞれの観念を付随させて理解していますから、私にとっての仏は、まだニュートラルな言葉だったんですね。

 手垢がついていない言葉というのは大事なんですね。神とつながる意識の経路としての〈直日〉もそうだと伺いましたが…。

 そしてなおかつ仏教の真髄は「自らを拠り所とせよ」ですよね。それは外在するものに他力本願的になるのではなく、〈本来の私〉に向かうベクトルを示されていたように思います。そして利他心も魂の願いと合致していたので受け入れやすく、その行動指針としての明確さが、自分を俗な闇の世界に貶めないための光になっていたと思います。

 そして、いつもではないにしても、読経のあとに庭を散歩する時などは、魂にとっては癒しの時間になっていたように思います。その時だけは、〈今〉にいられたからです。

 仏教は第2~3層の観念的理解の段階もありますが、それが第1層の魂にも無意識的に作用するところはあるように思います。魂に向かうための真髄を、しっかりと持っている宗教だからこその魅力なのかもしれません。

 あぁ、ありがとうございます! このように思えたことで、救われる思いがしました。つい先ほどまでは、憑依霊と手を組んで、何の意味もない人生を送っていたのだと思っていましたから。自分の歩んだ道のプラス面も意識化できて、感慨深い感動がこみ上げています』

 

 

 

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