憑依例3 あの世のキューブラー・ロスとの対話
ロスさんとの対話は6年前のものでしたので、まだ憑依ということは念頭になかったので、今回、改めて最後に憑依の問題について聞いています。
※エリザベス・キューブラー・ロス:1926年~2004年、スイスで三つ子の長女として生まれ、アメリカで精神科医となる。著書『死ぬ瞬間』において、「死の受容プロセスの五段階」を示す。また私財を投じて死に向かう患者のための施設を作り、ホスピス運動の先駆けとなった。1995年に脳梗塞で半身不随となり9年間の闘病後他界。
◎導入
2017年8月14日
――直子さんから「次はキューブラー・ロスさんなどはいかがでしょうか」とメールがあり、プロフィールなどをネットで見てから、その足で図書館にいき、ロスさんの本を3冊借りた。すると彼女が話しかけてくる。
ロス 『なかなか真摯に向き合おうとしているわね。その姿勢は受け取るわ。これまで地上からはさんざんなことを言われていたわ。あの人の理論は間違っていたとか、死に際が美しくないとか、自分では死を受容できなかったとか、もう好き勝手!! 誰も私の本当の気持ちを受け止めてくれる人はいなかった! それで私がどれだけ悲しい思いをしたか・・・』
――ロスさんは、かなり感情的な話ぶりで、霊媒の私はその悲しみに共鳴し、涙がうるむ。(この頃はあの世の霊との人生回顧を始めたばかりだったので、霊媒はその感情に流されてしまうことも多く)『第1層に軸足を置いて対話すること』というメッセージを思い出し、気持ちを第1層に向ける。その後、(現実で)そのまま車で少し行くと、和菓子店が見えてくる。「後で子どもと食べに行こうかな」と思うと、彼女が強引に割り込んでくる。
ロス 『私と話をしたいと言っていたのに、そうやってフラフラとわき見をするわけ?』
――その言葉でこちらをコントロールしようとするエネルギーを感じる。これまでの精神界や天界の方々との交流とは明らかに違うモード。ここははっきり言わないと巻き込まれるなと思い、以下のように言う。
蓮 「そうやって私をコントロールしようとするなら、残念ながらもうお話はできません。私は、アストラル界は本来の担当ではないので、そこのエネルギーに巻き込まれても困るからです。私も誠実に対応しようとして、本を借りてきました。あなたの表層的な感情ではなく、深い魂の声を聞きたいからです。しかし、ただ感情を発散したいだけなら、私は手を引きます。そんな余裕はないからです」
ロス 『・・・・・・』(押し黙って考えている)
蓮 「私も自分の興味で話しかけているわけではありません。これは天の意志のもと、出会わされた機会だと思っています。あなたは感情的な世界からはもう抜け出て、魂の世界である精神界へ歩みを進められる時が来ているとお聞きしています。ご自身でも心の奥底の光るものを感じておられるのではありませんか? 私も、あなたとの対話は、他の方々にも参考になるものだと思うので、深いところでの話がしたいと思っています。その気持ちになったら、お声掛けください」
――夕方、指導霊のサムさんに「言いすぎたでしょうか?」と聞いてみると、『正解はないんだから、思うようにやってみては?』と言われる。その後、夜中までお互いにシーンとした状態が続く。寝る前あたり、ロスさんの自伝を読んでいると、すごく純真に使命をまっとうしようとしていた、若かりし頃の様子がありありと浮かんでくる。いろいろあったんだなあと、共感する気持ちもわく。そこで共鳴したのか、また話がはじまる。
ロス 『わかったわ。少し素直になって、そして冷静になって、話をするようにします。私はこちらへ来てからも、なかなか怒りが収まらなかったの。やっとちゃんと聞いてくれる人が来たと思って、吐き出すように感情を出していたところはあるわ。でもそうすると、その感情は増幅するばかりだった。今はそのような発散よりも、心の中にそよ風が吹き抜けるような、そんな爽やかな気分になりたいと心底願っているわ』
――先ほどは、頑固で偏屈なおばあさんという印象だったが、今は若々しい30代くらいの女性に見える。
蓮 「心を開いてくださり、ありがとうございました。私は強く言い過ぎたのではないかと、申し訳なく思っていました。アストラル界に対する抵抗感があったので、巻き込まれまいと防衛心が働いたのかもしれません。第2層の感情からというより第1層の魂からとは思いますが、少し強く言い過ぎました。また、普通は共感的に聞いていくのだと思いますが、私はそういうのが苦手で、直球勝負のようなところがあるのです」
ロス 『えぇ、あまりにバッサリ言われて、私も少々傷ついたけれど、でも今の私にはちょうどよい目覚めの言葉でもあったようだわ。これまでは感情のうねりの中で、それを人に投げつけるような態度でいたの。それは、魂よりも感情の方が圧倒していた状態だったのね。今は魂に少し光があたりはじめているのか、気持ちも随分明るくなってきたわ』
蓮 「今はアストラル界の最上段におられるのでしょうか」
ロス 『そうだと思う。でもはじめに話したときは、もう一段下だったのよ。よくよく考えて、もうこの段階は十分だ、私は変わりたい!と思っていたら、環境が随分明るくなったの』
蓮 「今、ロスさんの本を読み始めたところです。明日またお話を伺いにきてもよろしいでしょうか」
