雑誌 岩戸開き 第11号 中野真作×三上直子 対談 第2回「個人的無意識と普遍的無意識」
岩戸開き 第11号 中野真作×三上直子 対談 第2回「個人的無意識と普遍的無意識」
◎それぞれの活動の動機
中野 はじめにお伝えしておきたいと思っていたのは、私がなぜこういう活動をしているかと言うと、「生きづらさを感じている人が、ちょっとでも楽になったらいいなぁ」という、そこだけなんですよね。そのために出来ること、お伝えできることがあったらいいなというだけで、それ以外のことにはあまり関心がないんです。
どうしたら楽に生きられるか、そこに今だったら非二元という見方ができるようになることが、ちょっとでも役に立つんだったらそれでいいのかなという感じなので。最近は、非二元という言葉や、スピリチュアルという言葉さえも使わなくてもいいんじゃないかと思うことがあります。
三上 そうですよね、私も基本的にはネーミングはどうでもいいと思っています。それに私も40年間、臨床心理士として相談を受けてきたので、中野さんのお気持ちはよくわかります。でも、今はもはやカウンセラーとしては引退していまして、<天地の対話>というのをもう10年間も続けています。そのモチベーションは「真実を知りたい!」という〈好奇心〉なんですが、中野さんもそれはおありですよね?
中野 好奇心? どういう好奇心ですか?
三上 いろいろな好奇心がありますが、真理を知りたいという好奇心は?
中野 というよりも、「もうちょっと楽に安心していたい」ということが大きいと思いますね。私自身、あまりにも生きづらかったわけです。生きていること自体が若い頃は苦しくて、それをどうにかしたいと思ってやってきたら、こういうところまで来たということなので、とくに真理を知りたいと考えたことはないですね。
三上 あ~、そうなんですか。本を読んでいると、ご自分を含めて人間の心に強い関心を持っていらっしゃるように感じましたが。
中野 ただ、真理や本当のことを思い出していくことと楽になっていくことは、つながっているなとは思っています。
三上 私もそれはまったく同感で、心理学で言う<無意識の意識化>というのは、まさにそのためなんですね。
ところで、中野さんのところに来られる方々の中で、非二元を本当にわかって救われる方は、どの位いらっしゃるんでしょうか?
中野 ジワジワわかっていっている方が、継続して受けてくれていると思いますね。どの位いるんだろう、半分? でも、元々そういうことに興味のある人や、ある程度わかり始めている人しか、私のところには来ていないんでしょうね。
三上 確かに人は相手を選んで相談に行くので、中野さんのところに相談にいらっしゃる方々はそういう方が多いんでしょうね。
◎対象者の違い
三上 本を拝見していて、中野さんと私が見てきた方々は、だいぶ違うんじゃないかと思っていたんですが…。交流分析の「人生における4つの基本的構え」というのはご存知ですか? ①自己肯定・他者肯定、②自己否定・他者肯定、③自己肯定・他者否定、④自己否定・他者否定の4つのパターンがあるんですが、それで説明するならば、有料でも行こうとする方々は、自分が苦しいから何とか変わりたいと思って来るという意味では、②自己否定・他者肯定の方が多いんじゃないでしょうか? 私が最初病院で会っていた方々は、そのタイプだったのですが。
中野 そうかもしれないですね。
三上 中野さんご自身も、自分を殺して周りに合わせることで苦しくなったという②のパターンですよね。本来のカウンセリングは、そういう方々を対象として考えられた。フロイトやロジャースをはじめとする心理学者が対象としていたのも、そういう人々でした。
でも、私が福祉法人や東京のある区の子ども家庭支援センターで、給料をもらいながら無料相談をしていた時は、③自己肯定・他者否定型の人々が多かったんです。そういう方は、中野さんのところに来られますか?
中野 来ないかもしれないですね。
三上 おそらく有料のところにはあまり行かないんでしょうね(笑)。でも、無料だとけっこう来られるんです。そして、まあ他者否定型ですから、夫や子どもや姑の問題など、周囲への不満をブワーッと吐き出すんですね。でも、いよいよ自分の問題に向き合わないといけなくなると、サーッといなくなるんです(笑)。
このサラチームの3人は、今はみんな自己肯定・他者肯定型になっていると思うんですが、初めは友紀子さんは②の自己否定・他者肯定型、蓮さんは③の自己肯定・他者否定型だったんですね。また蓮さんに限らず、ここでの<魂の対話>(※魂に至るための対話)に集まってきたのは、ほとんどが③タイプで、しかも霊能の強い方々でした。
③タイプの「自分はいつも正しくて、相手が悪いと思っている」、あるいは「自分は被害者だと思い、相手を恨んでいる」という方が、ちゃんと自分の問題に向き合って、本当の意味で救われるにはどうしたらいいか。その人たちだって、本当は深いところでは苦しんでいるわけですからね。
残念ながら、それまでの臨床心理学的方法には限界を感じて、次第にスピリチュアルな方向へと向かったプロセスは、『“則天去私”という生き方 心理学からスピリチュアリズムへ』のという本の中で詳しく書いていますが、私の今のテーマはそこから始まっているんです。そういう意味では、中野さんとは対象者が違っているのではないかと思っていたんですが、いかがでしょうか?
