立花隆<あの世>でのインタビュー9 知的発達と情緒的発達と霊的発達について:シュタイナー×フロイト×伊藤正男

 

1.それぞれの発達度合い

 

立花 『このインタビューは、叡智の山をひたすら登っている感覚でしたが、だんだんと複合的な難しいテーマが与えられてきています。今回地上から指定されたテーマは、「知的発達と情緒的発達と霊的発達について」で、まさにエベレストに登る心境です()

 

お話を伺うのは、シュタイナーさん、フロイトさん、伊藤正男さんのお三方ですので、みなさんの胸をお借りして一歩ずつ登っていけたらと思います。

 

まずはアイドリングとして、それぞれの知的・情緒的・霊的発達の度合いについて、教えていただけますか? ちなみに私は知的発達に大きく傾いていたタイプで、情緒的発達は普通程度、霊的発達はほとんどなかったと言ってよいと思います』

 

シュタイナー『それぞれの霊的成長度はもちろん千差万別ですが、ここでいう霊的発達というのは「自我から見て霊的な自分をどれだけ意識化し、その部分を地上で活かせたか」ということですね? 

 

そういう意味では、確かに立花さんはあまりなかったですよね()。「臨死体験」という本の最後のまとめが、結局あの世に対して懐疑的で、「脳の錯誤情報の可能性も否めない」というオチには、さんざんブーイングが出ていましたね()

 

立花 『ほんとに()。まさに私はこの世の肉体脳だけで生き、しかも外的世界の知的探求にひた走るような脳の使い方をしていました。シュタイナーさんはその逆ですよね?』

 

シュタイナー 『そうですね。私は一応教育指針としては、バランスが大事であることを掲げていたので、肉体脳の発達もある程度はあったと思いますが、この中では霊的発達が優位な方ですね』

 

フロイト 『いや、この中でというより、シュタイナーさんは歴史的に見ても大霊能者でしたよ。そして大霊能者ほど自覚が薄いと思いますが、ご本人が思っているほどには、肉体脳が機能していなかったのではないでしょうか?()

 

シュタイナー 『え!! そんなー、D.D.ホームさんとの対談(参考リンク:立花隆<あの世>でのインタビュー3 霊媒と霊能者)では、私は肉体脳も発達した霊能者だったという話になり、気をよくしていたんですがね()

 

伊藤 『ホームさんと比べるとそうですが、このメンバーと比べるとどうですか?』

 

シュタイナー 『なんと!! ほんとですね、そこは自覚が薄かったですね~』

 

フロイト 『霊能者は、自分で頭がいいと錯覚しがちですが、ほとんどは自分が考えたというよりも、霊体脳や幽体脳で感知した情報なんですよ。だからこそシュタイナーさんは、あれだけ膨大な情報を独自の用語で垂れ流していたのではないでしょうか? 知的発達がある場合は、自分の肉体脳でそれを他の分野と関連させたり、エッセンスに絞ったり、読み手にわかりやすいような話し方にしたりしますからねえ』

 

シュタイナー 『うーん、自分ではカッコつけてそうやっていたと思っていましたが、自分の能力としてそうとしかできない面があった、ということですね()。うわー、なんだか新鮮です!』

 

伊藤 『もちろん、一般的な水準よりは、はるかに知的能力も高かったと思いますが、今はそれぞれの割合という観点から見ていますからね。

 

そして私とフロイトさんで比べると、やはりユダヤ人というのは、役割上、知的能力は高かったのでしょうね。知的発達の度合いというのは、もちろん生後の鍛え方にもよりますが、それ以上に元々の遺伝的素質もかなり大きいんですよね』

 

フロイト 『しかし、一言で知的発達といっても、立花さんのようにいろいろな分野へと知識を横に広げていくのか、伊藤さんのように専門分野を深く堀り下げていくのか、私のように情緒的発達と知的発達を絡めて考えていくのか、という違いはあるように思います。なので、一概に「知的発達」という尺度だけでは語れないところはありますよね。

 

