次元によって異なる愛と叡智

【PDFファイル】No.8-2

 

 

1.3次元における愛と叡智

宇宙には様々な星があり、その星ごとに学びのテーマや特徴があります。この地球におけるテーマは<愛と叡智>を深めていくことにあり、そこに住む我々人類の特徴は、3次元にいながらにして3~9次元まで意識をのばして、各次元の愛と叡智を段階的に深め、学んでいく可能性を秘めているということです。その愛と叡智が、次元毎にどのように変わっていくのかは、No.8-2に示した通りです。

 

まず、この3次元における愛は、<人のため>を動機として行動できるかどうか、ということが問われます。3次元は神と切り離されて、しかも各個人に分断されて生きている世界だからこそ、まずはお互いに助け合うことが求められています。そのため、仏教では慈悲や利他心が、キリスト教ではゴールデンルール(自分がしてほしいことを相手にして、してほしくないことはしない)が求められるなど、多くの宗教が語る愛は<人のため>を目指したものとなっています。

 

ただし、一言で<人のため>と言っても、それが本当に相手のためになっているかどうかは、冷静な見極めが必要で、それなりの叡智も必要だということです。なぜなら、自分では相手のためと思っていても、実は第2層の無意識的自我(注1)の自己満足や支配欲求によって余分なお節介をしたり、場合によっては相手の依存心を助長することもあるからです。

 

そのように、愛とは自分の無意識的な動機が混ざりやすく、しかも相手の願いや状況に応じて適切に関わるのは、実はかなり難しいことなのです。第3層の社会的な愛や、第2層の感情的な情愛、第1層の魂の成長を願う愛など、今どのような愛がふさわしいかを冷静に見極めるには、勝手に判断せずに相手に確かめることが必要なこともあります。一般的・社会的な博愛に基づく援助などの場合はともかくとして、個人的関係における愛というのは、お互いに見えない心が絡んだものになるために、それ自体が深い学びになるのです。

 

ただし、<人のため>と言っても自分のことはさておき、自己犠牲的に我慢しながら相手に尽くすことが求められている訳ではありません。本来はワンネスの中で「情けは人の為ならず」、巡り巡って自分にも返ってくるものですから、相手のためを思っての行動であれば<善因善果>が、自分のエゴによって動いた場合は<悪因悪果>が返ってくるという具合に、<因果応報の法則>にもつながるものなのです。

 

一方、それぞれの魂の願いにかなった選択であれば<善因善果>が、逆に魂の願いに反する選択であれば<悪因悪果>となる、とも言われています。ただし、現在の<因果応報の法則>は、かつてのように一律の善悪の規範に沿って与えられるのではなく、各人の魂の成長度に応じて与えられます。ですから、<人のため>や<魂の願い>というのも、それぞれの魂の成長度に応じて、百人いれば百通りの答があるということで、それだけ高度な選択になっているのです。

 

人間には選択の自由が与えられているかわりに、その結果は<因果応報の法則>によって厳密に働く。それは自分の選択や言動を自省できるよう、神の深い愛と叡智によって与えられたものです。天とのつながりがよい<今>にいる時には、その結果は速やかに返ってくるので、当人にとっては自分の選択が正しかったかどうかを知る、大事な指標となるでしょう。

 

 

2.5次元における愛と叡智

以上の3次元の愛と叡智をクリアすると、次の5次元の愛は<自分のため>となり、叡智としての法則は<思念の現実化>になります。この5次元はそれぞれの特性を生かして創造を楽しむ世界で、3次元的な個別性は残しながらも、基本的には神とつながった<ワンネスの世界>になります。

 

そのため、<自分のため>と言ってもそれは<全体のため>にもなるので、だからこそ<思念の現実化>によって、思ったことがそのまま現象化するのです。その速さは個人的なことであればすぐに現象化されますし、周囲の景色や街並みなど他者も関わるような環境であれば、関係者の集合意識によって、数日ほどで現象化することができます。

 

実はこの3次元においても、5次元の意識レベルにまで到達している人が、今はかなり多くなっています。そのような場合は、ごく個人的なことについては、この3次元においても<思念の現実化>が働く可能性があります。例えば、何か欲しいと思っていたものがタイムリーに手に入ったり、会いたいと思っていた人にバッタリ会ったりするような、<共時性>を体験している人はけっこう多いのではないでしょうか。

 

ただし、その場合は3次元のエゴによる<引き寄せの術>と、5次元レベルの<思念の現実化>は異なるものなので、そのどちらによるものかは注意が必要です。特に<引き寄せの術>に憑依霊が加担している場合は、最初の内は面白いほど物事が順調に進んでいるように見えますが、最後には大きな<因果応報>が働く結果にもなります。それを避けるためには、第2層の個人的無意識にある心の闇を浄化し、第1層の霊的自我につながって<思念の現実化>をはかることが肝要です。