ロス 『ええ、待っているわ』
2017年8月18日
浅野和三郎(指導霊) 『これまでの精神界や天界からの通信は、自我を明け渡してメッセージをそのままに降ろすという方向性だったので、無意識でいることがうまくいくコツでした。しかし、アストラル界との通信はその逆で、いかに自分の第2層も<意識化>できているか、というのがコツです。地上の人との対話と同じだと思ってください』
――ロスさんの本の最終章を読んでいる。「これを読んだら話しかけよう」と思っているためか、もうつながっている感じがする。読み進めるうちに、ロスさんの感情がダーッと流れ込んでくるようで、頭が痛く、むせかえるような感じがある。これでいいのか、指導霊に確認する。
浅野 『無防備癖が抜けていません。もう巻き込まれています。一度天界に戻ってください。感情は、ある程度は共鳴します。地上で泣いている人を目の前にすると、自分も思わず泣くというふうに、共振するところがあります。無意識だと、なおさらです。しかし、相手の感情と、自分の感情は別だというふうに区切りをつけてください。それを取り込む必要はありません。一緒におぼれてしまうだけなので、冷静に見ていられるよう、距離を保ってください。アストラル体に光のバリアを張りましたか? 本を読んでいる時も、ずっと張っておいてください』
◎自伝を共に読みながらの振り返り
――その後時間をおき体制を整えて、しっかりバリアを張ってから話しかける。
蓮 「ロスさん、大変お待たせしました」
ロス 『エリザベスでいいわ。友のように語れることを期待して』
蓮 「ずっと誰ともお話しされてこなかったのでしょうか」
ロス 『長い間一人でいるわ』
蓮 「私はお話をうかがいに、地上からやってきました」
ロス 『知ってるわ。これが助け舟だということも。私は、自分を振り返る時が来ているのね』
蓮 「そうお感じなのですね」
ロス 『まわりくどいやり取りは、キライなの。あなたは直球だから話しやすいと思ったのよ。遠慮しないでちょうだい』
蓮 「わかりました(笑)。今まで『人生は廻る輪のように』(角川文庫)を読んでいたのですが、一緒に読んでいただいていましたか?」
ロス 『えぇ、あなたは心の中で声にしながら読む人なの? 全部聞こえていて、自伝をまるまる横で朗読された気分だったわ』
蓮 「強い女性でしたね。すごいなと思いました」
ロス 『頑固で偏屈だと言っていたじゃない? 聞こえていたわ』
蓮 「晩年はそう感じるところもありましたが、壮年期は芯の通った、時代を切り開いていく一人の女性として尊敬しました」
ロス 『私も今回改めて、自分が地上でなしたことに誇りをもったわ。並大抵の圧力じゃなかったの。医療界では完全孤立で、批判、誹謗中傷は絶えなかった。でも私は自分がおかしいと思うことに黙ってはいられなかったし、弱い立場にある人を何とか助けたいと思った』
蓮 「子どもの頃に、いじめられている子を守るために男の子をぶっ飛ばしていたエピソードがありましたが、それをずっと貫かれたのですね」
ロス 『持っている性質というのは、変わらないものね。正義感と奉仕の気持ちで、ナチス全盛のヨーロッパから経済合理主義のアメリカに至ってまで、常に男社会の闇と闘ってきたわ。こんなことで負けてなるものか!と、その闘志が私を余計に駆り立てた。私はとにかく身を粉にして働いたの』
蓮 「そのおかげで、今では死に対する理解のあるホスピスも増え、死の受容の五段階(注)も、常識となっているようです。日本の片田舎の図書館にも、エリザベスさんの本は置いてありました」
ロス 『そうね。それは私の大切な使命だったのだ、と自信をもって言えるわ。研究をやめないようにと、霊界からの使者が来たくらいだったし、天の援助もあって広まったのでしょうね。広がり方は奇妙なくらいあっという間だったわ』
蓮 「圧力だけではなく、援護もあったのですね」
ロス 『そちらに意識を向けさせようとしているのね。私はどれだけ大変だったかをもう少し話したい気分なんだけど、まぁいいわ。その流れに乗りましょう。そうだったわ。もうダメだと思う時に、必ず救いの手が入った。そんな綱わたりの連続だった』
蓮 「その援護を、どのような気持ちで受け止めていたのですか?」
ロス 『私は“汝の隣人を愛せよ”という神の願われていることをしていたの。だから神がその志で動いている私を見捨てはしまい、と思っていたわ』
蓮 「神は信じておられたのですね」
ロス 『教会や聖書を棒読みしているだけの牧師はウソくさいと思っていたから、私はそんなものには頭を下げないけれど、でも神は信じていたわ。奉仕を続ける上での、愛の源泉でもあったから。
でも神を罵倒したくなることもあった。私たちが生きた時代は、最悪だと思えることが目の前に数々起きていたわ。戦争、差別、飢え、虐待、無関心。神は本当のところ何を考えているのか、この状況を何とも思わないのか、何度も嘆いたわ。
でも、そんな中だからこそ、慈悲の気持ちを持つ人も多くいて、助け合った。愛が心を癒すのだと思う瞬間は、何度もあったわ。神の祝福も、それだけ多く感じていたともいえるわ』
蓮 「その神を、ヒトラー呼ばわりした時の気持ちを教えてください」(晩年は脳梗塞で9年間半身不随になっていて、その時期にテレビインタビューを受けて、そう語った)
