図1.私とは:脳の三層構造との関連において

【PDFデータ】 私とは:脳の三層構造との関連において
(天地の対話シリーズ1『あの世とこの世の仕組み あの世の科学者との対話を通して見えてきた真実』に所収)
2021年2月25日
1.<この世を生きる脳>と<あの世につながる脳>
この図は、脳と意識の関係から、<私とは>を紐解いた図です。
<この世>を生きる肉体脳は、大きく分けると三層構造をしていて、思考・判断・意思決定をする<大脳>、基本的な運動機能や無意識的情報処理などを担う<小脳>、体の生命維持全般を司る<脳幹部>から成り立っています。
一方、<あの世>につながる脳は、上記の<肉体脳>に加えて、無意識だった感情や観念がしまい込まれている<幽体脳>、これまでの輪廻の叡智や今生のありのままの事実が記録されている<霊体脳>の三層で成り立っています。
幽体脳にため込まれたものは、死後アストラル界で浄化しますし、霊体脳は精神界以上にも携えていく個人のアカシック・レコード(記録庫)であるといえます。そのように、幽体脳と霊体脳は、死後に生前の体験を振り返って学びにするためのものですが、本来は<あの世>に帰ってからするその学びを、<この世>にいながらにして、幽体脳や霊体脳にまで意識を拡大して、生前にすることも可能です。
なお、<この世を生きる脳>と<あの世につながる脳>の三層構造はほぼ相関性があり、肉体脳は大脳に、幽体脳は小脳に関連しています。ただし、霊体脳は脳幹部と言うよりは、大脳基底核とつながりがあると言われています。そのような脳の構造との関連において、「私とは何か」を改めて考えてみましょう。
2.<肉体脳>における<自我=私>の発達
まず、人は生まれた時にすでに脳の構造としてはほぼできあがっていると言われていますが、そのネットワークをいかに広げていくかは、それぞれの成育過程によって千差万別になります。<この世>で生きる脳をいかに発達させていくかを示したプロセスが、右円の肉体脳における第1層の<3次元の直日>から<第3層の直日>へと向かう矢印です。
直日とは<大元の神>から入ってくる意識の経路で、生まれた時は脳幹部の中心の<3次元の直日>から、その意識は無意識的に入ってきます。つまり、脳が意識を生み出しているのではなく、意識が直日を通って入ってくるために、脳が機能することができています。
脳幹部→小脳→大脳への矢印は、脳の発達によって本能的自我→感情的自我→社会的自我としての機能をもつ<私>へと成長し、脳のネットワーク化ができていくことを示しています。
その<私>がどれほど成長しているかはともかくとして、すでに<私>という意識が芽生える2~3歳ごろには、<第3層の直日>から入ってくる意識によって、<私>をはじめ<外的世界>や<内的世界>を認識するようになります。
3.私=意識している範囲
<私>というのは、簡単に言うならば、その<第3層の直日>から入ってくる意識によって、その時々に「意識している範囲」ということになります。現代においては、肉体脳のみで意識し考えている人が多いので、その場合は中央円の内円の意識と書いた範囲のみを<私>と認識しているといえます。
その<意識している範囲>を、より外円の無意識層にまで広げていくには、<私>から<あの世>につながる脳の中心である<4次元の直日>に向かう必要があります。それは自分の心という<内的世界>を意識化していくということです。
具体的には、第2層の無意識層である幽体脳にため込まれた感情や観念を「ありのままに見て、受け入れて、学ぶ」という形で意識化することによって、その学びを霊体脳に書き込むことができます。またその霊体脳というのは、一般的には<魂>とも呼ばれていますが、そこに意識を向ければ、今生の課題や使命、魂の願いなどを汲み取ることができます。
そのように、「私が意識する範囲」を<あの世>につながる脳の方に広げて、肉体脳→幽体脳→霊体脳にまで意識を拡大することができるならば、そこまでが<私>となります。そのように生きたまま<4次元の直日>(解脱ポイント)にまで意識が到達した状態が、仏教においては<即身成仏>と言われてきたのです。
4.発達した脳を持つ人類の特性
以上のように、私たちホモサピエンスの脳というのは、<私>として意識できる範囲を広げていくことによって、<この世>だけでなく<あの世>ともつながった脳にまで発展させることができます。人間は<この世>への輪廻転生を繰り返しながら、生前であろうと死後であろうと<4次元の直日>にまで意識が到達したならば、<解脱>することが可能で、それこそがこの地球での人類のまずもっての目標であったといえます。
そして、<4次元の直日>(=解脱ポイント)にまで意識が到達すれば、そこから5次元→7次元→9次元へと、<あの世>の次元も段階的に伸ばしていくことが可能になります。そのように<私>の意識できる範囲を広げていけば、「私とは何か」だけでなく、「宇宙とは」、「意識とは」、「神とは」という謎までも、その脳によって解明していくことができます。
そのような可能性を秘めているのが、発達した脳をもつホモサピエンスの特性です。つまり、神が創ったこの世界を、その脳で意識化し解明していくことが、私たち人類の最終使命であったといえるのです。そのように、最終的に<大元の神>にまで意識を拡大した上で、「私とは何か」ということをそのより大きな視点で捉えるならば、次のようになります。
5.神の分身としての<私>
<この世>というのは、「私とは何か」を知らない<無知の知の神>が、自分を知るために作った体験の場であり、私たち一人ひとりもその神の分身として創られました。しかし、それは霊体脳とつながって初めて実感できることであり、<この世>を生きる脳が肉体脳優位となれば、それを次第に忘れてしまいます。そうなると、<私>が意識できる範囲はますます肉体脳のみになって、神とは完全に離れた感覚にもなることでしょう。
しかし、<私の認識する範囲>を無意識層にまで広げて、神の分身だと直観できる霊体脳にまでつながれば、<この世>を生きる脳と<あの世>とつながる脳の両方を最大限に生かして生きることができます。
そのように全体を俯瞰した目で見ていくと、<この世>も<あの世>も、実は神から入ってくる意識によって脳が見ている夢(ホログラム)であるということも、最終的に分かってきます。なぜなら、<この世>を生きる脳は時間的経過の中で物事を把握し、この物質世界は恒常的にあると認識していますが、それは<集合的観念>によってそのように認識して体験しているだけで、<あの世>とつながる脳の霊体脳で真実を見るならば、「意識すればそれはあり、意識しなければそれはない」ということになるからです。
それは、仏教では<色即是空 空即是色>として、また量子力学では<量子の不確定性原理>として語られている真理でもあります。<大元の神>から入って来た意識を、その分身としてどこに向けて、どう意識するか否かを決定しているのが肉体脳であり、その時々でその脳が意識している範囲を、<私>だと思っているということです。
では、その<私>も意識した時にだけあるのかというと、究極的に言えば、それが真実なのです』