雑誌 岩戸開き 第13号 中野真作×三上直子 対談 第4回「死をめぐっての対話」
中野真作×三上直子 対談
第4回「死をめぐっての対話」
◎非二元とスピリチュアリズムの死生観
三上 ところで、近代に入ってから「死んだら終わり」と思ったり、死は考えないようにしている人が多くなっていますよね。特に現代はIQが高くこの世を支配している人ほど、唯物主義・科学主義で「死んだら無になる」と考えているものと思います。
でも、私は死んでも意識は残ると思っているのは、そういう科学的証明の本もたくさん読んだからですが、その辺、中野さんはどう思われますか?
中野 個別の意識は残らないんじゃないかと思っています。大きな意識は一つしかないから。
三上 最終的にはそうかもしれませんが、そこに至るまでのプロセスがあると考えたことはありませんか?
中野 あんまりないですね。
三上 本来のスピリチュアリズム=心霊学は、死後の世界の究明が中心課題で、さまざまな死後の階層を明らかにしていますが、中野さんにとっての、「死」とは何だと思いますか?
中野 死とは何か、私という感覚の終わり、かな?
三上 中野さんが本の中で「この世は夢で、私は神が見ている夢の一つを生きている」ということが本当にわかった時点で<私>はなくなるから、肉体的な死は怖くなくなる、と書かれていますよね。
中野 生きている間に死んだら、もういいわけですよね?
三上 中野さんは、それで本当に死は怖くなくなりましたか?
中野 だけど今は、このまま死ぬのは、何だかもったいないなという気がしているんです。
三上 なぜなのでしょうか? 夢が終わるのはいつでもいいのでは?
中野 私は人間としてちゃんと生きる前に、全体性を思い出してしまったところがあるので、もう少し人間として生きたかったなという気持ちがあるんです。だから夢だとわかりながら、人間としてもう少し生きたいなと今は思っています。
三上 でも、死んでも意識は残るので、夢の続きもありますが。
中野 そうなんですか?
三上 そこが本来のスピリチュアリズムと非二元の違いなんでしょうね。心霊学においては、魂としての個性は変わらず残る、と言われています。もちろん解脱に至れば、基本ワンネスとしての存在になりますが、そこに至るまでは様々なプロセスを経る必要があり、だから輪廻転生もあると言われています。
死によって肉体を脱いだ後は、幽体となってアストラル界にいき、未消化な様々な感情を再体験して浄化した後は、その幽体を脱いで今度は霊体となって精神界に行く。そこでは個人的・集合的観念を浄化して、そのすべてが終わると〈解脱〉して天界へと進むということです(※ただし、天地の対話をするときは、天界の霊も元の個性をまとって登場することが多い)。そこに至るまでは、感情にしろ観念にしろ体験を通して学ぶために、何度も転生を繰り返すと言われています。(参考リンク:死後階層図)
ただし、もし非二元の方々が本当に7次元の〈色即是空〉に達しているとしたら、前世でそれらもすべて体験済みで、そのプロセスは必要ないのかもしれませんね。
中野 はい。
三上 だから生前に本当に「私はいない」と思えたら、死への恐怖心も無くなることには私も賛同します。でも本当に死への恐れがないかどうかは、それぞれの方々にお聞きしてみないとわからないところですね。
と言うのは、ここにはスピリチュアルな方々がけっこうたくさん来られたんですが、死の話になるとやはりみなさん腰が引けてくるんですよ(笑)。死後の世界はあると思いつつも、実は半分疑っていて、「もう少し生きたい」という方々がほとんどでした。
中野 あ~、なるほど(笑)。
三上 でも、かつてのスピリチュアリストは、本当に死後の世界を学んで信じていたので、死を楽しみにしている人も多く、身近な人が死んでも「帰天できてよかった」と祝いのパーティーを開いたそうです。
私も実際にはどうかと思っていましたが、母や友人が他界した時も、生前は距離的に離れていたのが、かえって身近になってよかったと思いました。実際に蓮さんや友紀子さんを通して、必要な話はしましたしね(笑)。また、昨年の夏に私自身もほぼ死の一歩手前まで行っていたのですが、生還してしまって残念に思いました(笑)。
私は、今この瞬間も天から「終了!」と言われたら、喜んで従うつもりでいますが、それはこの夢が終わっても次の夢が待っている、と思っているからでしょうね。「ああ、長い夢を見ていたなあ」と、次の夢の世界で目が覚めるということで(笑)。
中野 なるほど、そう信じられると、いいですね。
◎死後世界の科学的証明