ロス 『あなたって、本当にぶしつけよね。気に入ったわ(笑)。そこを見つめるように、指導霊から言われていたけれど、自分でもその時の憤慨した気持ちしか、これまでは出てこなかったの。でも自伝をもう一度読んで、私も少し客観的にはなってきているわ。
私は多くの人を看取り、死の瞬間の美しさを知っていたし、そして死後の世界の確信もあったから、死がやってくるのは楽しみでもあった。本当に死が怖かったわけではないの。むしろ死にたかったくらいなんだから。でも、なかなか死ねなかった。身体が麻痺した要介護の状態で、9年間もただじっとしているしか仕方のない時を、じりじりと過ごしていたのよ。
私はどこかに出かけ、誰かの役に立っていることが生きがいだった。活動的なタイプなの。一時たりとも、じっとしていられない性分だった。だから「少しペースをゆるめるように」という心の声は、何度聞いても従うことなんてできなかったわ。私は自分の極限までやる方だったから。
そんな人生を送ってきて、やっと余生を過ごそうと思った矢先に倒れたでしょう? これだけやってきた私をまだ苦しめるのか! 私を動けなくして、ただ生きているだけの状態にするなんて、動けない体に魂を監禁されているかのように感じたわ。ずっと奉仕してきた末の運命がこれだと言われて、怒りが爆発したの。早く死なせてくれるよう祈っても、返事は何もない。もう、一方通行だった。その気持ち、わかる?』
蓮 「うーん、あまり分かっていないです。エリザベスさんの本に“偶然というものはない。神は常にその人が必要としているものをお与えになるのだ”と書かれていますし、“死が訪れるのは、学ぶべきことを学んだ時。それは自然とやってくる。すべては、何かを学ぶためのレッスンなのだ”とも書かれていますね」
ロス 『本当に共感タイプじゃないのね!』
蓮 「私は魂に語りかけているんです。情的なやり取りの段階を超えた深い話をしましょう、ということでしたから」
ロス 『なかなか強気ね』
蓮 「エリザベスさんには及びません(笑)」
ロス 『そうね・・・。レッスン・・・。それは考えてもいたわ。忍耐を学ぶ時なんだわとか、自分を愛することを学ぶ時なんだわ、とかいろいろ。でも、なかなか整理がつかなかった。今もまだ未整理だけど、心に少し風が吹いてきた感じはする。とはいえまだ明らかに何かがわかってきている感じではないわね』
蓮 「…あの、もう少し他の話題を聞かせて頂こうとも思ったのですが、実は私の集中力が乏しくなってきているようです。とても眠くなってきてしまって。どうも、アストラル界と繋がることは体力を使う、ということのようです」
ロス 『そうなのね。では仕切り直して、また明日にしましょう』
◎因果応報はその<動機>に対して働く
2017年8月19日
――以下は地上での審神者と霊媒の対話。
直子 「ロスさんは、心霊学はどれくらい学ばれていたのでしょうね?」
蓮 「死後の世界があること、くらいだと思います」
直子 「因果応報については?」
蓮 「本には聖書にある“蒔いた種は刈り取らなければならない”を引用してあったので、分かっていたとは思うんですが」
直子 「因果応報は、その動機に対して結果が働くけれど、ロスさんの奉仕の動機は何だったのでしょうね?」
――その言葉を聞いた途端、ロスさんは頭を抱え込んでいる。
直子 「確かに行為としては素晴らしいことをしていたけれど、その動機は? 三つ子の未熟児として生まれ、何クソ!と思って、自己の存在意義を確かめるように活動していたということはなかったでしょうか? 他人には博愛的で親切でも、家族にはどうだったのでしょう? そして自分を愛していましたか?」
――以下は家に帰ってからの対話。
蓮 「直子さんからの質問が聞こえていましたか?」
ロス 『(ため息をつく)・・・えぇ・・・』
蓮 「なんでもおっしゃっていただければ・・・」
ロス 『今は言葉が出ないの』
蓮 「私は明日から3日ほど旅行に行くのですが、その間に考えてみていただけますか?」
ロス 『わかったわ。怒りがわかない質問というのもあるのね。見込んだだけあるわ。乗り越えてみせる!』(彼女は泣いている。霊媒も共鳴して泣く)
蓮 「直子さんは、『ロスさんは今回天界に行くはずの人だ。尊敬しているからこそ、何でそんなところで引っかかっているの!』と思っていた、とのことでした。私も本を読んで、使命を共にする方だと思っていたのです」
ロス 『そうね。あなた方と会って、同じ匂いを感じたわ。私も天界に行きます。待ってて。向き合ってみせる』
蓮 「自分を愛するとは、ありのままを認めること、なのだそうです。私も今、そのことを一つずつやっているところです」
ロス 『ありのまま? 私はどれだけやっても足りないと思っていたわ。まだやらねば、まだ奉仕せねばと、自分を駆り立てていた』
蓮 「何がロスさんをそんなに駆り立てていたのかと、直子さんが言っていました」
ロス 『最初は、愛されたかったのだと思う。父に、そして神に。私は三つ子だったことが苦しかった。同じ服、同じベッド、顔も髪型さえも。どう区別がつくのかしら。私はここにいるのよ、私を見て!と思ったわ。
