人生回顧 ジョン・フォン・ノイマン

※ジョン・フォン・ノイマン(1903年~1957年、ハンガリー出身のユダヤ人で後に米国に亡命した数学者。数学、物理学のみならず多くの分野に影響を与えた、20世紀科学史における最重要人物とされ、特に原子爆弾やコンピューター開発への関与で知られる)

 


(審神者・直子が20212月に出版された「フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔」を読み、霊媒・蓮に依頼して以下の対話が始まった)

 

2021年330

蓮  「フォン・ノイマンさん、今はどちらにいらっしゃるでしょうか」

 

ノイマン  『地上の皆さんの話は聞いていましたよ。私は今、精神界にいます。アストラル界ではユダヤ人迫害の怒りは多少残っていましたが、その他は特に幽体に残る感情がたまっていたわけではなかったので、そこからはするすると抜けていきました。

 そして精神界に来て、「あれ、私の人生はこれでよかったのかな?」と疑問を持っていて、それをちょうど考えあぐねていたところにアクセスいただきました。戸惑っていたのは、精神界で見ていくのは主に観念だということですが、私は<この世>の集合的観念を慮ることができていなかったようです。

 むしろ原爆開発などの<悪>と思われることに加担し、牽引していた身ですから、その人生とはいかなるものであったのか、単に「悪いことをしたな」という回顧だけではない、もう少し大局的な意味、そして類魂を代表して何を成しに行ったのかを、まとめる時期にさしかかっているようでした。

 ですから、こうして話を聞いていただけること、そしてもう質問項目もずらりと並んでいるようですので()、ここは本腰を据えて取り組ませていただこうと思っています。

 こうしてつながってしまった方が、本を読んでいただくにも効率がよいでしょうから、まずはご挨拶ということで、深い話は親交を深めてからの方がよいかと思います。私の場合はスピード勝負というより、地上での対話もはさんでいただいて、<腰を据えて>でお願いいたします』

 

2021年330

ノイマン  『今日は、「ヒトラーさんの人生回顧」(未発表)を一緒に読ませてもらいました。その中で、現代のように虐待が蔓延したのは、<共感性の欠如>によるものというところが印象的でした。私にもその傾向はあり、社会的配慮という面での気遣いや、その範囲内での共感性は一応ありましたが、一般的な方々に比べると相当ドライだったように思います。

 それが本の副題にもあったように「人間のフリをした悪魔」と言われるゆえんでしょうから、確かにその切り口から見れば、非人道主義、虚無主義ともとらえられかねない共感性の低さであったように思います。それはなぜだったのでしょうね?』

 

※伊藤正男さん(脳科学者)

『そこは私が解説させていただきますね。生まれたての脳が白紙状態だというのは、<何もない>という空白の状態ではなく、<すべての可能性に開かれている>という状態です。それは神経細胞のネットワークが、全領域にわたって潜在的に張り巡らされているということですが、それが成長に従って、回路の中の不要なものは使わないと判断され、つながりが断たれていきます。それを神経シナプスの刈り込みといいますが、それによって脳がその環境に適応するための最適化がなされているということです。

 なぜなら、1000ページを超える全情報が載った百科事典を毎日持ち歩くには重い上に、調べるにも情報量が多すぎるとかえって非効率的になります。ですから、日常使うものだけの短縮版の100ページに厳選したものを、持ち歩くことにするようなものです。

 どの項目を拾って100ページに絞るかによって、その人の個性や観念ができていきます。観念ができるというのは、そのよく使うシナプスのルートが強化される(メインネットワークとして機能する)ということです。

 しかし、ノイマンさんの場合は、早期から多言語教育や数学的教育を特別に受けたことによって、その刈り込みが防がれて、1000ページのままの肉体脳となりました。また常に考え続けるという習慣のために、その1000を最大限に機能させ、刺激し続けた結果、あれだけの天才脳になったといえます。

