雑誌 岩戸開き 連載<天地の対話>によるリセット・リスタート 第9回 ノンデュアルとスピリチュアル
非二元的悟りか霊的覚醒か
前々回の第7号特集「日本の女性の覚者たち」というのを読んでいて、登場された方々がすべて「非二元に目覚めた女性たち」ということだったので、改めてノンデュアル(非二元)とスピリチュアルについて考えてみた。
私自身、天地の対話をするために今伊勢の地にいるが、それは初めて伊勢神宮を訪れた時に以下のような体験をしたからだった。それがスピリチュアルな体験なのか、ノンデュアルな体験なのか、拙著「‟則天去私”という生き方 心理学からスピリチュアリズムへ」(コスモスライブラリー、2006)から抜粋してみる。
「参道のどこかを歩いていたときに、突然天と地がつながって、天への路がポッカリ開いたような気がした。同時に私はすべてのものを投げ捨てて、その中に溶け込んでしまいたい、という強烈な衝動に駆られた。(中略)この体験は、私を愕然とさせた。これまで大事に思ってきたこと、例えば家族とか仕事とか、この世のすべてのものを投げ捨てて、無に帰したい、天に戻りたい、と一瞬ではあっても強烈に思ってしまったからである」
私はこれをスピリチュアルな体験と思っていたが、「無に帰したい」と思ったことからすれば「私はない」というノンデュアルな体験とも言える。
また、ペアで天地の対話を受信している霊媒の蓮さんも、伊勢神宮を訪れた時に以下のような体験をした(『サラ・メッセージ 生と死、スピリチュアリズムの真髄』から抜粋)。
「2008年12月に、はじめて伊勢神宮(内宮)の参拝をしました。御正殿の端で、私は霊気に打たれたようになって、目を見開いて小一時間立ち尽くしていました。故郷に帰ってきたようななつかしい気持ちを、とても強く感じていたのです。東京に帰ってから頭がパッカリと開いたような感覚になり、右脳が活性化し、直感が切れるように冴え始めました。「呼ばれてる。伊勢に行かなきゃ」という思いが日に日に強くなりました。すべてを捨てても、どうしても伊勢に行きたいという強烈な衝動にかられたのです。生まれて初めての経験でした」
これは霊的覚醒に近いものだと思うが、私たちは彼女を「自我なし蓮さん」と呼ぶほど存在自体が「私はない」人で、そういう意味ではノンデュアルな覚者とも言える。しかし、「私はない」からこそ、指定する<あの世の人>誰にでも同化してメッセージを降ろすことができるのだ。
あの世とこの世の仕組み
<天地の対話>が始まったのは、アセンションが起こると言われていた2012年12月の2か月前の10月からで、しばらくウォーミングアップのような対話が続いた後に、<リセット・リスタート>に関する本格的なメッセージが降りてくるようになった。
その詳しい内容は、<天地の対話>シリーズ2『アセンションからリセット・リスタートへ』でまとめたが、数々の自然破壊への結果として、すでに深刻な天変地異が起こっている。そのような次々起こる自然崩壊を、一瞬のリセットで刷新するという目的でこの天地のプロジェクトが始まった、ということだった。
最初の計画はアセンションを目指していたが、それが不発に終わったところで、7次元(後には9次元)からの<リセット・リスタート>になったとのことで、次第に明らかになった構造をまとめたのが、「あの世とこの世の成り立ち」という図である(シリーズ1『あの世とこの世の仕組み』から抜粋)。この図に従って説明したい。
まず、狭義の現象界というのは、3次元と5次元の世界を指すもので、アセンションとは3次元の現象世界を5次元の世界へともたらすことであった。また、元来のスピリチュアリズムとは、この図のアストラル界や精神界も含めて、天界に至るまでの<魂の向上進化>を目指すものである。
私たちは、まず7次元の法則である<色即是空・空即是色>を心からわかることを求められたが、それは非二元論で言われている「私はない」を体感することでもあった。そのため、<天地の対話>は、あの世の空海さんがメインで登場していた。
