憑依について by精神科医・ウィックランド博士
※カール・ウィックランド:1861年~1945年、スウェーデン生まれの米国精神科医で、国立シカゴ精神病学会の会長も務めた。精神病患者の治療にあたる中で、それが憑依によって起こっていることを発見し、霊媒の奥さんと協力して除霊による治療を30年間継続。その記録を『迷える霊(スピリット)との対話―スピリチュアル・カウンセリングによる精神病治療の30年』(近藤千雄訳、ハート出版 2003年)としてまとめた。
2022年7月9日
『私は生前、19世紀から20世紀にかけて精神科医として働いていたのですが、その当時流行していたウィジャ盤(※コックリさんのようなもの)をしているうちに、幻聴や幻覚、人格変化などをきたした精神病の患者さんが急激に増えていました。それがなぜなのかは最初のうちは分からなかったのですが、私の妻に霊界からのメッセージが降りて来るようになって、それによって「その精神病の人たちは、憑依されてしまった人たちだった」ということが分かりました。
妻にアクセスしてきたのは、マーシーバンドという天界の医療霊団でした。彼らからの依頼は以下のような内容でした。
「このところ未浄化霊が多くなり、それが自我境界の弱い人に憑依し、精神病患者が増えている。あなた方には、その憑依霊たちを説得して<あの世>に送るという役目を引き受けてほしい。今、天界主導で死後の存在証明を行っていて、(クルックス氏のように)霊現象を科学的に証明する科学者もいるが、あなた方には憑依霊の話を聞いて彼らを説得し、あの世に送り届けるプロセスを記録しておいてもらいたい。このようなことをお願いするのは、科学的・客観的志向を持つあなたのような精神科医が、「あの世と協力して除霊を行う」ということに意味があるので、ぜひとも継続してもらいたい。もちろん、その記録が溜まった時に公開するかどうかはお任せする」
その他にもいろいろと話す中で、その霊団の話す内容に信頼が置けると思ったため、私と妻はその役目を引き受けることにしました。
その時代にはすでに、近代科学と霊的世界は相容れなくなっており、精神病も憑依によるものとは、もはや言われなくなっていました。かと言って、精神医学的な原因は明らかになっていた訳ではなかったので、むしろ憑依によると考えた方が問題はシンプルになるのですが、それを医学会で発表しても到底無駄だろうと思われました。
そのため、私はもっと一般的な人を対象として、「ありのままの事実を記録し、そのまま公開する」というスタンスを取りました。その除霊の具体的な方法は、以下のようなものでした。
1)患者に憑依霊が憑いていることを、霊媒の妻が確認する。
2)患者に電気ショックを与え、その憑依霊を妻に乗り移らせる。
3)憑依霊の話を聞き、「あなたはもう死んでいるのだ」ということを伝える。
4)そうやって<あの世>に心が向くと、霊界の医療団がその霊にまつわる霊を連れてくる。それはすでに亡くなった親・兄弟などで、「彼らが見えるということは、自分も死んでいるのだ」と自覚しはじめ、<あの世>の霊からも説得をしてもらう。
5)地上への心残りなども聞いて解消し、憑依霊は死を認めて<あの世>に戻っていく。
6)すると妻も患者も、憑依状態が解かれて、元の人格に戻る。
そこでの私の役割は、地上での審神者(さにわ)役でした。審神者とは憑依霊に質問をしていくことで、その霊がどのような心の状態にあるかを判断しつつ、それを本人にも自覚させていきながら、場全体の状況をコントロールするのが仕事です。その時の憑依霊との具体的な話の内容は、概ね以下のようなものでした。
「どうもあなたは死んだはずなのに、違う人に憑依しているようです」と私が言うと、どの霊も混乱していて、「いや、そんなはずはない」と答えて死んだ自覚がないようでした。そのため「あなたの名前は?」「何をしていた人か?」「最後の記憶は?」などと生前のことを聞いていくのですが、そうするとその霊は生前の自分のことを少しずつ思い出していきます(※実際に確認された人もかなりいた)。
その段階になって改めて「今、憑りついている人の体は、あなたの体ではないんですよ」というと、「そんなまさか!」と言うので、「あなたは男性なのに、それは女性の体じゃないですか」などと事実を指摘していくことで「ほんとだ!」と理解していくという流れでした。
するとその霊は、観念の中で見ていた世界ではなく、今の状況をそのままに受け入れた目で、現実を新たに捉えられるようになっていきます。その霊にとっては、本当はもう<あの世>にいるので、そこでの現実として<あの世の霊たち>が見えてくるからです。そのように<あの世>を見る目が開くかどうかが、ポイントでした。
観念というのは自他や世界を見るための、強固なフィルターになっています。「死んだら終わりなので、死んでも意識があるはずはない。意識があるということは、まだ自分は生きているんだ」と思い、他者の幽体に入って共に生き、それが自分だと思い込んでいる。それがそのような観念を持った、憑依霊の思い込みだったのです。
その背景には、近代になってから唯物主義・科学主義的な観念が、人類の集合意識として強固に形成され、それが教育の中でも強化されていった、ということがあります。それによって、「肉体が終われば意識もなくなる」と思い込んでいる人が非常に多くなりましたが、実際には<あの世>に行っても魂としての意識は残り、その魂は輪廻転生もしていきます。