 一方で、その1000のネットワークをいつもフル稼働させて考えているために、必要以上の他者への共感性や配慮にまでは、意識が向かなくなっていたといえます。そこは鍛えられなかった情緒的部分ということです。

 これは、自我の発育不全によって脳のネットワークができていないための<共感性の欠如>とは、また違うものです。その場合は、他者の存在自体が希薄で自己中心的なためですが、ノイマンさんの場合は、自我が確立していて一応他者の存在は認識できているものの、(科学的)思考にほとんどのエネルギーを使っていたために、共感性を十分に生かせなかった、ということではないでしょうか』

 

ノイマン  『<共感性の欠如>に関しては、そういうからくりがあったのですね、納得です。そして、生まれたての脳の状態は、コンピューターと同じだと思いました。コンピューターもすべての可能性の中から、条件をつけていって選択を絞っていく、というのが基本構造ですから』

 

伊藤  『宇宙も同じですよね。あらゆる可能性の中から、選択することで<今>の状況が決まる。そしてアカシック・フィールドの<空>というのも、生まれたての脳と同じで、すべての可能性に開かれたニュートラルな状態であるといえます。そこに意識を向けると、<色>になるということで。

 それを脳でいうと、潜在的な可能性としては全領域に渡るネットワークがある中で、意識を向けるとその一部に電流が流れて、その瞬間その回路ができる。それを繰り返すことで、その回路が強化され、使わない回路は刈り込みがなされて、次第に限定的なネットワークになっていく、ということです』

 

 

◎サラチームでの対話

 

2021年331

※対話記録(30歳まで成長が続く肉体脳)

「昨日、NHKのヒューマニエンス 「‟思春期リスクテイクの人類戦略」という番組を見ていたら、人類学者の長谷川真理子さんが出ていて、アフリカにいたホモ・サピエンスが世界中に広がっていったのは、<思春期の好奇心>によるものではないかと話していた。思春期というのは、親の庇護から抜け出て自我を確立するために、自分なりの模索・冒険をする時期で、その時期に出る成長ホルモンが脳の<側坐核(そくざかく)>を刺激すると無鉄砲さが出てくるし、<偏桃体(へんとうたい)>を刺激すると怒りやイライラした感情が出てくるのだそうだ。

 あるアフリカの種族の話で、大人の場合は経験則からどこに行けば確実に動物がいるかが分かっているのであまり冒険はしないが、思春期の男子グループは、それらの無鉄砲さや情動によって新規開拓をしたくなるのだという。それは危険な目にもあうし、獲物がまったく取れない可能性もあるが、たまたま新たな狩猟場を見つける可能性も秘めている。そのような<思春期の好奇心>によって、人類の居住できる世界は広がってきたのではないか、という話だった。

 これまでの仮説では、ホモ・サピエンスの集団が大きくなれば、その中で戦いが起きて、負けた方がそこから追いやられる。そして新たな場を開拓していき、再度その集団の中で戦いが起きて負けた方がそこから追い出される、ということを何度も繰り返しながら、世界中にホモ・サピエンスが広がっていった、というものだった。だから日本というのは、負けに負けて最後にここに流れ着いた民族であるので、あらゆる柔軟性や受容性が育っているのだろう、と言われていた。

 しかし、それが<思春期の好奇心>によって、「さらに広い世界に行ってみたい」という向こう見ずな冒険が繰り返された結果、今のように世界中にホモ・サピエンスが広がっていったという仮説も、なかなか信ぴょう性があるように感じた。

 そして、思春期というのは、これまでは主に身体的な見方から1018歳くらいと考えられてきたが、脳科学的にいえば30歳まで続くのだそうだ。30歳ごろになると、脳幹部(第1層)と大脳皮質(第3層)をつないでいる小脳(第2層)の神経細胞が、ミエリン化(軸索部分がミエリンという物質でコーティングされて、固定化)するのだという。