 

 

3.7次元における愛と叡智

次の7次元は、もはや個に分離した存在ではなく完全にワンネスの世界となるので、そこでの愛は無機質なものとなり、より叡智に重点が置かれた学びの段階になります。ですから、そこにおける愛は個人的なものからは脱して<宇宙のため>となります。

 

また、7次元の法則は<色即是空・空即是色>となっていますが、それはそれまでの3~5次元のように時間や空間の観念がなくなり、個別的なものや固定化したものもなくなるので、「意識した時にのみそれはあり、意識しなければない」という、物理学でも明らかにされている量子論的な世界が展開します。

 

時空間の観念がある3~5次元では、物質が「有るか、無いか」にわかれますが、7次元ではその時空間の観念自体がなくなるので、「意識するか、しないか」によって、<色(しき)>>になったり<空(くう)>になったりするからです。ここにおいて、初めて<この世>は固定的に厳然としてある訳ではなく、意識が作り上げている<夢幻の世界=ホログラフィック・フィールド>に過ぎないのだ、ということが明らかになります。

 

なお、この7次元における愛が<宇宙のため>となっているのは、<人間原理>(注2)でできたこの宇宙泡では、7次元にまで意識が達した人による解明が、宇宙全体にも共有されることになり、それが宇宙への貢献になります。<無知の知の神>の分身としての人間が、そのように好奇心をもって宇宙の解明を進めていくことが、<宇宙のため>という7次元レベルの愛になるということです。

 

 

4.9次元における愛と叡智

最後の9次元における愛の段階は、<神のため>です。大元の<無知の知の神>は、その好奇心によって9次元からこの宇宙泡を9→7→5→3次元と創ってきました。それを神の分身としての人間が、同じ好奇心によって3→5→7→9次元にまで愛と叡智を深めて解明したならば、この宇宙泡全体の学びを終了して、新たな11次元の宇宙を開くことができるのです。

 

そのように<無知の知の神>の分霊が、各次元の<この世>のホログラフィック・フィールドで体験し学んだことを、<あの世>のアカシック・フィールドに書き込み、それを最終的にアカシック・レコードとして統合し、各次元の法則も明らかにすることが、最終的に現れたホモサピエンスの役割であり、それが<神のため>になるということです。

 

この9次元の法則は<奇想天外>となっていますが、これは最新科学でもこの宇宙泡というのは10500乗もの泡が次々とできている、と言われていることにも関連します。それだけある膨大な可能性の中で、たまたま人間が今「自分とは何か」「宇宙とは何か」を考えるのに、ちょうど適した環境の宇宙にいるということで、しかも今この3次元に居ながらにして、さまざまな次元にまで意識を伸ばして探求できるということ自体が、この宇宙においては非常に稀なことであり、<人間原理>でできたこの宇宙泡の奇想天外さでもある、ということなのです。

 

 

5.まとめ

以上のように、3次元→5次元→7次元→9次元へと次元を上がるごとに、人のため→自分のため→宇宙のため→神のためと、愛の対象が拡大し深化していくのは、個から全へと向かうプロセスであるとも言えます。また、どの次元にも共通している愛とは、基本的にすべての分霊を批判したり評価したりせずに「ありのままを見て、受け入れる」ということで、また「そのすべての分霊から学ぶ」というのは、基本的な叡智でもあります。そのようにして、ここでの探求は愛と叡智の両輪で深めることにあるとも言えます。

 

一方、各次元の叡智としての法則は、因果応報→思念の現実化→色即是空・空即是色→奇想天外へと変わっていきますが、それを総体的に見るならば、<因果応報の法則>が形を変えて表現されている、とも考えられます。3次元では人それぞれの時間感覚に応じて<因果応報>が働き、5次元では<思念の現実化>によってより速やかに働き、7次元ではそれまでの時空間の観念がなくなって瞬時に結果が立ち表れては消える、9次元では次々と刷新された無数の<今>が投げ込まれてくるからです。

 

そういう意味では、<因果応報の法則>が、過去から今に対して働いていたものが、より即時的に働くようになり、やがて未来から今に対して投げかけられるようになる、とも言えるのではないでしょうか。

 

 

 

注1.  心を 第1層:霊的自我、第2層:無意識的自我、第3層:意識的自我の3層で考えている。

 

注2.  宇宙物理学において、宇宙の構造や物理法則が人間の存在に適していることを説明するための考え方で、「宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから」という論理。

 

 

 

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