そして、本来の知的発達というのは「思考力」のことを指しますが、現代においてはそれが表層的に「いかに知識があるか」で捉えられがちです。しかもそのような知識の吸収というのは、人でもできるんですね。だから、昨今の日本の受験勉強のように、ひたすら人で覚えるような学び方をしていると、その期間はあまり人と関らなかった分、情緒的発達をし損ねてしまう場合もあるんです』

 

 

2.情緒的発達の問題が知的発達に及ぼす影響

 

立花 『なるほど、情緒的発達は、あまり気にかけてはいませんでした。EQ(Emotional Intelligence Quotient:心の知能指数)ということですよね?』

 

フロイト 『そうです。情緒的発達というのは、一部の先天的なものを除けば、主に後天的に養われるもので、生まれてからどれだけ多くの人と、深い関わりをもったかによって伸びていくものです。

 

ですから、現代のようにコミュニティや大家族が消失して核家族となり、しかもテレビ・スマホ・パソコンなどの機械漬けの生活になったがゆえに、情緒的発達という面で人類が損なったものは、かなり大きいのではないでしょうか。

 

結局、一人でいると感情が刺激されずに、自分と相手との間でさまざま悩んだり葛藤したりしなくてすむようになり、その結果、豊かな感情は育たなくなります。それは、脳への影響もかなり大きいのではないでしょうか』

 

伊藤 『そうなんです。肉体脳は、感情を伴った体験によって、さまざまなネットワークができていきますからね。「なるほど、わかった!」という知的興奮もそうですが、自他へのあらゆる感情が脳を刺激して、ネットワーク化させていく原動力になっているんです。

 

ですから、知的能力は高くても情緒的発達が不十分な場合は、その知的発達は局所的なものにとどまり、全体的なネットワークは形成されないんですね。肉体脳における具体的な問題としては、前頭前野の統合的な判断力が育たないということなのですが、その結果、現象的には短絡的行動につながる場合もあります。

 

以前に<キレる子問題>とも言われていましたが、「なぜもっと考えて行動できなかったのだろうか」と思うようなことが、子どもどころか今や大人や老人にまで起こっていますよね。要するに、葛藤したり悩んだりする能力が乏しく、短絡的に行動してしまうという人が、現代において非常に増えているという問題です』

 

立花 『現代人が「葛藤できなくなった」という問題について、もう少し情緒的発達という面から説明してもらえるでしょうか?』

 

フロイト 『情緒的発達とは、まず<快・不快>という大雑把な感覚から、<喜・怒・哀・楽>というさまざまな感情へと分化していくことによって養われていきます。例えば、乳幼児の場合は、<快感原則>に従ってひたすら自分の快・不快で動きますが、親をはじめとして周囲の人々からさまざまな制止をかけられるようになると、それでも自分の欲求を押し通すか、それとも周囲の求めに応じるのかで、葛藤が生じるようになります。

 

その大事な時期に、強権によって否応なく従わせようとする厳しい親や、逆に何でも子どものしたいようにさせる甘い親の場合は、なかなか子ども自身がそのように葛藤しながら判断する能力が養われません。

 

ただし、大家族やコミュニティがあった時代には、たとえ親がそのように偏りがあったとしても、身近な人々が子どもの発達に応じて現実を教えたり、社会的・倫理的・宗教的規範を示したりして補っていました。そのため、子どもは自分の欲求と現実と規範の間で、葛藤しながらもほどよい判断ができるようになっていたのです。

 

そのようなプロセスを経て、次第に<快感原則>から<現実原則>に従って判断し、行動できるようになるのですが、残念ながらそのように適切に関わってくれる大人が、現代においては非常に少なくなっています。そうした場合は、乳幼児の<快感原則>のままに動くか、あるいは逆に過剰に抑制的になるかで、適度な葛藤ができない、バランスの悪い大人になってしまいますよね』

 

伊藤 『そのように葛藤できないという状態は、脳のネットワーク形成にも悪影響を及ぼします。その時々の状況によって、あれかこれかで迷いがら、葛藤して判断できるようにならないと、いつも一定の反応パターンを繰り返すようになるからです。

 