 つまり、脳幹部と大脳皮質をつなげるその神経細胞が安定的に定着する30歳まではネットワークを形成し続けていて、その時期まで広げてきたネットワークが30歳になれば固定化されてしまう、ということだ。固定化すれば無鉄砲なことはしなくなり、感情的にも安定するので、自分をコントロールしやすくなる。しかしそれ以降は、その固定化したネットワークを(30歳以降に)変更するのは、かなり難しくなるということだった(そのため、融通が利かなくなり、新しいものが入りにくくなる)。

 これまで、シナプスの刈り込みは3歳までで決まるとか、あるいは10歳までで脳の発達が止まるとか言われてきたが、それらの情報を全部含めるならば、30歳まで肉体脳のネットワークは広げられているということになる。ノイマンさんの場合、30歳までに最大限のネットワークにまで拡大していたとすれば、その後もそれをさらに活用できるだろうし、実際に20代で研究者としての地位を確立するほど業績も上げていたということなので、誰もが認める天才的頭脳になったのは、そのような背景があったからではないだろうか」

 

2021年41

ノイマン  『お話しくださり、ありがとうございました。おかげで、私の中でもいろいろと整理されたことがありました。まず頭の良さについては、私は遺伝的なものという程度にしか考えていませんでしたが、脳の刈り込みが防がれたことに加えて、<思春期の好奇心>が30歳まで続くという話から、そこまでネットワークが形成され続けていたとするならば、とても納得するものがありました。なぜなら私は、30歳まではとにかく多領域にわたって考え続け、脳をフル稼働でさせていましたが、その原動力は<好奇心>だったからです。

 そして、私たちの時代は肉体脳が優秀な科学者が、特に多くいた時代でした。それはなぜかといえば、霊体脳も使う科学者(アインシュタインやゲーデルなど)によって基礎科学が提示され、それを肉体脳を鍛えた科学者が応用数学として現実に立ち現わす役割を担っていたということです。

 基礎数学というのは法則なので、(直観や夢などによって)霊体脳で受信してひらめくことが多いのに対して、応用数学はそれを統合力を生かしながらネットワーク化して他分野に適用していくので、肉体脳でしかできないからです。コンピューターや量子力学はそれにあたります。

 それをするためにも、私たちはこの時代にどっと投入されたようです。それは前回の対話で皆さんがお話しくださったように、時代ごとにジャンルを変えて有能な人が群をなして生まれてきている、という話にも通じます。

 

哲学(ソクラテス、プラトン、アリストテレスなど)

宗教(ユダヤ教、キリスト教、仏教など)

音楽(バッハ、モーツァルト、ベートーベンなど)

美術(ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなど)

 

このようにその時代ごとにテーマがあり、その天の要請に応じて役割を担う人たちが、同時代に生まれていくようです。私たち科学者も例外ではなく、<この世>の最後の解明をする役割があり、肉体脳を発達させるための様々な仕掛けを盛り込んで、使命を果たそうとしていたということです』

 

 

◎審神者からの質問

直子  「この辺で質問に入らせていただきますが、ノイマンさんの以下のように本に書かれていた発言を表層的に取るならば、①人類に対して、社会的責任はない、②科学的な発達のためにはそれが恐ろしいことでもやり遂げなければならない、と考えておられたようにも受け取れます。

①「フォン・ノイマンは、われわれが今生きている世界に責任を持つ必要はない、という興味深い考え方を教えてくれた。この忠告のおかげで、僕は強固な<社会的無責任>を持つようになった。それ以来、僕はとても幸福になった」(リチャード・ファインマン)

②「我々が今作っているのは怪物で(※原子爆弾の話)、それは歴史を変える力を持っている。それでも私はやり遂げなければならない。軍事的な理由だけでもだが、科学者として科学的に可能だとわかっていることは、やり遂げなければならない。それがどんなに恐ろしいことだとしてもだ。これは始まりに過ぎない」

 

 3次元の地球ゲームというのは、<神に向かうか、神から離れるか>というものなので、例え科学的に可能であったとしても、良心に照合してそれを進めるべきかどうか葛藤することが、人間的な課題だと思いますが、以上の発言について今振り返ってどう思われるでしょうか?」