甘え上手でもなかったし、どこにでも1人で行ってしまうから、3人の中で怒られるのは、いつも私だった。でもそれは小さい頃のことで、大人になってからは父とも和解しているの。だから私の動機は、もはや父に認められたいということではなかったわ。父がたとえ反対しても、自分の信念は貫くタイプだった』
蓮 「私たちはこの頃の対話で、<観念>が自分をしばっていることがあるから、それをよく見て刷新する、ということをしています。観念とは小さい頃に、社会や親から無意識に刷り込まれた“こうあらねばならない”という道徳観や信念のことです」
ロス 『弱い立場の人は助けなければならない、という強い信念はあった。それは私の愛でもあったの。博愛の気持ちは私の中に確かにあった。動機はそうだったはず。でも「動機は?」と聞かれた時に、それが100%ではないのかもしれないと、私の中で揺れるものがあったわ』
蓮 「ではまた旅行から帰ったら、そのお話を聞かせてください。その間『サラ・メッセージ』をお読みになりますか? 精神界までの心霊学が、コンパクトにまとまったものです」
ロス 『次の段階ということね。読んでおくわ。私もいろいろ考えてみる。よい旅を!』
蓮 「ありがとうございます」
◎奉仕の動機
2017年8月24日
――旅行から帰る。
ロス 『ずっといるわよ。待っていたわ』
蓮 「戻りました」
ロス 『えぇ。私もその間、よく考えてみたわ。動機に関しては、怒りが私の中にあった。それは大量に合理的に患者をさばくために、個人の尊厳がないがしろにされている社会や医療のシステムを目の当たりにしていたから。医療現場では対人コミュニケーションがそぎ落とされつつあり、死自体も受け入れがたい敗北として目をそむけられていた。その問題に踏み入っていくごとに、私は敵を増やした。侵してはならぬ領域だったのね。
でもそれは私の使命であり、選んだ道であったの。だからこんなことで負けまいと、気持ちを奮い立たせていた。私を奮い立たせるものの多くは、怒りを含む闘志だった。それを私は自覚しないまま、奉仕だととらえていた。純粋で献身的な奉仕として、身を粉にして働くにつれ、私の中にはその自覚されない怒りが、少しずつたまっていた面があったわ』
2017年8月25日
『キューブラー・ロスとしての名が売れはじめると、あちこちからHELPの声があがって、私は西に東にと駆けずり回った。そのサイクルが、自分をゆっくり省みる余裕を失わせたのね。私は多忙すぎた。それでも一人ひとりに向き合い、話を聞いていったわ。
セミナーの講師も多く受け持った。それらの人々は、私をキューブラー・ロスとして期待したの。つまり死の受容に至るまでの専門家として、そして奉仕的な聖人として、そのような対応を求められていた。だから私はどこか、自分の善良な活動部分だけに意識を向けて、その役回りを担っていたのね。
多忙な中で、私は自分をこう慰めていた。これだけ献身しているのだから、神は私を祝福するだろう、って。
でも、因果応報が行為ではなく動機に対して働くと聞いて、それが見当外れだったことがわかった。私は行動が何より大切だと思っていたの。だって理想を語って何もしない連中をしり目に、私はひたすら行動に現していたから。そう思っていた自分だったけれど、動機と聞いて、ガタガタと何かが崩れていくのを感じたわ。
私の動機には、怒りもあったし、社会的な期待に反応している面もあった。(ここで、長い沈黙がある)・・・そして、やはり自分の存在意義を確かめ続けたい、ということも大きかったように思うわ。
もちろん、善良な奉仕精神は根底にあったし、時代が要請している魂の使命でもあったけれど、それらをすべてとして、私の中にある個人的な動機を見つめないまま走り続けていた、ということなの。それでストップがかかったのね。脳梗塞で動けなくなって、しっかり自分を見つめなさい、と。その時間をたっぷりもらってはいたの。そうであったにも関わらず、みなさんがご存知の通り、神をヒトラー呼ばわりして、その状況を嘆いていたのね。
献身的に誰かを助けている自分というのは、気持ちがいいものなの。自分を満足させるエネルギーがわくし、感謝もされ、自己存在の必要性を強く感じる。他の誰でもない<私>が必要とされているという、満足感が多少なりともあった。私は三つ子だったから、<私>に自信がなかったのね。それがよく分かったわ』
◎愛とは
蓮 「サラ・メッセージはお読みになりましたか?」
ロス 『えぇ。私が生きているうちに出会いたかった本だったわ。私は既成宗教では物足りず、しかしそうかといって魂の世界にどう踏み込んでいいのか、その狭間での混乱はあった。その時に、もし因果応報を理解していたら、神に怒ることもなかったでしょうに』
蓮 「晩年に倒れてから、これは自分を愛することを学ぶ時なのかもしれない、と本に書かれていましたね」
ロス 『誰かに愛されることは多くあったし、人を愛することもずっとしてきた。でも私は、自分をどう愛せばよいのか、それが分からなかった』
蓮 「愛とは、どのようなことだと思っていらしたのですか?」
ロス 『愛とは、苦しみを分けもつことだと思っていたの。戦争の体験は大きかった。強制収容所を見た時、こんなに残酷なことが人間にできるのかと怒りに震えたわ。私はそんな状況の中で、自分の光を失わずに、善行に励む決心をした。自分を愛することを考える暇もなく、目の前に苦しんでいる人が続々といたから、それが当たり前になっていたの』