そうなると、増々その人固有の感情的・観念的な捉え方が固定化し、その行動パターンもさらに強固に繰り返されるようになります。その結果、脳を柔軟に鍛えるどころか、使えるネットワークを最低限に絞っていくことになるんですね。

 

その結果、物事をもう一歩深く考えることもできなくなる。なぜなら、より深く考えるためには、その分からなさに耐えたり、従来の思考パターンを変更したりするような、柔軟性が必要になるんですね。それにはとてもエネルギーを要するので、それよりも短絡的・常同的に考えて行動する方がよほど楽なんですよ。

以前のインタビューでは(参考リンク:思考力と創造性、情報収集のための媒体が、本から漫画そして動画へと移ったことによる思考力の低下の問題が、取り上げられていました。それ以外にも「思考力の低下」という面での脳の劣化は、以上のようにもはや葛藤して判断することができなくなったことが、背景としてあったのです』

 

 

3.バランスのいい発達とは

 

立花 『なるほど、脳の劣化は思考面だけかと思っていましたが、情緒的発達の問題も影響していた、しかもそれがより根本的な問題としてあった、ということなのですね。

 

そう言えば、シュタイナーさんは「知・情・意」の発達について語られていて、第17年期には生命力や意志力を、第2・7年期には情緒的豊かさを育てた上で、第3・7年期になってはじめて本格的に知的能力を高めるとおっしゃっていましたよね? それについて、もう少し詳しく教えてください』

 

シュタイナー 『生まれたての時はまったく無力ですが、周りの人に世話をされ、心身共に大事にされることによって、人との愛着関係が育ち、基本的な自己肯定感も育ちます。その安心感を基にして、自然と周囲に対して興味がわき、働きかけるような意欲も生じてきます。また、規則正しい生活を送ることによって、時間に合わせて動くという意志力の基盤も育っていきます。

 

そのように第1・7年期は、基本的な自他に対する肯定感を基盤として、新たなことに挑戦していく意志力をも育む大切な時期なのです。ところが、早期教育などで知的発達に重点が置かれたり、動画を見せておけば楽だとばかりに、無自覚なネグレクト状態が続いたりすると、そのような心の土台自体が脆弱なまま育ってしまう。そういう子どもたちが、現代においては非常に多くなっています。

 

初期の愛着基盤があってこそ、それを土台にして次の情緒的発達へと進めますし、それらの土台があってこそ、さらに次の知的発達も十分に遂げられるようになるのです。ただし、それは時期によって重点を置くべき発達の層が違うということであって、最終的には知・情・意の各層は、複合的に関り合って機能するようになります。

 

そのように、子どもの発達に応じた適切な関りを周囲から得られた場合は、子ども自身が自分の感情も大切にしながら、諸々の状況を総合的に考え合わせて判断し、選択し、それを行動に移すことができる。しかも、結果はどうあれ、その責任を取ることができる。そういう成熟したバランスのいい、自由な大人になることができます。シュタイナー教育は、そういう大人に育つことを目指しているので、自由学校と呼ばれていたのです』

 

伊藤 『そのような発達のプロセスをたどることによって、肉体脳全体がうまくネットワーク化されて、前頭前野の統合的機能も十分に発揮できるようになるんですね。しかも、そういう大人になるには、さまざまな人との関りにおいて、いろいろな実体験を重ねながら、時間をかけて段階的に成長していくことが必要だ、ということですね』

 

 

4.霊的発達について

 

立花 『ところで、最後の霊的発達に関してはどうなのでしょうか?』

 

伊藤 『一般的に脳と言えば、肉体脳しか考えていませんが、実際には霊体脳・幽体脳・肉体脳という三層構造で成り立っています。(参考リンク:No.13 私とは:脳との関連において)そうでないと、死によって肉体が朽ち果てれば、人生回顧なんかできませんからね(笑)。肉体の死後にあの世に携えていくのが、幽体(アストラル体)と霊体(メンタル体)であり、そこに残された情報=記憶なのです。

 

そして、あの世からこの世に生まれたばかりの乳幼児の頃は、霊体脳の方が優位なんですよね。そこはしばらく<あの世>とつながって機能しているところで、幼児によっては前世や生前のことを覚えていて、そういう話をする子がいるというのは、ひとえにそのためです。