 

ノイマン  『私は肉体脳で合理的に割り切って判断するところがありました。それは計算のように必ず<解>があり、その道筋においては最短・最適となるルートを選ぶということです。

 科学は軍事的活用の場において資金を得て開発され、その知識を平和利用にも使うという流れがありました。ですから原爆のことだけを考えれば殺りく兵器ですが、それはエネルギーを生み出すという点においては、それまでよりも数段進展した画期的な技術開発だったのです。それをどう使うかは後進の方々に委ねるにしろ、科学者としての責任という意味では「開発すべきだ」と私は思っていました。私には他にも考えることが山のようにあり、それ以上深めて考えるということはしませんでした。

 ただ、②の発言の時は、その原爆を使うことによって未来は壊滅的な地球になる、という夢でうなされた後のことでした。私はひどくうろたえました。そこでしっかりと葛藤をしたらよかったのですが、それは自分が進もうとする方向性を根底から揺るがす可能性があります。それにたじろぎ、それまでも葛藤なく機械的思考によって判断してきたように(私の思考回路がそのようにミエリン化されていた、ともいえます)、いつもの思考性に戻して強く自分を鼓舞するためにも、<科学者の責務>の方に思考の舵を切ったのでした。

 そしてそれは、<責務>だから「やり遂げなければならない」と言いつつも、実は<好奇心>から「やってみたい」という気持ちもうっすらとあったように思います。それは科学者の欲望でもあって、本来の神(法則)を知りたいという純粋な(魂の)好奇心と、知識欲・征服欲・達成欲などが混入した人間的(エゴの)好奇心とを、しっかりと選り分けて考える必要がありました。

 私の中に後者の好奇心がまったくなかったかと言うと、他の方々に比べるとかなりアッサリとしたものではありましたが、人間ですからけっしてゼロではなく、数%の気持ちがよぎることはありました。

 そういう自分の心も見て、全人類に対する社会的責任も考慮して、いろいろと葛藤した上での選択ではなかったので、私はガンになったものと思われます。それに関しては、以下の質問のところで、詳しくお答えしたいと思います。

 今思えば、葛藤こそが大事であるということが、よくわかります。バランスというのは、葛藤なしにはほどよいラインをはかれないものですね。私の欠点をあげるとすれば、葛藤のないところでした』

 

直子  「次々と課題が押し寄せる中で、葛藤している余裕がなかった、ということもあるのでしょうね。それは、表層的に動き回っている現代人の大きな特徴でもありますが。

 続いて、以下の質問への回答をお願いいたします。

1.<これは始まりに過ぎない>と予見していた通り、結局は地球を何回も破壊するほどの、原爆、水爆が作られたことについて、今どのように思われるでしょうか? 

2.原爆を作ることが、本当に戦争の抑止力になったのでしょうか?」

 

ノイマン  『今、それは表面上の抑止力にはなっていると思いますが、原爆を作ることは他国の恐怖心と警戒心をさらにあおり、科学兵器の競争の激化をもたらした面がありました。その結果、地球を何回も破壊するほどの原水爆弾が作られたことについては、3次元的な感情からいえば、恐ろしく、心痛むものがあります。それは私が口火を切ったようなところもありますから、その責任の重さを今になって引き受けてもいます。

 心理学・哲学・宗教などとの葛藤がない中で科学技術だけが進展し、過剰に自己防衛と他者への攻撃性が駆り立てられ、なおかつ人間のもつ支配欲と万能感がこのような状況をもたらしたと認識しています。科学者にも万能感は多大にあり、神にしかできなかった大量虐殺や地球の破壊にまでその技術が達すれば、その万能感は相当刺激されるものになるからです。

 科学と宗教(神)とのバランスが崩れて、そこに葛藤がなくなることによって、人類は破滅への舵を切るのだということは、今回私たちがよく覚えておかなければならない<失敗からの学び>でしょう。