三上 「〈天地の対話〉によるリセット・リスタート」の連載でも「死後の証明その1~2」を書いたのは、1人でも多くの方々に死を安らかな気持ちで受け止めていただきたい、という思いからでした。寿命であれ、病気・事故・災害であれ、人は100%死にますからね。特に今は世界中で大災害やら紛争やらが起こっていて、いつ自分も巻き込まれるかわからない。ですから、私たちが今計画しているのは、できるだけ災害や死を冷静に受け止められるようになるためのセミナーです。
中野 ああ、それはいいですね。
三上 連載でもそのために死後の世界の科学的証明を書いていたんですが、まったく反響はありませんでしたね(笑)。
中野 ああ、そうですか(笑)。私も死後の世界とかは、考えたことがないんです。
三上 ですよね、現代人はみんな考えないようにしているようで (笑)。でも、どこかに旅行する時も、ガイドブックを見るじゃないですか。なのに、必ず行くことになる死後の世界をなぜ知ろうとしないのか、私は不思議なんですがね。
心霊学はそのためにあると言っても過言ではないので、連載ではその辺をまとめた『死の向こう側 我々はどこから来てどこへ行くのか 本から学ぶスピリチュアルな世界』という本も紹介したんですが、注文は1冊しかありませんでした (笑)。
中野 1冊ですか!(笑)。
三上 きっと多くの方々は、死にあまり関心がないんでしょうね、人類滅亡の日が目前にきても、自分はきっと生き残るはずだと思って。
そう言えば、岩戸開き第8号の特集の副題も、「これからの大変な時代を生き残るために」ということでしたね(笑)。たとえ生き残ったとしても、何年か何十年かの話ですから、死後の世界をしっかりマスターしておいた方が、大安心だと思いますがね(笑)。
中野 私はこの数年、自分の死がものすごくリアルに感じてきていて、それで生きている間にみなさんにお伝えすることを、もうちょっとやらなきゃいけないな、という内側からの衝動というか焦りを感じるようになってきているんです。もっと前は、周りの人はみんな自分が死ぬとわかっていないんじゃないかと思うこともあったんですが、最近は自分も本当に死ぬんだよな、と思うようになってきているんです。
三上 それでしたら、ぜひこの『死の向こう側』をお持ち下さいね(笑)。
◎サラチームでのあの世との対話
中野 死後の世界を信じるという方向性ではなく、死を恐れなくなる方法はありませんかね?
三上 どうでしょう、それがあれば私も知りたいですが(笑)。でも、本当に無になりたいと思っている人がいたら、死を恐れないかもしれないですね。
中野 あぁ、それは死を恐れないというより、十分生きていないということですよね。私自身がそうだったように(笑)。
三上 実は今、幽界霊の浄化作戦というのを続けていまして、幽界のボス級の霊を蓮さんが磁力で引き込んで、その霊と私が対話して、幽界からあの世のアストラル界へと進むよう説得しているんです(笑)。
それらの霊は性別も年齢もまちまちで、その度に蓮さんの顔も変わり、私の説得方法もまったく変わるんです。しかも、どんな霊が出てくるかは毎回予測不能で、友紀子さんは周囲の霊たちの様子も見ていて、後で報告してくれるんですね。最初の不慣れな頃はドッと疲れましたが、最近は要領がわかってきて、けっこう楽しんでやっています(笑)。
まあ、〈天地の対話〉もそうですが、そんなことを私たちは毎日行っているもので、あの世もこの世もほとんど境界線が無くなっているんです(笑)。
中野 なるほど(笑)。
三上 前に翻訳家の山川夫妻とお話ししていたときに、「心霊学は、もはやカビが生えた学問だ」と言われていましたが、確かに19~20世紀にかけてのスピリチュアリズムは、そこで終わっていると思っている方が多いようですね。
でも、今、〈天地の対話〉に登場される方々は、当時のクルックスさんやコナン・ドイルさん、浅野和三郎さんなどが、その時々の状況に合わせたメッセージを送って下さっています。だから、けっして昔のまま留まっているわけではないんですよね。
中野 そうなんですか。
三上 むしろ私たちは、1848年に始まったスピリチュアリズムの流れの中にいて、現代における先兵隊として送り込まれた、とも言われています(笑)。
そして、9次元に達したあたりからは、相対性理論や量子論、脳科学などのあの世の科学者がメインになっていて、この世で未解決な問題を、一緒に討議している感じです。
この世の科学者たちも、よく重要な発見や思いつきは、入浴時や眠りかけたときに思いついた、と言っていますよね。それは自我意識が緩んだ時に、彼らもあの世のアカシック・フィールドにつながっているのではないか、と思います。
中野 それはそうかもしれないですね。
参考リンク:死後階層図
雑誌 岩戸開き 連載<天地の対話>によるリセット・リスタート 第7回 死後の世界の証明(その1)
雑誌 岩戸開き 連載<天地の対話>によるリセット・リスタート 第8回 死後の世界の証明(その2)