 

しかし、徐々に肉体脳が発達していくにしたがって、次第に<この世>に比重が置かれるようになります。そのペースや割合は人それぞれですが、やはり先程のシュタイナーさんの話にもあったように、まずは肉体脳をしっかり育てて十分に機能するようにするのは、とても大事なことです。

 

実はその後も霊体脳は機能し続けてはいるのですが、普通そこは無意識のままなので、肉体脳がしっかりと育ち自我が確立されてから、その自我によって第3層(意識的自我)から第2層(無意識的自我)へと意識を深め、最終的に第1層(霊的自我)に到達する、それを称して<霊的覚醒>とも言っています。

 

そのためには、特に第2層で無意識的に抑圧されている感情や観念を浄化することが大事で、具体的にはその時々に与えられる現実(天からのボールによって写し出されるホログラム)を、「ありのままに見て、受け入れて、学ぶ」ということです。そのようにして何とか第1層にまで到達すると、その霊体脳が第3層の肉体脳をさらに強化してくれるようになります。

 

と言うのは、霊体脳というのは前世での学びも含めて、これまでの人生のすべての学びがそこに記録されているので、肉体脳はその叡智も活用できるようになるからです』

 

シュタイナー 『そのようにして今生で学んだことは、あの世に携えていく叡智となり、それが霊的向上にもつながります。そのためにどのような課題を選び、どのような環境下に生まれるかを、自ら選んでチャレンジをしているのが、この体験の場なんですね。もしそれを地上にいる間に達成し、さらなる成長を魂が求めるならば、次なる課題が天から次々と与えられるようにもなります。

 

そのような霊的発達は、<あの世>では同じ波長の霊が集まる階層構造になるために、緩やかな進化しか望めません。しかし、<この世>ではさまざまな霊的レベルの人と同居し、時代や場所や成育歴の違いによって、多様な観念を持った人々と関わることになるので、はるかに効率よく霊的進化ができるのです。そのような複雑で困難な環境だからこそ、魂が磨かれ鍛えられるとも言えます。

 

しかも、どのような選択であれ、各人に<選択の自由>が与えられているのが、この世の基本原則です。ただし、その選択の結果は自ら引き受けなければならないという、<因果応報の法則>も付いて回りますので、魂の願いに沿って行動するならば善因善果が、その逆であれば悪因悪果が与えられます。それは、まさに霊的発達を後押しするためにつくられた、神の愛と叡智によるものなのではないでしょうか』

 

立花 『結局は、霊的発達をするために<この世>の体験があると言われると、極めてシンプルになりますね。しかも、その霊的発達は<全知全能の神>に向かってではなく、<無知の知の神>の分霊として、「あらゆる体験を通して、ありのままの自分を知り、そこから学ぶこと」が目的であるとするならば、どのような人生であれ、それを学びにすることができるならば、霊的発達につながるということなんですね。(参考リンク:<全知全能の神>から<無知の知の神>へ

 

確かにこちらでの皆さんの人生回顧を見ていると、正に「失敗から学ぶ」ということで、そういう意味では成功も失敗も、善も悪も、損も得もない、等しく学びということがよくわかります。

 

今回、まずは肉体脳における情緒的発達や知的発達によって、第3層の意識的自我を育ててから、今度はその自我によって、さまざまな体験をしてそれを学びに変えながら、第3層から第2層そして第1層へと深めていく流れがあることがかりました。みなさん、それぞれの専門性を生かしてのお話、どうもありがとうございました。

 

現代は残念ながら、もはや第1層の魂の存在すら認めない状況になっていますから、この世での霊的発達など、もはや期待できないということですね。そうであるなら、天界が今一度天地を結び直すために<リセット>という結論に至った、というのもわかるような気がしました』

 

 

参考リンク:立花隆<あの世>でのインタビュー3 霊媒と霊能者:D.D.ホーム×シュタイナー×伊藤正男

     思考力と創造性(本・漫画・動画の影響) 

     No.13 私とは:脳との関連において

     <全知全能の神>から<無知の知の神>へ

 

 

 

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