 しかしより大きな目で見れば、原爆の核分裂にしろ、水爆の核融合にしろ、核の持つエネルギーをいかに引き出すかという、そのシステムを明らかにすること自体は、それがどのように利用されるかはさておき、人類が解明すべき叡智としては必要なことでした。

 それは138億年かけてできてきた宇宙の最後の1秒としての<今>で考えるならば、この宇宙泡の叡智はすべからく明らかにしていく時期である、といえるからです。そのような9次元的な視野では、コンピューターや量子力学と並んで、核エネルギーというのも一つの大きなテーマでした。その核を<どう使うか>に関しては、慎重な判断が必要だったということです』

 

直子  「3.日本の核投下場所については、皇居は否定し、京都を推奨したこと。またソ連に対して先制攻撃を勧めたことは、やはりすべてコンピューター的な計算によるものでしたでしょうか?」

 

ノイマン  『そうでした』

 

直子  「4.もし第2次世界大戦後、アメリカが核兵器開発を先導している間に、ソ連に先制攻撃をしていたら、私たちの世界はより平和な自由世界になっていたと思われるでしょうか?」

 

ノイマン  『本にも書かれていた通り、実はスパイによる情報漏洩によって、ソ連も核兵器開発は急速に進んでいました。もしアメリカが先制攻撃をすれば、それにソ連も仕返しをしてきて、大きな大戦がまた勃発していたことでしょう。

 結局、力で抑えつけるやり方は、表面上の問題は解決するようにも見えますが、それをされた側の反発や憎しみが内的には増大し、何らかの歪んだ形でいつか必ず出てくることになったと思います。男性が主導する世界は、力と力のパワー面で競い合うところが潜在的についてまわります。

 平和で自由な世界に向かうには、そのような攻撃性や力を誇示した抑止力では、とうてい難しかったことでしょう。それこそ、自己と他者、自国と他国の間で、葛藤する中でのバランスを模索し、お互いに愛による協調精神を引き出していくしか、正攻法はないのかもしれません』

 

直子  「5.ガンになって1年半闘病生活を送ったのは、それが因果応報の結果としてなのか、それともやるべきことはやり終えたからなのか、どちらと感じられていたでしょうか? また、死が間近に迫った時に、カトリック教会の司祭と話すことを望んで、周囲を驚かせたとありますが、何ゆえ望み、何を話し、結果としてどうだったのでしょうか? その時に第1層の霊体脳につながったということでしょうか?」

 

ノイマン  『これに関しては、今はどちらともいえると思います。生前は、肉体脳にとっては考えることを続けたい気持ちもありましたので、原爆を推進した因果応報の結果であろうと思いました。しかし病気になる少し前に、それまで膨大に関わっていたプロジェクトを整理し、常勤である政府の原子力委員会のみに絞っていたことからも(それは国に対する恩義の気持ちからでしたので)、どこか一仕事終えたような気持ちも、深い所ではあったのです。

 そしてその1年半の闘病生活は、それまでのハードワークから解放され、死に向かって行くための落ち着いた時間を与えられたようなところもありました。すぐにそのように転換できたわけではありませんでしたが、<蒔いた種は刈らねばならぬ>というのは、数式(法則)的にも当然そうですので、時間がたっぷりある中でそれに思いを馳せられるようになったということです。

 そういう意味では、(神につながる)霊体脳を、その時になって静かに見出していたといえるかもしれません。カトリックにこだわりがあったわけではありませんが、死を目前にして、原爆を推進したことに関する自分の懺悔を聞いてもらいました。その時になって私の中でようやく、科学と宗教が出会ったといえます。そこでの最後の期間に悔恨や反省を済ませていたので、アストラル界は割とスムーズに通り抜けられたのだと思います。

 そして大局的にみれば、ガンになったことは、私の魂に向けた光明であり、恩寵でさえあったと思います。因果応報の法則というのは、肉体脳レベルでは悪因悪果と思われたとしても、魂レベルでは<本来の自分>に気づき、そこに戻るための神からの深い愛であると思われたからです』

 

 

 

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