蓮 「自分を愛するとは?」
ロス 『ありのままを認めることだ、とこの前言っていたわね。それを聞いて思ったことがあった。自分の中には、マザー・テレサもヒトラーもどちらもいる、という話が本には書いてあったでしょう? 私は自分の中のヒトラーは認めたくはなかった。(破壊の規模は違っても)それはいるのだということが何となく推測がついても、それでもそれとは闘っていたように思う』
◎あの世のフロイトがまとめた「魂の学」を読んで
2017年8月26日
――「あの世のフロイトとの対話~精神分析から魂の学へ~」(霊媒の蓮さんを対象に、あの世のフロイトが精神分析をし、心理学と心霊学を統合した<魂の学>としてまとめたもの。未公開)の全文修正版が完成し、直子さんから送られてくる。「これらは地上の人向けに公開する資料というより、天にいるキューブラー・ロスさんや河合隼雄さんに向けたものかもしれない」と、今日は話していた。
蓮 「エリザベスさん、全文が送られてきましたが、すぐに読みましょうか。それとも少しお話してからにしましょうか」
ロス 『話してからの方がいいと思うわ。今日、地上で皆さんが話していた「フロイトも生前は超自我を、自分を越えるもの(良心)として、それを魂の意味でも語っていたけど、それがアメリカで翻訳する時に歪められた」という説明も聞いていたから、心底興味があるし、私の深い問題がそこにあるような気もしているので、今、腹の底からドドドーッとエネルギーが噴出するような興奮が沸き起こっているの。一気にいろんな問題をすっ飛ばしてゴールしてしまいそうな本ね。
いや、すっ飛ばして、ではないわね。今まであて所なくグルグルとしていた問題が、一方向に向けてビューンと動き出しそうだ、という意味よ。とにかくこんなに光栄なことはないわね。死後、「フロイトの魂の学」を、こうやって学ぶことができるなんて。ここにたどり着くのなら、これまでのすべてが報われるわ』
――ここでフロイトさんが浮かび、ロスさんに語りかける。
フロイト 『お届けするのが遅くなり、申し訳ありません。でもこうして、何とか間に合いましたね。あなたの魂の輝きを、私は(天から)見ていましたし、数々の苦労を乗り越える雄姿も、なかなかのものだと感心していました。こちらでお待ちしています』
蓮 「エリザベスさん、フロイトさんがこうおっしゃっています!」
ロス 『えぇ、あぁ、もう・・・。ありがとうございます(と、手で顔を覆って泣いている)』
蓮 「どうしましょう?』
ロス 『もう待ちきれないわね。やはり読んでもらえる?』
蓮 「わかりました」
――読み終わった後、感想を伺ってみる。
蓮 「いかがでしたか?」
ロス 『放心状態。すごかった。知識がある分、おそらくあなたよりよく分かったかもしれないわ(笑)。心の三層図のまとめが、まず分かりやすかった。ユング、フロイト、そしてスピリチュアリズム。バラバラだったものが、やっとつながったわ。私はどれもかじって、それらは未整理のままだった』
◎一気に人生回顧が進む
2017年8月27日
ロス 『私は心の三層図でいえば、第1層が開いたのが、死にゆく人々の声を聴き始めた後だったわ。それまでは単に正義感や奉仕の精神で、戦争で傷ついた人々の救援をしていたの。でも、死後の世界を垣間見てから、単に生きて死ぬだけではない、その後も生き続ける魂の存在があるのだと、勘づき始めていた。
そうすると、使命への流れとは早く来るもので、本を書く依頼が来た。私はその時までは何らまとまったものがあったわけではなかったのだけど、「書ける!」と思ったわ。そして、ものすごいスピードで書き進んだ。おそらくそれは、私の力だけではない、大きな援護が働いていたからだと思う。私はその風に押されるように、それまでの死にゆく人々との対話をまとめていったわ。そこまではとても純粋に魂の仕事に専念していたと、今振り返っても思う。
流れが変わったのは、それがずいぶん売れて、名前が多くの人に知られるようになってからだった。自分のキャパをオーバーする依頼が舞い込んでくるようになると、私は自分を省みる余裕を失っていった。どちらかといえば冷静で、知的に自分を分析することもできるはずなのに、意識のベクトルを患者や仕事のみに向けて、自分の達成感をそこで満たすようになった。「売れる」ということでの危険性が、今になればわかるけれど、当時はより広く伝えるべきだと思っていたし、実際にそれも求められていたから、広がるに任せた。
そこで足元をしっかり見て、立ち止まればよかったんだわ。これは私が引っかかりやすいミスだった。それからは、私は自分の第2層にまったく無自覚になっていったの。わかりやすい感情はわりとオープンに出す方だったけれど、抑圧されているものは放置したままだったの。自分の存在感を満たしたい、私を見てほしいという欲求に、無自覚に駆り立てられて走っていたように思う。そして、魂というより、超自我の「社会貢献をして、苦しむ人々を救うべきだ」という観念に、私は縛られていたようだわ。