しかし、話が9次元になると、対話相手はあの世の科学者がメインとなり、量子論や超ひも論の話が中心となった。9次元の法則は<奇想天外>ということだったが、実際に超ひも論で考える宇宙は10の500乗もあるとのことで、そうなると確かに奇想天外の世界となるのだろう。
次元によって異なる世界
興味のある方は、ぜひシリーズ1をご覧いただくとして、今一度ノンデュアルとスピリチュアルの問題に戻りたい。非二元論の方々は、どうも両者を別のものと考えておられるようだが、この図にしたがうならば、両者は単に次元の違いに過ぎないことになる。
3次元は時間・空間・個我という集合的観念によって成り立つ世界で、天地、善悪、男女、東西など二元化された世界である。5次元も、7次元以降の多次元的世界に移行する過渡的世界として、まだ緩やかにそれらが残った現象世界である。
しかし、7次元以降は完全にそれを超越した世界になるので、時空間や個我はなくなる。また、二元化された観念からも解放されて、「私はない」、「善悪もない」基本ワンネスの世界になるとのことだ。
ただし、いくら意識的にはそうなっても、私たちが死ぬまでこの肉体をもって、この世に居ることも厳然とした事実だ。しかも、この3次元の世界には、スピリチュアリズムで言われる<因果応報の法則>や<ゴールデンルール>が働き、個我に分かれているからこそ「自分のためではなく、人のために」というルールもある。
現代における憑依の問題
そして、いま最も問題なのは、「死んだら終わり」と思っていた人たちが、死んでも意識があるために生きているつもりで幽界に残存し、自我境界の脆弱な人に憑依するという状況があることだ。
それについては、シリーズ4『現代における憑依の仕組み』(サラ企画)で詳しくまとめたが、『よひとやむみな』(穂乃子著、ナチュラルスピリット、2021)448pにも「今の九分九厘の人間は、幽界のつながりを持つぞ」と書かれているように、かなり多くの現代人が知らずに憑依されていることは、私の周囲の人々は大変懸念していることだ。
そうした状況においては、「私はない」という非二元論は、憑依霊から格好のターゲットにされる可能性がある。本来、3次元の<因果応報>と、5次元の(引き寄せの術ではない)<思念の現実化>をクリアして、初めて7次元の<色即是空>「私はない」に至るはずだが、それを一気に飛び越えて「私はない」などと思うと、それこそ憑依霊の標的にされかねないのだ。
私たちは、アセンションやリセットが幽界の闇に阻まれて適わなかったという段階で、はじめてアストラル界や幽界に目を向けるようになった。そこにはまったく予想外の複雑で巧妙な世界があり、現代では非常に<頭のいい憑依霊たち>もたくさんいることを学んだ。
そして、霊媒の<自我なし蓮さん>自身も、私たちに感応している時は、天につながって高次元のメッセージを降ろしていたが、無意識に<心の闇>に囚われているときは、そのような憑依霊にかなり取り込まれていたことが明らかになった。彼女に限らず、これまで一泊二日で行ってきた対話の参加者の中にも、いかに憑依されている人が多いかを痛感してきた。
非二元という言葉は、いかにも高尚で哲学的な響きがあり、霊的というよりずっと怪しさがない。しかし、「私はない」といくら意識では思っても、実際には私たちは肉体・幽体・霊体をまとって生きているのだ。そのため、その体を憑依霊に明け渡すことになりかねないのだ。そして、憑依霊が求めているのは、正にその体なのである。
もちろん、私は非二元論を本当には理解していないかもしれない。実際に第7号の特集を何回か読んでも、9人の共通項がよくわからなかったし、はたしてどの位の読者の方々が理解されたのだろうか、とも思った。だから、非二元論の方々に、もう少しわかりやすい説明を乞いたいし、もちろん上記の私の懸念についての反論も喜んでお受けしたい。
結局、以上をまとめていての結論はこうだった。スピリチュアルでもノンデュアルでもどちらでもいいと思うが、肝心なのはスピリチュアルという場合は、魂の存続を確信しているであろうし、非二元という場合は「私はない」のだから、当然「我欲もない」ということなのだろう。もしそうであるならば、幽界に引っかかることも憑依霊を呼ぶこともないのだから、私の懸念は無用ということになる。