フロイト・ユング・河合隼雄の鼎談

 

1)西洋と東洋

 

2018年48

※フロイトさん、ユングさん、河合隼雄さんの3人で、「東洋と西洋、科学と宗教、心と魂」のテーマなどで鼎談してみてほしい、と直子さんからリクエストがある。

河合 『どうも私は日本人的性質が出ているのか、今は調整役でもあるようです。ですから、ここでも進行をさせていただくということで、どうかよろしくお願いします』

 

フロイト 『頼もしいですね。やはり最後は日本人が、すべての要素を取りまとめる役割だ、ということですね』

 

河合 『そのようです。西洋と東洋という意味での日本の捉え方は、3次元的な地図で見た陰陽の分け方です。日本がとりまとめるというのは、両極を統合する<直日>を使うという意味です。そのような地球統合の中心が日本なのです。ですので、言語化に熟達した西洋の方々がまとめるのではなく、日本でそれがなされる必要があるようです』

 

フロイト 『No.3の<直日図>でいうと、西洋と東洋はどのようなラインに当てはまると思われますか?』

 

河合 『ざっくり分けるとですが、西洋は横軸(3層→2層→1層)ですよね。自我が確立できているというのは、横軸の鍛錬だと思っています。逆に東洋(とくに日本)では、横軸があいまいなまま縦軸と直観的につながっているというのが、一般的な現状です』

 

ユング 『私が「人生の午前と午後」でいっていたのは、午前=3層・2層で、午後=1層のことでしょうね。1層(魂)の深みはどこまでもあると思っていましたが、その縦方向の次元的奥行きまでは、まだ見えていたわけではありませんでした。あの時期に西洋で魂を語るというのは、科学的スタンスから逸脱するので、なかなか言いづらい面がありました』

 

河合 『そうでしょうね。日本では公認はされていませんが、会話の中でさりげなく魂について語る分には受け入れられますね。「魂が抜けた顔をしている」など、日常用語の中にも組み込まれていて、あいまいな形ではありますが、無意識の中にはあるからです。フロイトさんはいかがでしたか?』


フロイト 『私は、もっと地上時間を与えられていたら、精神分析を<魂の学>にまで体系的に示したかったですね。やり残したことは天に帰ってから地上のみなさんとの通信で成し遂げられましたが、目標は心から魂に至ることでした。西洋人が横軸から魂にたどり着くというのは、その頃はなかなか難題でしたから、だからこそやりたかったのですが、何しろ思考が働くほど直観からは遠くなりますので、そのどちらをもつかむというのは、私自身は大変でした。

 

男性がこの社会を悪くしたように語られることもありますが、男性が理論的探究によって社会に貢献したことも多いというのは、申し添えておきたいと思います。とくに言語を論理的に使う分野においては、男性の特性というのは、なかなか秀でたものでもあったように思われます』

 

ユング 『私はどちらかといえば、男性的な側面ももちろんありましたが、徐々に女性的な直観的側面も開花していきました。しかしその統合というのは、確かに難しかった。今は、終わりに向けて、その難しい統合をみなさんはやっておられるのでしょうね。<直日図>の横軸は男性性、縦軸は女性性としてこれまで象徴されていて、それらが分離している(つながりや統合性がない)状態だったでしょうから』

 

河合 『おそらく<3次元の直日>が日本で打たれたことが、この統合において大きな意味を持っていたでしょうね。それはいろいろな意味での、要としての<点>であり、「リセットへの王手」ともいえる一指しだったように思います』

 

フロイト 『西洋と東洋も、その<3次元の直日>で統合された感がありますね』

 

河合『はい。こうして私たちが鼎談することになったのも、それがあってこそだと思います。いよいよ、いろいろなベクトルのものを統合し、まとめるという流れが生まれたのもそのためです。小乗×大乗の話も見事でしたが、私たちの心理学の分野でも、うまくまとめていきたいですね。西洋と東洋の話はこの辺で十分でしょうから、次はどうしましょう。科学と宗教ではいかがでしょうか』

 

 

2)宗教と科学

 

ユング『私の父は牧師でした。本来、宗教は神に近づくためのものでしょうが、私たちの頃の宗教というのは、教会は自由を失った老馬のようだったにも関わらず、決まり文句の救済を解くにとどまるという形骸化が進んでいました。もちろん、牧師の中に宿る神への信心にも、それなりの真剣さがあるのも分かるのですが、しかしやはり宗教から神に向かう道に希望が見えなくなっているように私は感じていましたね。形式ばっていて、一向に本質が見えてこないという、魂の不満足感を覚えたのだと思います。

 

そのため、私は心理学という、科学的視点から神に向かっていくという道を選びました。「今、人々に必要なのはこちらなのではないか?」という、強くわきあがる気持ち(リビドーですね)があったのです』

 

フロイト 『私も宗教に見切りをつけて、科学的な心の研究の道を歩みました。それは使命として運命づけられていると確かに思えるほど、私を根底から動かす力をわかせました。リビドーです(笑)。それは、他力から自力への転換でもあったと思います。他力本願になってしまっていた宗教から、11人の自力本願の道を指し示したかったともいえるということです。

 

宗教は多くの争いも生んでいて、そこにはもはや光を見出す力はないようにも感じていました。心を分析的に見ていき、その自分とうまく付き合い、社会とも折り合いをつけて自立的に生きていく方法こそ必要であろうと思ったのです』

 

河合 『お2人は、キリスト教とユダヤ教の環境にお生まれだったということで、外在化された神に対するあきらめがおありだったということですね?』

 