人生の後半になれば、私の魂の願いは、自分をありのままに知ることに、実は変わっていたの。そのために、魂について、霊的世界について、私はもっと意識を向けて学んでもよかった。実際にそのような出会いもあったし、そちらに意識を向ければ流れももっと違ったかもしれないと思う。
<魂の学>を読んで、これぞ私が知りたかったことだった!!と、心の底から思った。私もそこに近づける地上人生があったはずなのにと思うと、悔しくも感じたわ。心理学と心霊学(スピリチュアリズム)をつなげて、体系的な死後の世界の扉をしっかりと開いていれば、死の受容のあり方はもっと多様で違ったものにも発展していくこともできたかもしれない。魂と死を結び付けて、もっと総合的に語りたかったわ。でも、「もし」はないわね。私は失敗も含めて体験しに行ったということは分かっているから、あくまでそういう道もあったな、という振り返りとして聞いてね。
さて、「因果応報は動機に働く」と聞いて、行動を信じていた私はクラクラしてしまったわ。先日言ったように、怒り、社会的期待、自己存在。そうね、それらは第2層と第3層の所にある欲求よね。そして<奉仕>という、私が胸を張って動機としていた人助けすらも、超自我からのものも多くあったということが、昨日「魂の学」を読んでわかった。スピリチュアリズムの知識がなかったから、既成宗教の宗教観が無自覚に超自我に組み込まれていて、魂というよりもその超自我にひっぱられていたことも多かったの。
また、因果応報は、その<魂の願い>に対して働くということなのね。これには「参った!」と思った。私は人生の後半から何かがズレて、かみ合わない感じがあったのだけど、そういうことだったかぁ~と思った。
そして、ご質問の子どもや家族に対してはどうだったのか、ということね。反省…。ふぅ~、仕事を大義名分に、子どもにはさみしい思いをさせていた。その罪悪感があって、かなり心はゆれたけど、それでも私が選んだのは仕事だった。それは人のためと言いながら、自分のためだったのね(※泣いている)。
でも子どもたちはとてもよくできた子たちで、私との関係が悪いということではなかったの。それでも私は、自分をちゃんと振り返って、子どもに対して謝ればよかった。そういう反省が足りなかったことは認めたわ。フロイトさんの「愛することと働くこと、そのバランス」という言葉で、私が働くことにどれだけ傾いていたかを振り返ったわ。
マニー(元夫)とは、霊的世界に私が触れるようになってから、かみ合わなくなった。それは仕方なかったのかもしれない。話しても通じないということが増えていって、お互いが住む世界が違ったように、2人の間に壁ができた。でも医師としてはとても尊敬していたわ。
さて、晩年に行くわね。あ、だまされた話にいく?(霊媒である蓮さんが、そういう思念を送ったため) そうね、あの時は何が起こっているのか、もっと慎重に、じっくり対処すべきだったわ。次の講演、次の講演と、私はそこを不在にすることが多かったから、知らないうちに事が進んでいた。それもやはり「立ち止まりなさい」というサインだったと思う。守護霊の声が聞こえるようになっても、それはよく言われていたの。でも私は、何という勝ち気だったのかしら。無視していたのよ。
家が火事になった大きなメッセージも、「見えているものは、こうしてなくなるのだから、内に目を向けなさい」ということだったのね。私はただ被害者で、そんな脅迫に負けてなるものか!とさらに突き進んだ。まるでブルドーザーよね。焼けてもまた新しく建てて、施設も作った。懲りてないでしょう? そしてまた反対にあって、それに屈するものかと猛然と闘っていたの。その頃は、そういう圧力に負けずにやり抜くことが、私の信念を貫くことだと思っていたけれど、違ったわ。うまくいかない現実がやって来た時、私はその原因を自分に問うてみるべきだったのね。
そのサインも無視するから、いよいよ脳梗塞になって倒れる、という晩年にまで持ち越したのだということが、今話していてわかったわ。さぁ、いよいよ倒れてからの話ね。突き進むことで状況を突破していた私に、その突破法をさせない半身麻痺がやってきたということだったの。
それまで、魂の声にしっかり耳を傾けていれば、ここまではいかなかったのでしょうね。私は自分の無自覚であり続けた第2層にも向き合わざるを得ないときを、強制的に作られた状況だった。人の分析はたくさんしてきたくせに、肝心の自己分析がおざなりだったなんて。でも、もうその年では遅すぎたし、そして私は自分の第3層である、社会的な自分ばかりをメインに生きていたから、第2層を掘り起こしていくことは脅威にさえ感じていた。だから怒りで自分を守ったのだと思う。もちろん、その後は認知症になるという逃げの手も打った上でね。
そしてもう1つ。こちらの方が大きな課題だったともいえるかもしれない。私は人に頼って、ヘルプすることが苦手だった。助ける側の方が気楽だったの。動けなくなって、素直に「手を貸してちょうだい」と言えればよかったんだわ。そうせざるをえなくて歯がゆい思いがあった。頑固ではなく、素直になって、自分の非力を認めることが必要だったのね。強がって闘って生きてきた私には、そういう弱さに直面する最後が必要だったのだと思う。これらはすべて、自分が蒔いた種だということが、よく分かったわ。