中野 そうですね。
三上 私はそういう経過があったもので、非二元の特集を見ていて、<自己肯定・他者否定>の人が自分の心の闇を見ないまま、“私はいない”なんて思ってしまったら、それこそ憑依霊の思うつぼで危険なんじゃないかと思ったんです。
中野 それは私も思いますね。
三上 天地の対話シリーズ4『現代における憑依の仕組み』(サラ企画)という本の中で、その辺はしっかりまとめているのですが、今や<頭のいい憑依霊>がどのようにして人に憑りつき、コントロールしているかをリアルに見てきたもので、非二元というのはその頭のいい憑依霊たちが考え出した策略なんじゃないか、とさえ思ったほどで(笑)。
中野 ただ、私は憑依霊という考え方はしないんですね。それは、その人の癒されていない心の痛みが、憑依霊・低級な霊に憑りつかれたような形になって、痛みが叫び声をあげているんだろうなと私は見ているからです。
◎個人的無意識と普遍的無意識
三上 それが、非二元とスピリチュアリズムの見解の相違なのかもしれませんね(笑)。ですから、それはさておき、個人的無意識についての話をもう少しお聞かせいただけますでしょうか。中野さんは若い頃に、フロイトの精神分析などもずいぶん学ばれたということですね。
中野 はい、昔ずいぶん読みました。
三上 今、非二元の方にしろスピリチュアルな方にしろ、潜在意識という言葉はよく使われますが、それはユングが言う普遍的・集合的無意識の話が中心で、フロイトの言う個人的無意識にはほとんど触れていないですよね。(顕在)意識から個人的無意識に至り、それをさらに深めて普遍的無意識に至るというのが、心理学で言われてきた基本なのですが、それをちゃんと言っている人は、いないですよね?
中野 いないかもしれないですね。
三上 私が知る限りでは、実は中野さんがはじめてなんです。
中野 ああ、なるほど。そこに興味を持ってくださったんですね(笑)。それだからこそ、私も今回来てみようと思った、というのがあります。
三上 私が心配していたのは、自分に向き合うのを避けて「すべて神がやっていることで、私はいないんだ」と思いたいがために、非二元に賛同している人たちもいるのではないか、ということなんですが。
中野 はい、確かにいますね。
三上 そういう人たちに対するものとして、「岩戸開き」第9号に掲載したメッセージが降ろされたのではないかと思っているんです。個人的にはあえて書く必要もないかなと思っていたんですが、メッセージとなると私は<則天去私>で素直に天に従うようにしているもので、そのまま原稿をお送りして、しかもこのように対談もお願いした訳です。
中野 はい。まぁ、私がお話できそうなことは、今おっしゃってくださった中に全部入っていますけど、「人間としての痛みをきちんと癒さないと、本当の全体性は実感できない。そこに落ち着いていられない」ということだけですね。
三上 中野さんからご覧になって、本当にそこに至っていると思う人と、まだまだかなと思う人と、どの位いらっしゃるのでしょうか?
中野 それに関して私が感じていることを正直に言うとですね、あの人は至っているとか、あの人は至っていないとかいう見方は最近しなくなってきたんですね。以前は、そういう見方を無意識にしていたんですよ。その時は、「自分の中の人として癒されていないところ、内側の分離がまだまだあったな」という気がしています。
数年に一回ほど、そこに無理やり向き合わされるようなことが起こって、それをちゃんと見て癒していく中で、「目覚めているとかいないとか、本当に非二元がわかっているとかわかっていないとか、そういう視点自体が二元なんだ」ということを感じるようになったんです。
三上 なるほど。
中野 だから最近よく人にも言うんですが、非二元も何もどうでもよくなってきたということで、もし本当の意味で非二元という状態が存在するのであれば、非二元とか悟りとかそんなことは考えずに、自由に生きられる感じではないかな、と。
三上 本当にそうですね。
参考リンク:
岩戸開き 第9号 連載<天地の対話>によるリセット・リスタート 第9回「ノンデュアルとスピリチュアル」
岩戸開き 第10号 中野真作×三上直子 対談 第1回「本来のノンデュアルとスピリチュアルとは?」