ユング 『そうですね。第3層での観念づけられた信仰としての宗教に対する反発でもあるのでしょうね。しかし、第2層、第1層と、心の深いところへ降りて行くと、そこに眠る神話や普遍的宗教観のようなものに出会っていきましたね。宗教から離れたつもりでも、心の内にはその世界観が無意識にあり、もっと深くにいけば人類共通の集合的無意識までも視野に入ってきました。

 

宗教は形骸化したけれど、その根底の純粋なものが、美しい形で心の中にあるのだということが見えてきたのです。だから、宗教と科学はまったく別物ではなく、本来は根底でつながりをもっていて、その探究の道のりが違っているということなのでしょう』

 

河合 『私も心理学の道を志して、心を掘り下げてみていくようになったら、必然的に神話や昔話に出会っていきましたね』

 

フロイト 『宗教というのは、本来は<直日図>の縦軸や横軸のどこかのラインを担っていたのでしょうね。ユダヤ教は、律法による超自我の確立(第3層の強化)を、キリスト教は隣人愛ということで第1層からその中核の3次元の直日への道を示していたのでしょう。教会宗教になってからは、完全に外在化された神として、自分の直日に向かう道からはそれていたと思いますが・・・。神道はどうだったのですか?』

 

河合 『「私の中に神がいる」というのが、<直日図>の横軸、「神の中に私がいる」というのが縦軸だとすれば、その両方のラインをゆるくではあれ、持っていたといえるかもしれません。その両ベクトルがうまく交差した中で、3次元の直日をもとらえている人は、古き良き日本人の場合は、多かったと思います。しかし、あくまでも「ゆるく」であって、それは意識化もされず、直観的であったということです。その直観的にはわかっている日本人が、あとは意識化さえすれば、いろいろなことを急速に思い出す(理解する)素質がある、と言えるのではないでしょうか?

 

しかし、この鼎談のはじめにお話したように、東洋としての現代の日本人は、やはり横軸は確かに弱いわけです。しかし、律法のように細かな教文が神道にはないにも関わらず、かつての古きよき時代の日本で秩序が保たれていた訳は、日本神話の中にあるように八百万の神々が、それぞれの特性を生かしながら協調することが基本としてあること、また自分たちのルーツが神であるという私=神(3次元の直日)という認識が、民族意識の中にあったからだと思われます』

 

フロイト 『なるほど、宗教が根底で成し遂げたかった縦軸×横軸を、神道は体現していたということなのですね。しかもゆるい形で(笑)』

 

河合 『そうです。心理学者である私たちが宗教を語るのはおかしいように思われるかもしれませんが、心を見ていくと必然的に宗教にも触れざるを得なくなり、なおかつ目指すところも共通しているので、心理学と宗教を合わせて読み解いていくというのは、なかなか面白い道筋でした。私は地上で、心理学と宗教という両輪を、そしてまた東洋と西洋という両輪をもハイブリッドで学ばせてもらったので、その比較から、それぞれがよりよく見えてくるという経験が多かったのです』

 

ユング 『おいしいところ取りですね(笑)』

 

 

3)心と魂

 

河合 『本当にそうですね。ユングさん、フロイトさんという先達が基礎構築をしてくださったおかげです(笑)。では最後に「心と魂」というお題で、何かありますでしょうか?』

 

ユング 『順番は大切だと思いますね。まずは心、それを見て、ある程度扱えるようになってから魂へ。そうでないと、強い力に呑まれます。インスピレーション、夢など、魂の領域からはかなりの情報量がドバーッとくる。それを受け取る力がないのに受け取ってしまった方を、私はたくさん見てきましたから』

 

フロイト 『確かに。私たち西洋の心理学者が研究してきた内容は、本格的に人類が魂の夜明けを迎えるにあたり、熟達しておくべき心の取り扱い方を提示するという役割だったのでしょう。自我がないスピリチュアリズムがどれだけ危ういかを、今だからこそみなさんもよくお分かりだと思います。3層→2層→1層→直日という横軸の人間としての土台構築に、私たちは人生をかけて取り組んでいたということです。

 

それを鍛えてからの縦軸(垂直方向)への急上昇は可能です。むしろ着実でもあります。しかし、今リセットに向けて集まっておられる皆さんは、特殊部隊に近い専門集団です。特化した特性を生かせばよいのですから、すべてのバランスを均等にしようと苦手な方面にやたら取り組む必要はありません。ただ、そこが苦手だという意識化は必須です。それが、ありのままを見て、受け入れる…ですので』


河合 『心や魂というのは見えないものですから、それを意識化していこうというのは、かなり強い意思と信念がいると思います。ここに残っておられる皆さんは、その厳しい道を歩んで来られたツワモノたちですので、私たちも期待しています。


さて、この鼎談の締めとして、日本の役割についてお話しておきたいと思います。神道は、3次元的には陰陽(和魂と荒魂、直日と禍日)を、5次元的には多様性や統合性を、そして7次元的には<空>をも表現しています。神宮が象徴しているのは、究極的には、ただそこにあるということです。仏像も何もないただの宮が、<空>を思い起こさせます。そこに神を意識すればいて、意識しなければいない、という7次元的神域であるということです。

つまり、神道にはあらゆる次元の直日が表現されうる余地があるということです。それだけシンプルであるからこそ、すべてを含むことができるということです。このような土壌で育っている私たち日本人は、時代の始まりをも担いましたが、この終わりのスイッチも押すという大役を授かっています。諸々が万事整えられて、今に至っているのです。

最も言挙げされてこなかった日本で、今、言語化がなされていることの意味は、非常に大きいといえます。今回の私たちのまとめとしての鼎談も、ちょうどよい時に機会をいただきました。ありがとうございました。あと少し、ますますの言語化に取り組んでください』

 

 参照図:No.3 <3次元の直日>を中心とした横軸と縦軸  PDFファイル

 

 

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