これが私の人生回顧。反省することばかりで、今はもう意気消沈。認めてしまって楽にはなったけれど、こういう私が「天界に行く!」と言っていたのが恥ずかしいわ。今はこの自分をまるごと受け入れることで精一杯。でも私は正直さだけは掴み取ったように思う。
たくさんの失敗をちゃんと体験してきました。
その時代、私という人間の能力においてはベストを尽くしました。
使命はちゃんと果たしました。
そうは、言えると思う』
2017年8月28日
ロス 『今は精神に余裕ができた感じがするし、中から愛がわきあがってくるわ。魂からの愛って、こんな感じなのね。(超自我からの)奉仕精神とはぜんぜん違う。自分の中も満ち満ちて、その内なる泉からわいてくるものを自然と分かち合っている感じよ。情的な人助けは、自分からエネルギーや何かを出したら、自分のところからは減る感覚があって、無理し続けると疲労するの。
でも、魂からわき上がる愛の循環には、まったく疲労感はないわね。ますます自分の泉も清らかで新鮮なエネルギーが満ちてくる感じよ。なんだか楽しい。とてもいい気分なの。あら、長くなっちゃったわ。休んでと言っておきながらごめんなさいね。また明日』
◎無条件の愛とは
2017年8月31日
直子 「蓮さん、ありがとうございました。読んでいて、何だかエリザベスさんに代わって、お礼を言いたい気分になりました。で、以下はエリザベスさんにお伝えしたくなった言葉です。
『成功も失敗も、それは人間が作った観念であって、神はあなたを通して、ただいろいろな体験がしたかっただけなのだ、と。
だから成功も失敗も評価することなく、ただ「見て―受け入れて―流し、そこから学ぶ(神に報告する)」それで十分なのです。そして、あなたはどうあれ、常に神はあなたを(=<私>は私を)愛していますよ、と』
以上は、もしかして天からの伝言だったのかもしれませんが、これがきっとエリザベスさんもおっしゃっていた、<無条件の愛>なんでしょうね。私もやっとそれが実感を持ってわかってきたような気がします」
ロス 『そう言われて、なんだか胸がザワザワしたの。受け取りがたい抵抗感があったということね。理論的に頭ではわかっても、奥の方では何か引っかかるという感じかしら』
蓮 「どこが引っかかったのでしょう?」
ロス『成功も失敗もないというところかしら。それとも、観念? なんだかうまく言えないの。でも、コナン・ドイルの本でも似た所がひっかかっていたわ。「善悪」についてのところ』
――以下は『コナン・ドイルのリセットのシナリオ』P130からの抜粋。
「これまでのところ人々は、善は常に悪と対決しなければならないものと考えてきました。これほど間違った考えはありません。悪は、人間が“善”と呼ぶ資質ないしは状態を補足する大事なものであり、悪がなければ善は進化することも存在することもできません」
ロス 『ここは、うーん、と思ったの。私が生きた時代は、ヒトラーが悪の代表格だったけど、私はそうはあってはならないと、逆の善を思念していたの。常にヒトラー(悪)と対決して、それに打ち勝たなければと思っていた。このままでは世界は悪の力によって朽ちていく。それに善なる力が負けてはなるまい、と。たしかにその悪があったから、より善の資質を発揮する土壌があったとは言えるけれど・・・』
蓮 「おそらく、精神界までは、光と闇や善と悪のうち、光や善を目指すという学びだったと思いますが、天界にいくとワンネスの世界になるので、光も闇も受け入れていくという、これまでの観念の変更が必要なようです」
ロス 『私は(自分の中の)悪や闇を恐れていた。だからこそ、目に見える世界でヒトラー(悪)と闘っていたの。それで自分の内面を見ることを避けて、奉仕という名目で行動していたんだわ。私の動機が、自分の存在を確かめたかったというのも1つの真実ではあったけれど、もっと深い根本的な問題もあったんだわ。
それは、光を灯すことに意識を向けるあまり、悪を遠ざけ、それを無意識に拒否していたということなの。あ~、そうだわ、わかってきた!!! 私は人生の後半から、そう魂が覚醒してから、その第2層の無意識的な闇をどう振り払おうかと格闘していたんだわ。そこを見ずにいるから、それよりも深いところになかなか行けなかったのね。
天界に行くには、光と闇の両方を自分の中に見出し、それに気づき、それに振り回されずにいることが必要なのね。そうすれば、闇に対する嫌悪は消え、ありのままをただ見て、受け入れて、流し、そこから学ぶことができる。すると魂の核である直日にもたどりつく。そのために「セス・メッセージ」(未公開資料)は、集合的無意識の闇を一段ずつ見ていくということをしていた。そこを通らなければ、本当のワンネスにはたどり着かないから。
あぁ~!(※崩れるように泣いている) 私の多くの転生の課題は、それだったのよ!! だから、最も闇が濃いあの時代、あの場所を選んで生まれ、戦争と欲望という闇を、しっかり見ることが課せられていたんだわ。闇と闘うのではなく、それをありのままに認め、それでも自分は光の方向に行くこと。そしてそれには、自分の中の闇を見て、それを認めることが大事だったのね!! 何とうまくできているのかしら。何もかも完璧なセッティングだったわ。地上時代にそれができたかどうか以上に、今こうして振り返って、しみじみ感じるこの学びの快感!