ただし、すぐに魂(霊体)になることはできません。死後にまずは肉体を脱いで、幽体として幽界またはアストラル界に行くことになりますが、そこでは生前の観念や感情がそのまま残っているんですね。しかもその幽体は、死を認めていない霊にとっては、まるで裸になったようなスースーした心もとないものなので、(無意識のうちに)何とか外側の皮膚もある肉体を求めていた、ということのようです。
1900年代初頭でも、すでにそのような憑依霊が増えていましたが、現代ではそれが地上にあふれかえっているのです。それはとても大変な状況で、しかも(あの世の)天界側からは、残念ながらそれをどうにかできるわけではありません。
なぜなら、彼らは(この世の)地上にしか目を開いていないので、天界からの働きかけは見えないし、聞こえないという状態だからです。そして、生前私たちがしていたように、地上側から憑依霊を一人ずつ昇魂させていくのは、その圧倒的な多さから言えば、今では到底無理な状況になっているのです。
ですから、せめて今、生きている人たちに、死後の世界の認知をしてもらうための情報提供を…ということで、私もその一人としてこのようにお話している次第です』
2023年9月29日
「シリーズ4で、『現代における憑依の仕組み』についてまとめましたが、100年前から憑依の問題に取り組んでおられたウィックランド博士は、それをどのようにご覧になったでしょうか?」
※カール・ウィックランド博士
『100年経てば科学が劇的に変化したように、憑依の仕方自体にもこれほど大きな変化があったというのには、まずは驚きました。しかしこれだけ脳科学も進んだ現代においては、そうなるのも当然だろうと納得もしました。
かつての憑依は身体ごと、自我の全部を乗っ取られて人格が入れ替わったようになる憑依でしたが、今は小脳や幽体脳から入り込んで、本人も他人も気づかないほど巧妙にその人を裏からコントロールしているということですね。
それは現代の、霊媒の在り方とも連動しているように思います。かつては入神して意識を失わないと霊媒機能は果たせませんでしたが、今では皆さんは、自我を保ったままインスピレーションで天との交信をされていますから。それはあの世とのつながり方自体が、時代を経て変化しているということですよね。
そうなると、あの世の低層とつながることによって起きていた憑依が、特別なことではなくなってきている。しかも現代は、霊能力を持った方々が大勢いらっしゃいますから、無自覚にあの世とつながっている場合も多く、第2層の心の闇を見ないままに無防備でいると、まったく気付かないうちに憑依霊に操作されているというのは、よくあることになっているのでしょう。
何より、シリーズ4の中で実例としてあげられた元オウム信者は、首謀者の麻原さんや村井さんをのぞけば、割合普通の方だったということが、ポイントですよね。私たちの時代は、普通の人が憑依されることはほとんどなく、自我境界がかなり弱い神経症や精神病的な人に限られた話だったのですが、今やそうではないからこそ、憑依霊から身を守ること自体を用心しなければならない時代になったということですね。
さまざまな面で難しい時代になったと感じますが、この憑依の問題こそ実はもう避けがたい重大問題となっているのではないでしょうか。にもかかわらず、ほとんどの人は気づいていないし興味も示さないようで、私たちの時代でさえああでしたから、もっと憑依が見えにくく、実感としても希薄になっている現代では、そうなるのもわかると思いました。
しかし、好奇心をもって憑依の仕組みを知ろうとすれば、人間が自由意志をもったからこその意識の在り方や、自我や脳の機能、心の無意識層のことまでをも理解することにつながる、かなり高度な叡智がそこには凝縮しているように思います。それはシリーズ4の表紙の図にもひっそりと示されているように、実はそのような幽界や憑依霊の解明が11次元につながる叡智だったということで、「なるほどそうだったのか!」と私も妙に納得したところがありました。
憑依というと低レベルの現象と思われがちですが、それが実は高度に発達した人間の脳の仕組みによって成り立ったというのは、100年前にその事実を提示しても皆に理解されなかった私の慰めにもなりました(笑)。
そしてよく考えたら、憑依が起こり得るなんて、ものすごいことですよね。動物だったらあり得ない。これはどうも「神から人間に入ってくる意識」と「人間から神に向かう意識」の二方向のルートがあるからだそうで、私はその意識の仕組みの見事さに感嘆してしまいました。
自分が憑依されると思うと恐ろしいですが、おそらくこの本に興味を持たれる方は憑依されていない方がほとんどでしょうから、そういう解明への好奇心で読むと、とても面白い本だなと思います。極悪なオウム死刑囚という観念を抜いて、それぞれの人の「ありのままを見る」というのも味わいがありますしね。
しかも彼らは、心を浄化して最後は天界にまでいきましたから、その人生回顧のプロセスはある意味で明るく希望があり、私などは共感しながら応援しつつ読みました。憑依されたからダメということではなく、どのようにそれは起こり、何が原因だったかを究明していくところが、この本の面白さなのでしょうね。
ただし、彼らの人生回顧は心の深い部分にまで及んで最終的に魂に至るので、それを読むには自分自身の心にも問いかけられるものがあるかもしれません。でも、だからこそ、いいのではないでしょうか。自分も生前に人生回顧をしておけば、それによって今後も憑依されることは免れるでしょうし、死後もアストラル界で引っかかることもないでしょうから』