キリスト教の宗教観を無意識に受け、それが観念を形成していて、神は光だとばかり思っていた。光と闇は対立するものだと。でもそれは観念にすぎなかったのね。そして、リセットとは、そういう観念をリセットするということなのね。集合的な観念を・・・。
地上では、死後の世界は存在しないと信じている人は、ものすごく多かった。だから死の受容がなかなかできずにいたの。その死に際の異様さからも、まもなくリセットの時期が来ると私は思っていた』
蓮 「本にも書いてありましたね」
――『人生は廻る輪のように』(P373から抜粋)
「まもなく地球がこの悪行を正す時期がくると、私は信じている。人類の所業に報いる大地震、洪水、火山の噴火など、かつてない規模の自然災害が起こるだろう。わたしにはそれが見える。わが亡霊たちからも、聖書に描かれているような規模の大異変が起こると聞いている。それ以外に、人々が目覚める方法はないのか? 自然を敬うことを説き、霊性の必要性を説くためとはいえ、ほかに道はないのか?」
ロス 『そうね、書いていたわね。でもなるほど、その大異変で根本的になされることは、観念の刷新なのね。すごいわ。闇を認めたら、ワンネスもわかってきた。そしてすべては体験するためなのだということも。
私は<無条件の愛>を道標にしていたの。それを志して生きようと思っていた。それは、どんな困った人にも惜しみなく光を注ぐという意味あいで、奉仕と助け合いの精神に満ち溢れることを意図していたの。
でも神は、あらゆる魂に分かれ、そしてそれぞれに自由選択を与え、どの体験も等しく認めているのね。善も悪も神の中にあり、成長の階段をそれぞれの境涯で上っているところだ、と。だから無条件の愛とは、そのすべてのあるがままを認めるということなのね!
ところが今回、地球の夢自体が終わってしまわないよう、観念のリセットをすることになった。それは因果応報の結果でもあるし、もう一度自由を保障するための、深い愛でもある。それには、私たちが直日を見出すことが、貢献になる・・・』
※ずっと上空に見えていた天界に直通しているチューブに引き込まれたのか、チューブを急上昇しながら話していたのか、いつのまにか天界にいる。エリザベスさんの周りに、フロイトさんや浅野さんが見える。『お帰りなさい』と言われ、彼女はドーッと泣き崩れる。『素晴らしい体験をしてきました』と、嗚咽しながら話している。その後しばらく歓喜が続き、放心状態という感じで言葉が出ない。
◎その後の憑依に関する対話
2023年9月13日
蓮 「6年前にキューブラー・ロスさんの人生回顧をしている時期は、私たちにとって<憑依>という概念がなかったために、その切り口からお聞きすることはありませんでしたが、今はかなり幽界の憑依霊による操作が本人も無自覚な形でなされているということがわかってきました。ロスさんも晩年は、憑依されていたのでしょうか?」
ロス 『私も、もしその頃に自分が憑依されていると言われたら、受け止め難かったと思うわ。でも自我まるごと乗っ取るかつての憑依ではなく、自他にもわからない形で巧妙に操作される現代版の憑依ということであれば、最晩年に神や死後世界を罵倒するようになった私がその状態であった、というのは心当たりがある。
私は、自我がしっかりあったので、人生の後半になって霊的覚醒をした。それからはある意味で霊能者のように、自分の守護霊と話したりもできるようになっていった。でもそのプロセスの中で関わった、幽界と結託している霊能者の人もいたの。
死後の世界を認めて安心してもらうために、私は彼らを自分のワークショップに関わってもらい、そこで公開チャネリングをしてもらっていたのね。最初は良かったのよ、そこで出てくる霊が語ることは、参加者をずいぶん癒したし、私自身も自分の使命に気付くきっかけにもなった。
でも個人的欲望が出てくると、つながり先は落ちていくということを、私は知らなかったの。天界霊から低級霊にだんだんかわっていき、最終的には彼自身も憑依されてインチキまでしはじめ、なおかつ私の家に火をつけるなど様々な妨害をするようになったの。
で、そういう状態になりながらも、私は外に向かってさらに疾走していったのよね。そうすると、実は私のつながり先も落ちていき、幽界上層とつながる「人のためと本人は思っているけど、自分のため」という<種>で憑依霊と共鳴していたんだと思う。それが止まらなくなって、さらに拡大しようとするから、因果応報でストップがかかった。
その頃から、憑依霊が私に付きまとっているという状況にはなっていたのね。でも私は自我がしっかりしていたから、魂とつながる本来の自分もまだ保つ中で、「これは私の学びのために起きているわ」という神に向かおうとする自分と、「なんでこれだけ奉仕してきた自分がこんな目にあうんだ!」という神を恨む自分の、その両方が自分の中でせめぎ合っていた。
でも闘病は9年と長かったから、最後の1~2年は後者の怒りが噴出した。だんだん認知症も出てきたから、憑依霊がむしろ全面に出てくるような事態になっていた、というのが真相だったと思うわ。
私の人生最後の学びは「自分を愛しなさい」ということだった。それが長くかかったのは、「自分の第2層もありのままに見なさい、そして受け入れなさい。そこから学びなさい」と理解はせず、それを避けていたからだったと思う。外に向かって走り回っていると、そういう時間がないから、私は倒れたの。でもそれでも第2層を見なかったから、結局は最後に憑依霊が幅を利かせるようになった、ということだったと思うわ。
私の人生は、スピリチュアリストが陥りがちな例を、体現していたかもしれないわね。つまり、①愛しか語らない、②自分が見たくない自分は見ない、③何かと忙しく走り回る、④因果応報で自分を振り返らない、⑤その結果として憑依される。私は「死の受容に至る五段階」も提示したけど、「スピリチュアリストが憑依に至る五段階」も明らかにした、ということなのでしょう(笑)』
(注)死の受容の五段階
否認:自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階
怒り:なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階
取引:なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階。何かにすがろうという心理状態
抑うつ:なにもできなくなる段階
受容:最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階